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真打ち登場  クロマンタ

2017年07月21日 | 本・雑誌から
書物からの不思議を採り上げているのだが、今日は真打登場です。
当会会長 鈴木陽悦氏が情熱を持って取り組んでこられた
「クロマンタ 日本ピラミッドの謎を追う」です。

ここで鈴木陽悦氏の略歴を記すと
中央大学付属高等学校(1学年先輩に小倉智昭がいる)、中央大学経済学部卒業。学生時代からSFファンとして、SF同人誌を主催するなど活発に活動。現在も「秋田SF研究所」特別顧問をつとめる他、SF大会などにゲストとして参加。高千穂遥、永井豪、東京経済大学教授の山田晴道らと交友がある。

1971年(昭和46年)秋田テレビにアナウンサーとして入社、記者やニュースデスクを経験した他、鹿角市の黒又山の学術調査に携わり、これについての本を出版する。
2004年(平成16年)1月に退社して、同年7月、第20回参議院議員通常選挙に秋田県選挙区から民主党と社会民主党の推薦を受け、無所属で立候補して当選する。


この経歴の中の”鹿角市の黒又山の学術調査に携わり、これについての本を出版する。”が今日のテーマであります。


この本は1993年評論社より発行、300ページに及ぶ大作である。内容の概略は

日本にピラミッドがある――そういうと、驚かれる読者もいるかもしれない。一般にピラミッドといえば、エジプトや中米にある石積みの巨大建築物を思いうかべるはずだ。だが昭和の初期、こうした世界のピラミッドはすべて、日本が起源だと主張した人物がいた。神学者の酒井勝軍だ。

詳細は省くが、酒井によればピラミッドには次のような定義があるという。
本殿(ピラミッド)が整然とした三角形をなしていること。ただし完全な人工の山である必要はなく、自然の山や地形を利用してもよい。
本殿の頂上もしくはその付近に、太陽石を中心として周囲に円形に石を配置した列石(ストーンサークル)や磐境(巨大な岩)があること。
近くに本殿を拝する小さな山があり、そこに祭祀用の施設が置かれていること。

これらの条件を備えたときに初めて、その山はピラミッドとしての資格を満たすというのが酒井の主張だった。酒井は実際に日本中の山を調査し、1934年、広島県で最初のピラミッド「葦嶽山」を発見する。以後、日本列島各地でピラミッドの「発見」が相次いだのである。

そうした日本のピラミッドのなかでも、もっとも美しいピラミッドといわれるのが、秋田県鹿角市十和田大湯地区にある黒又山ピラミッドだ。「クロマンタ」山と読むが、これはアイヌ語で「神々のオアシス」を意味する「クル・マッタ」が訛ったものだとされる。内陸にあるものの、周囲にはこれといって山がなく、独立した稜線を見せているので、ピラミッド状の美しい山容がより映えるのだ。


この黒又山ピラミッドに、日本初の学術調査団が入ったのは、1992年のことだった。その結果、いくつかの事実が明らかになっている。

まず、レーダーによる地質学調査で、山体そのものは溶岩が盛りあがってできた自然の構造物であることが判明した。ところが斜面には、7段から10段ほどのテラス状の遺構も確認されている。このテラスは張り出し部分で幅約10メートル、高さは2~3メートルもあり、麓に近づくほど広く高くなる傾向があった。また、テラスの表面には小さな礫がびっしり貼られていることもわかっている。

ということは、かつての黒又山ピラミッドはこの礫で覆われていたことになる。現在のように樹木で覆われていない状態であれば、礫が太陽の光を反射し、この世のものとは思えない美しさで輝いていたに違いない。

一方、山頂は現在では平らに整えられており、そこに本宮神社が鎮座している。近くではメンヒル(立石)や縄文土器も発見されているから、この山頂が古代における祭祀場であった可能性はきわめて高いと考えられる。

さらに、神社の真下には巨大な岩が存在することと、頂上から少し下った場所の地下10メートルほどの地点には、南・西・北の三面を壁で囲まれた一辺10メートルほどの空洞があることもわかった。つまり、黒又山ピラミッドは、もとになる基底部分こそ自然の山だが、地下や表面に人の手が加えられているというわけだ。また、神社の地下にある巨大な岩を酒井がいう太陽石だと考えれば、過去においてはその周囲にストーンサークルが配置されていたことも十分考えられる。

問題は遙拝所となる山の存在だ。じつは黒又山の北東数10メートルには、「小クロマンタ」と呼ばれる小さな山がある。まだこちらにまで調査は及んでいないのだが、ここが遙拝所として有力な候補地になっているのだ。

そこで気になるのが、同じ秋田県鹿角市にある野中堂遺跡と万座遺跡にある「大湯ストーンサークル」だ。ここから見ると、黒又山の美しい稜線が、はっきりと見通せる。それだけではない。黒又山山頂の本宮神社では、丸い川原石が組石や礎石として使われているのだが、これは大湯ストーンサークルで使われている川原石と、まったく同質かつ同サイズのものなのだ。


だとすれば、大湯ストーンサークルと黒又山ピラミッドが、共通の目的で使用されていた可能性も生まれてくる。もしかするとこの一帯は、古代東北における重要な祭祀センターだったのかもしれない。出典=「ムーSPECIAL 戦後日本オカルト事件FILE」

この1992年の学術団の調査に最初から関わり、同志社大学辻講師との出会い、保坂カメラマンとのコンビで調査の実施をテレビで伝えてゆく一連の内容はドキドキの連続だ。
クロマンタの内容は下記画像からリンクでご参照ください。

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