伍拾捌.唯一神
俺「墨ー。墨ー。あれ? どこ行っちゃったのかな? 墨ー。墨ー」
おっす、おら竹姫。現代日本の矛盾を一身に受ける男子高校生だった俺は、なぜか日本の最高神である天照大御神の気まぐれで平安時代に転生させられて、しかもなぜか女の子の身体になってしまってからはや2ヶ月と半月。暦はすでに7月文月に差しかかろうというところになった。
今、俺が探しているのは使い魔の墨。いや、あれを使い魔なんて呼ぶのは恐れ多い。むしろ神だ。唯一神「墨」、それこそが俺がこの腐りきった平安の世に打ち立てた新たな希望の光なのだ。
時は遡ること1ヶ月前。天照の壮大な釣りに引っかかって大暴れをした後、ヘロヘロになって泥のように眠り込んだ翌朝、もとい翌昼、雪に起こされた俺はそこで神を見た。
俺の隣に添い寝するように、神々しいまでのオッドアイ猫耳幼女が全裸で横たわっていたのだ。
俺は一瞬でそれが神だと理解した。天照なんてちゃちな神ではない。まごうことなき本物の神だ。ちっちゃくてぺたんこで全体的にぷにぷにしていてしかもオッドアイ猫耳猫尻尾。これが神でなくて何だというのか!?
思わず俺は神を抱っこして猫耳をもふもふしていた。神が墨だということに気づくまでたっぷりと10分はかかったと思う。
俺「ハアハア…。い、いかん。思わず興奮していた。墨ー。墨ー」
ところでどうして俺が墨を探しているかというと、とうとうお風呂ができたからだ。苦節1ヶ月。お肌にやさしい石鹸、シャンプー、リンス、トリートメントの開発に勤しむ傍ら、職人に丈夫な風呂桶を発注して、ようやくすべての準備が整った。やっと墨と水入らずでお風呂を楽しめる。
俺「げへへへへへ。い、いかん。思わず素が出ていた。墨ー。墨ー」
平安時代の人はお風呂に入らないという話は前にした。だから俺は上質の麻の手ぬぐいで身体を拭くのを日課にしていたのだが、やはり暑くなってくるとお風呂が恋しくなる。それが日本人というものだ。平安人も日本人だけど。
お風呂に入るには湯船にお湯を張る必要がある。この湯をどこから調達してくるかというのが意外に難題だった。基本的に平安時代の上水は井戸水だ。平安京は水が豊富な都市ではあるものの、お風呂に使うほどの水を毎日汲み上げるのはちょっと気が引けるし何より重労働だ。ついでにそれをどうやって沸かすかという問題も解決しなければならない。
いっそ温泉掘っちゃえばいいんじゃね? 俺って天才?
庭に天然かけ流しの岩風呂があるとか男のロマンだぜ、と割りとマジで検討したのだが、温泉を掘り当てても自噴してくるかどうか分からなかったのと、掘り当てるまでに平安京の地形が変わりそうな魔法しか見つからなかったので断腸の思いで自重した。
そんなわけで試行錯誤の末、魔法で水を作り出して風呂を満たしてから、風呂桶に設置した居住結界で湯温を調整するという若干裏技的だが極めて普通の仕掛けに落ち着いた。
俺「お。墨。やっと見つけた」
と、説明している間に墨を見つけた。墨は日当たりのいい縁側でひなたぼっこをしていた。
墨は人間化した後も、猫っぽい習慣を維持していた。最初のうちは服を着るのを嫌がったりご飯を猫食いしたり床下に潜り込んでネズミを追い回したりと相当手を焼いた。相当美形の猫耳幼女が全裸で床下を這いまわってネズミを追い回しているのはかなり頭の痛くなる光景だった…。
俺「墨。起きてよ。墨」
今の墨の格好は、子どもっぽい小袖を1枚羽織っただけの格好で縁側に寝そべっていた。前がはだけないように紐を結んで止めているものの、なるべく太陽に当たる体表面積を広くしたいのか、裾や袖を捲り上げて白い太ももや二の腕やうなじを顕わにしていた。
ところで、墨はもともと黒猫だったのだが、人間化したら透き通るような白い肌になり、黒猫だった名残は黒髪と眉毛とまつ毛と猫耳と短尾の猫尻尾にのみ残るだけになってしまった。ちなみにそれ以外の部位に毛は生えていなかった。あー、つまり、そういうことだ。
俺「墨。墨」
墨「…、はうっ。ひ、姫さま。何かご用でしょうか?」
ようやく気がついた墨は飛び起きて平伏した。この辺の反応は人間化する前から全然変わっていない。墨を唯一神として崇拝するようになってからは、墨に危害を加えるようなことはやっていないのに。
俺「お風呂が完成したんだけど、一緒に入ろ」
墨「ひ、ひどいことしないでくださいよ」
善処します。
第2章開始です。竹姫は少し成長して、満12歳くらいになったと考えてください。
平安京の下水については平安京一日ツアーの時に側溝が張り巡らされていることを書きましたが、上水の方は井戸水らしいです。平安京は水利の良いところに建てられていて地下水が豊富だったため、井戸を掘るとすぐに水が出てきたと考えられているそうです。