福島第一原発事故をめぐる東京電力の賠償は不十分だとする判決を、仙台と東京の二つの高裁が続けて言い渡した。事故によって避難を余儀なくされた人々が起こした集団訴訟は約30件ある。さきがけとなった両高裁が、そろって今の賠償のあり方に疑義を呈した意義は大きい。
裁判で被災者側は、避難指示が解除されても、かつて暮らした地域に戻るのは簡単ではないし、戻っても、まちや地域社会は全く違うものになってしまっていると訴えていた。
いずれの高裁も、被災者たちが「ふるさとの喪失・変容」と呼ぶこうした被害の深刻さを認め、避難を強いられたことや、その後の生活に伴う精神的苦痛とは別に償われるべきだと判断。支払い済みの金額に上乗せして慰謝料を認めた。
東電は、政府内に置かれた原子力損害賠償紛争審査会が定めた指針にこだわり、それを上回る一律の支払いをかたくなに拒んでいる。簡易な手続きによる損害回復をめざして設けられた「原子力損害賠償紛争解決センター」が、集団申し立てを受けて和解案を示しても、相次いで拒否。さらには、審理を重ねたうえで福島地裁がした和解勧告まではねつけた例もある。
受け入れれば全体に影響が及び、賠償総額が膨らんでしまうとの危惧があるのは明らかだ。しかし東電は、事故後に「3つの誓い」として▽最後の一人まで賠償貫徹▽迅速かつきめ細やかな賠償の徹底▽和解仲介案の尊重――を宣言している。
この誓いを踏まえ、両高裁の指摘を真摯(しんし)に受け止めて行動するのが、未曽有の事故を起こした企業の当然の務めだ。国策として原発を推進し、東電の実質的な大株主である国にも、厳しく指導する責任がある。
二つの判決は指針の不備も浮き彫りにした。事故直後に作られ、何度か改定されたものの、原発事故の実相に対応できていない面があるのは明らかだ。「ふるさとの喪失・変容」は、事故から9年という時が流れたからこそ、はっきり見えてきた被害といえる。それが人々にどんな影響をもたらしているか。議論を深め、指針の見直しに着手するときではないか。
判決に問題がないわけではない。支払い済みの金額ですでに損害が補填(ほてん)されている部分があるとして、上乗せ分は1人あたり100万~250万円にとどまり、被災者から「実情に見合わない」との声も出ている。
解を見いだすのは容易ではない。だからといってこの不正義を放置して良いはずがない。賠償問題で被災者の労力と時間をこれ以上奪わぬよう、知恵を出し、工夫を重ねる必要がある。
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