■「手洗い」を徹底指導させる
それからはセンメルヴェイスは手洗いを徹底指導させることとします。学生や生徒たちが解剖後に手洗いをせずに処置室、診察室へ行くことを禁じ、塩素系漂白剤を溶かした水で手を洗う決まりを作りました。すると、第一産科の分娩時死亡率は、第二産科と同じようにみるみる2%まで低下していきました。

 

センメルヴェイスのおかげで、衛生管理の必要性が見直される機会が与えられました。センメルヴェイスは、消毒法及び院内感染の先駆者として、「院内感染予防の父」と呼ばれ、「英雄」として讃えられましたとさ。メデタシ、メデタシ……、とは残念ながらならなかったのです。

 

■反逆者として追い出される
手洗いを勧められた医師たちは、センメルヴェイスのやり方をおもしろく思っていませんでした。医師のせいで死亡したと指摘した際には、医師の重鎮も含まれていました。ウィーン医師会は、彼を「危険人物」とみなすことになります。一部理解を示すものもいましたが少数派であり、結局任期がきれた時点でクビを言い渡されます。

 

センメルヴェイスがいなくなるともちろん死亡率は元に戻るのですが、もともと彼の方法論自体が認められていないのでどうしようもありません。お産は死亡率が高い危険なもの、死亡したのは医師の責任ではない、という概念は変わることがありませんでした。センメルヴェイスが行く先々で「手洗い」の必要性を説きますが、どこに行っても旧敵の策略で追い出されます。

 

■孤立無援でも奮闘、公開質問状で問いただす
孤立無援でも信念を曲げずにがんばり続けます。追放されても活動を続け、全産婦人科医に公開質問状を送るという暴挙に出るのです。しかし、「医学界の神」と呼ばれる大学者から否定されることで、無名の医師の「珍説」はあっけもなく葬りさられることになります。

 

それどころか、何とかしなければと感じていたセンメルヴェイスの敵たちに、医師としての職を奪われたどころか、彼を「精神障害者」にしたあげられて、精神療養所に幽閉されてしまうのです。