どこにいても、否定されるような感じがする
鈴木 女の人について、いろんなメッセージが来るけど、それが全部、ばらばらだからどうしたらいいかわからないんですよ。働けと言われて、働いて成功すれば、男より成功しちゃいけないって言われるし、子供を産むことが何より大事とも言われ、でももう専業主婦は駄目だとか言われるし、分かんなくなってるんですよ、たぶん。
橘 そう考えると、やはりインドの上流階級のように子どもを産めばそれで終わりで、あとはすべてナニーに任せて好きにすればいいというわかりやすいカルチャーのほうが、幸せになるのは簡単そうですね。日本のように迷わなくてすむ。
鈴木 どこにいても否定される感じが、結局するんですよ。今回の本(『すべてを手に入れたってしあわせなわけじゃない』)で書きたかったのは、そのあたりのことですね。どこにいても、何をしてても、何かしらのメッセージにはプレッシャーを受ける。本当のしあわせが何かわからない。「しあわせじゃなきゃいけないって誰が決めた」と前書きに書いたんですが、しあわせになるという意味が、既に複雑化している。

すべてを手に入れたってしあわせなわけじゃない
橘 日本の場合、本当にそうだと思います。
鈴木 高校生のときには、今後は女性も働くべきですって言ってたくせに、社会出てみたら、それは望まれてなかった。会社はできれば産休も取らないし会社を辞める可能性の少ない男の子を雇いたがるし、家で家事分担を求められる夫はどこか不満そう。はしごを外されたみたいな気分になりますよ。もちろん出産の年齢があるから、男が考えがちな、20代、30代、バリバリで働いて、40になって少しプライベートも考えてみようかっていう選択肢は、女性にはすごく難しいっていうのもあります。私は今年37なので、子宮年齢、すごいカウントダウンが入ってるし、同年代にそういう知り合いは多いですよ。ずっと頑張って働いていたら、「そんなことより、もう子供産めなくなるよ!」という雰囲気に急になってる。
橘 進化の過程でつくられた女性の身体って、どう考えても思春期の15~16歳から10年ぐらいで子どもをたくさん産むように設計されているわけじゃないですか。でも今の社会だと、その時期は子どもなんてつくらずに、とにかく勉強して、働いて、キャリアアップして、人的資本をつくっていかなければならないということになっている。現代社会のルールだと、女性は進化的に設計された生殖年齢のいちばん最後に子どもをつくることになるから、うまくいくわけないですよね。
鈴木 結局、それに合わせて人生設計をすると、すごく原始的なところに戻って、ヤンキーになっちゃう。橘さんの言う「人的資本」は持ってないけど、子どもはいる、という。
女性の体の仕組みを想定した上で、何かしら救済策というか、文化的な選択が取れるようなシステムを求めたいんですけど。子どもを産んでから働きだすとかでも、本当はよかったかなと思います。私、大学院生のときはある意味では忙しかったけど、家で論文、書いてるだけだから、妊娠とかしてる分には全然よかったのかなと思って。今回の本にも、不妊で悩んでいる人が出てきますけど、体の仕組みと社会がまるで合ってない。
橘 高学歴の女性にも、ヤンキー的な人生設計があってもいいとは思います。若いときに子どもを産んで、それから人的資本をつくっていくとか。
鈴木 男の人がつくった会社で働いてるからそうなんであって、もうそれは、変えてもらう、変えていくしかない。その変わるまでの隙間を埋めるために、ベビーシッターのシステムもいいし、保育園の無償化でもいいと思うんだけど、なにかの救済をある程度は行政のベースでも入れていくべきだと思う。
橘 私のところはゼロ歳から子どもを保育園に預けて、送り迎えもやったんですけど、けっこう大変なんですよ。小さいときはすぐに熱を出して、迎えに来いといわれるし。それでもなんとかなったのは、当時はフリーランスで、会議の途中でも保育園から連絡が来ると「子どもを迎えにいきます」って帰っていたからです。でもこれは、正社員では無理ですよね。いまは個人のシッターさんも頼みやすくなって、会社から補助が出るところもあったりして、すこしずつ変わってきてるんでしょうが。
鈴木 旦那が例えば自由な時間の仕事で、自分が会社員とかだと、ある程度、なんとかなる。旦那が私みたいなフリーの物書きだったりとか、大学の先生だったりとか、時間がかなり自由な人だと可能だったりするんだけど、でもやっぱり子どもを産んでくれるわけじゃないから。そこの部分は女の人がやるしかない。うちの両親は私が小さい頃、大学の非常勤と翻訳をしていた父が随分子育てで活躍していました。母親は逆にフルタイムの会社員でしたから。
