漆拾伍.くいしん坊!いとをかし
3日後、経血がほとんど止まったところで外出禁止令が解除された。まだわずかに残っているみたいなので、天照にもらったナプキンはまだつけているが、傍目にはもう完了したように見える。痛みやだるさもなくなったし、気分の不安定さも解消した。もう変なところで泣いたりはしない。
俺「うーんっ」
久々に真夏の直射日光を浴びて、俺は大きく伸びをした。やっぱりこれじゃないと。
庭に降り立った俺は垣根の向こう側に意識を向けた。この間の覗き事件の後から三羽烏にちょくちょく監視させているが、覗きはあれだけではなく、毎日に何人か覗きに来ているようだ。今も垣根の向こうに誰かがいる気配がある。
雪「竹姫さまっ」
俺「あ、雪」
雪「そんな風に庭に出てはいけません。もう子どもではないんですから」
俺「でも、やっと外に出てお日さまの光が浴びれるようになったんだよ」
雪「大人の女性はむやみに外に出て太陽にあたったりしてはいけないんです」
俺「そうなの?」
雪「そうです。ですから早くお部屋にお戻りくださいますか?」
俺「うーん。でも、私はまだ子どもだと思うんだけど」
俺の予想では、俺はまだ小学校高学年、せいぜい中学1年がいいところだ。大人の女性といわれてもピンとこない。大体、心はまだ男子高校生なんだし。
雪「何をおっしゃっていらっしゃいますか。生理が始まったということはもう立派な大人でございますよ」
俺「あ…」
そうだった。ここは平安時代だった。お酒は
俺は観念してすごすごと部屋へと戻った。
雪「竹姫さま。今日のお夕飯はご主人さまと奥さまとご一緒になさってください」
ご主人さまというのは爺のことで、奥さまというのは婆のことだ。俺と毎日顔を合わせると身体に差し障るということで、数日おきに少し豪華な夕食を一緒に取るようにしている。この3日間、生理で外出禁止で食事を一緒にはしていないので、すこしイレギュラーだが夕食会を開くことになったのだろう。
ちなみに、平安貴族は通常1日2食しか食べない。朝と夕方だ。1日3食食べるのは田舎者の野蛮人のやることとされている。その代わり、夕飯は現代よりも早くまだ日があるうちに済ませることが多かった。もっとも、それは電気がないからという理由もあるのだが。
夕方になり、雪に率いられて俺は母屋の広間へと向かった。一応、こういう場面はものの順序として目下の者から席に着いていくので、最初に広間に通されたのは俺で、その後婆が来て、最後に爺が来た。
平安時代の食事事情については、意外においしいというのが俺の率直な感想だった。少なくとも俺はこの2ヶ月半、食事に関して身に降り掛かった不幸を嘆いたことはない。確かに現代では味わったことのない味付けのものが多いが、これはこれでよいと思う。
まずご飯は、
俺が普段食べているのはその姫飯だ。米はもち米ではなくうるち米を使っているので、基本的に現代とほぼ同じご飯を食べているといっていい。今日の夕飯もいつも通り姫飯が出されていた。
おかずに関しては現代との違いがもっと大きい。そもそも食材が現代とは違うものが多く、見たこともないものがほとんどだ。調味料も現代のものとは違うものが多く、例えば醤油はなく、代わりに
爺「今日はおめでたい報告が3つもあります」
ご飯をたべるのに先立って、そう爺は切り出した。
久しぶりの爺と婆の登場です。世話係として雪を登場させたせいでめっきり出番がありませんでしたが、今後はもう少し出番があるのではないかと思います。
赤飯を祝い事の時に食べるという習慣は江戸時代後期からだということです。赤飯というのは小豆で色をつけたもち米を蒸して作る強飯(こわいい、おこわ)の一種です。強飯自体は日本に上代からある米の食べ方なので、赤飯自体は平安時代にもありますが、特に慶事用というわけではありませんでした。
醤油は味噌が工業的に生産されて庶民に行き渡るようになったのは江戸時代とのことです。現代の醤油や味噌の味もその頃に完成したそうです。
動物性たんぱく質には現代よりも乾物や発酵食品が多かったと思われますが、鮮度の高い魚や肉も多少は食べられていたと思われます。ただし、肉の種類は今とは違いました。例えば牛や鶏はあまり食べられることはなく、野生の動物、特に雉子や兎や猪などが好まれたようです。ちなみに、鶏は卵すら食べなかったようですが、牛は乳製品は好んで食べられたようです。
なお、以前も一度触れましたが、お茶はないため食事の時も水かお湯を飲みます。