陸拾参.指輪とドライヤー
蒸し暑かった浴室が一気に涼しくなる。濡れた髪が冷えて背中に張り付いてむしろ肌寒いくらいだ。
俺「しまった。濡れたままだと逆に風邪を引いちゃうかも」
俺は慌てて浴室から出て用意しておいた法具を探した。それは少し変わったデザインの指輪だった。すぐにそれを指にはめて浴室に戻る。
俺「雪、ちょっとじっとしててね」
雪「ふぇ」
俺は指輪をした手で印を結んで短い呪文を唱えると、印を結んだ指の先から温風が吹き出した。その温風を雪の方に向けて濡れた小袖を乾かし始めた。
それは元々は風呂あがりにドライヤーとして使うつもりだった魔法だった。カモフラージュのためにうちわがいくつもついたハリボテの機械のようなものも用意してあって、それでごまかしながら魔法で髪を乾かすつもりだったのだが、もうこの際仕方ない。
雪「竹姫さま…」
雪は複雑な表情で俺を見ていた。俺はそんな雪のことを直視できなくてただひたすら雪の小袖を乾かすことだけを考えていた。
雪は一体不思議な言葉を話して不思議な技を使う俺のことをどう思うのだろう。これまで、雪の目の前で魔法をつかったことはないものの魔法で作ったものや魔法が引き起こした結果はいくらでも雪に見せてきている。そのたびに雪は驚いた表情は見せるもののすべてそれを受け入れてきてくれた。でも、まだ雪が見ている目の前で魔法を使うのは怖い。
なんでそう思うのかというと実はよくわからない。はっきりしているのは、俺は雪に嫌われたくないのだ。でも、きっと雪はそんなことで俺を嫌ったりはしないはずだ。だから俺は雪が好きなんだから。だけど、だからこそ嫌われたくないと思っているのも確かのだ。もしかしたら、俺は不安なのかもしれない。雪が俺の思っているような人ではないことに気づいてしまうことが。
俺は雪の小袖をすっかり乾かし終えてしまった。しかし、まだ俺は雪の顔を見る自信がなかった。雪の方は、はじめは青かった肌色も今ではだいぶ赤みが差してきている。もう大丈夫だ。
俺「くしゅんっ」
雪「竹姫さま、大丈夫ですかっ」
雪は身体を起こして俺のそばに寄ってきた。俺は雪から顔を背けるように俯いて床を見つめる。
雪「ここは涼しくなってしまいましたので、濡れたままですとお風邪を召してしまいます」
俺「わかってる。もう出る」
雪「わかりました。準備いたします」
そう言って雪は浴室から出ていった。俺は冷えた身体を温めるため湯船にもう一度浸かることにした。そして、猫らしい仕草で太ももの内側を舐めようとしていた墨を抱きかかえると、湯船に入った。
墨「あうあう」
俺「…」
そしてそのまま鼻だけ出して顔の半分まで湯船に潜り込んだ。
墨「ひっ、ひめさ、ガボガボ」
危なく墨を溺死させるところだった。
雪「竹姫さま、お召し物の用意ができましたが…?」
なかなか出てこない俺を心配したのか、雪が浴室に入ってきて声をかけた。
俺「うん。わかった」
俺はのろのろと立ち上がると雪の待つ脱衣所に向かって歩き始めた。
おかげ様で、前話の投稿の時点でお気に入り数が200件を超えていたようです。また同時に総合評価が600ポイントを超えました。これからもよろしくお願いします。
指輪に限らず、ありとあらゆるアクセサリーは平安時代には存在しません。より古い時代、たとえば弥生時代にはたくさんの種類のアクセサリーが使われていましたが、朝廷の権力が増大するに連れてアクセサリーの使用が上流階級に限定されるようになり、平安時代の国風文化の流行ですべての階層でアクセサリーが使われなくなったようです。
ですので、雪にとっては指輪も生まれて初めて見たものの1つなのです。