橘 私の知ってる専業主夫で多いのはアート系ですね、売れない絵描きとか。夫がずっと家で子育てして、妻がバリキャリで働くというのは、ほとんどこのケースです。夫は稼ぎが少ないけど、美術展で入賞するとか、まわりから「先生」と呼ばれるとか。これならヒモになりませんから、夫婦のバランスがとりあえず成立するんですよね。
鈴木 そこで自分の求めてる承認が得られている女性は、何とかなる。彼は彼で自尊心があるし、奥さんがどんなに社会的に評価されても、旦那がうつ病になることは、あんまりないという。逆に、稼げなかったら価値ないっていうところに、普通の男がいるときついですよね。
橘 たしかに。男はそういう特殊な職業以外は、経済力こそが価値の証明みたいなところがどうしてもあるから。
鈴木 じゃあ、やっぱり今後は企業で働くのは女性にして、男はみんな、アーティストになればいいんじゃない。
橘 問題は、アーティストとして成功できる確率がきわめて低いことですね。たとえ売れない絵描きでも、有名な美術展で賞を取って個展を開けるのはごく一部ですから。そうなるとけっきょく、妻より自分が優れていることを稼ぎによって証明できないと安心できない。
鈴木 DNAに刻まれた何かがあるんですか。
橘 さすがにそれはないんじゃないでしょうか。でも、生物学的に女は選択する性で、男は競争する性だから、男の方が社会的な競争圧力が強いというのはあるのでは。それが社会的・文化的な環境のなかで表われてきて、「奥さんのほうが稼いでる」といわれてダメ男のレッテルを貼られると耐えられなくなる。
鈴木 超有名な文筆家の男性で、もちろん、彼は稼いでたし有名だったんだけど、奥さんが小説家デビューした途端に離婚したっていう話を人づてではありますが聞いたことがあります。成功はしてるのに、そもそもはやっぱり小説、フィクションの作家になりたかったって。
橘 自分がなりたいものに奥さんがなっちゃった。
鈴木 一緒にいて幸福感が得られないという理由で奥さんと別れて、でも死ぬまで好きなのは奥さんだけって言ってたっていう、なんかそういうすごい典型的な例もありますね。私たち女も、旦那の収入が高いほど自分の承認も上がるみたいな精神を直していくから、それまでに男の君たちも是正しといてくれ、と思いますよ。
なんか改革が、ちょっと中途半端。こちらが受けている印象は、そこそこ仕事する女性ぐらいまでを応援するか、全て諦めて超頑張る女性を応援するかという感じです。
男は稼げなくなると、非モテという「下級国民」に
橘 「女性が輝く社会」って言ってる政治家の妻が、みんな専業主婦ですからね。そんなのおかしいって言わなきゃ駄目なんですが、その政治家を批判するメディアや知識人も妻が専業主婦だったりする。
鈴木 イスラムの女性とか、なんで働かなきゃいけないのって、言いますよね。家の中にいてやることないから、みんな、超太ってて。西原理恵子さんの漫画にすごく面白くそれが描かれている箇所がありました。買い物も、なんでも旦那がしてきてくれて、家事はお手伝いの人たち。エジプトとかの、ある程度、少し進んだイスラム諸国にいる女性のエリートの弁護士とかが、女性の啓蒙に向かっても、働かなきゃいけないなんてかわいそう、と一蹴されて帰ってくるようですよ。
橘 イスラームを「前近代的な悪習」と批判する西洋社会には、「自由な女性は幸福じゃなきゃいけない」という強いドグマがあるんじゃないかと思います。幸福じゃないんならイスラームでいいという話になるわけだから。
鈴木 でも結局、イスラムはもちろん男女格差はすごくあるから。女性は男性と同じ教育を受けてないわけですよね、強いイスラム文化のところは。そうすると、無知だから、働くことによって自己承認を得なきゃいけないような頭や体には出来上がってない。でも、一度、賢くなってしまった私たちに、それは無理だから。
橘 元に戻ることはできない……。
鈴木 そう、いろんな知識を男性と同じだけ持ってしまった私たちは、彼女たちのような幸福をつかむチャンスはもうないので。働かないでいい、家事もしないでいい、子どもさえ産んでくれればいいって言われたら、やっぱり今の女性は、それこそ産む機械って政治家が言って大炎上したみたいに、怒るわけですよね。
橘 だからもう一つの選択肢を追求するしかないんだけど、その進み方が分からないみたいな。

2億円と専業主婦
鈴木 幸せになってるはずなのに、なってないのはおかしい、みたいな。それがあって、だから幸せになんないといけないって、すごい圧力みたいなのはあるんだけど。
橘 圧力ですか。
鈴木 おまけに、母親たちの世代から、あなたは私に比べて絶対に幸福じゃなきゃいけない、みたいな呪いを掛けられる気もします。それは大変ですよ。抑圧されてたおばあちゃんたちと、社会と戦って、頑張って後世のために女性が働く道をつくってくれた母たちのためにも、幸福そうな顔をしていなきゃいけないみたいな。確かに彼女たちに、私たちのような自由はなかった。かといって、でも連れてこられた場所はかなりいばらの道で、そこをはだしで歩かされながら笑顔でいるみたいな感じ。かつて女たちが夢見たはずの幸福の中に立っている私たちが、実はもっと複雑な不幸の中に立っているような気がしたのが、私がこの本を書いた動機ですね。
橘 自由な人生をいきなり与えられて、それをどう使えばいいのか分からないというのは、やはり女性のほうが難しいですよね。男のほうが恵まれてるとは思わないですけど、でもやっぱりシンプルですよね、戦略が。たくさん稼いでモテればいいわけだから。あと、生物学的な限界がないじゃないですか。50歳になっても子どもをつくれるわけですし。
鈴木 選択肢が、まるっきり働かない人からバリキャリまで、グラデーションで全部あるわけで、そうなると選びきれない。どちらを選んでも、これで良かったのかな、という思いから解放されない気がするんです。少なくとも、働かない選択肢は男性はないじゃないですか。男性の場合は、自分の能力とか体力とかを考えて、基本的には真っすぐ頑張ればいいんですよね。それを70速ぐらいに減速するっていうことはあっても、こっちを優先するためにこっちをちょっと諦めてみたいな、微調整はそんなに必要ないですよね。
橘 何かを諦めるっていう発想は男にはないですね。私自身も、家庭のために仕事を諦めると考えたことはないです。
鈴木 同じ800万円だったらイクメンのほうがモテるかもしれないけど、800万円のイクメンと、5000万円の超稼いでる男なら、家事なんかまるでやらなくても、まあ、ベビーシッター雇えるから5000万円でいいやってなるから。
橘 男の価値が経済力で決まるとなると、問題は、全く稼げない男はどうなるのかということですね。「持たざる者」は「モテない」わけで、社会的にも性愛からも排除されてしまいますから。
鈴木 なるほど。稼げなくても、じゃあ、主婦的な幸福があるかといえば、それもない。
橘 データでも年収300万円以下の男性の未婚率が極端に高いことがわかっています。男は稼げなくなると、非モテという「下級国民」になってしまう。
鈴木 女性のほうがいろいろ難しいことはあるけど、男性のほうが追い詰められやすいとは思います。ひとつなくしたら全てをなくすってなると。だから自殺も多いし。
橘 女性のほうがうつ病の罹患率が高く、自殺率は男が高いということに、その状況が象徴されていると思います。女は悩みが多いからうつになるけど、男はオール・オア・ナッシングで、ナッシングになったら死ぬしかないっていう。
鈴木 そう思うと、いろいろ選択肢のある女性のほうが、ましという見方もあるかもしれないですね。
オンナのしあわせはどこにある!?
第5回に続く。
橘玲(たちばな・あきら)
作家。1959年生まれ。2002年国際金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部を超えるベストセラー、『言ってはいけない 残酷過ぎる真実』(新潮新書)が45万部を超え、新書大賞2017に。『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)など著書多数。
鈴木涼美(すずき・すずみ)
1983年、東京生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京大学大学院学際情報学府の修士課程を修了。専攻は社会学。2009年から日本経済新聞社に5年間勤めたあと退職、作家デビュー。その他の著書に『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』(幻冬舎)、最新刊は『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(講談社)