第二戦からちょうど二週間が経過し、この戦争が始まってちょうど一月の節目を迎えた日。
格子門の前に布陣するナザリック守備隊を包み込むように、突如として濃霧が立ち込めた。
無論、付近に水源など無い丘陵地帯。自然に霧が発生する可能性は皆無に等しい。
唯一、魔法という手段を除いて。
それに気付いた同盟軍は素早く戦列を整え出す。そして、全軍の整列が完了した、ちょうどその時。
霧が晴れ、新たな軍勢がその姿を見せた。
矢印状に兵を配置した鋒矢陣形は中、後衛を
そして前衛の中央、陣形の最も突出した部分には四体の
総数は僅か三百と六十ほどだが、異形の怪物を除いてもどのアンデッドも膨大な力と恐怖を感じさせる者達ばかり。
「本気だ」
誰かが呟いた言葉は、雲一つ無い虚空に消えた。
―――――
「ふむ、やはり動きは無いな。囮として私はそれなりだと思うんだが」
誰にともなく言ったシルアの呟きに答える声があった。
「問題ない。ここまでは予想通りさ」
シルアはつい辺りを見回してしまうが当然、声の主は近辺に居ない。彼は今、指揮所からこの戦場を見下ろしている筈だ。
「クリプト殿、予想通りとはどういう事だね?」
「これはあくまで私見なんだが今ここに来ている法国の兵達は、法国軍であって法国軍ではないのだと思う」
「……すまない。もう少し分かりやすく頼む」
頭の中で断続的に聞こえていた声が一瞬途切れた。
「そうだな。まず、今回法国が送り込んできた敵の姿はシルア殿も見た事があると思うが、彼らは何か所属を示すものを持っていたか?」
そう言われ、シルアは魔法で盗み見た敵の姿を思い出す。
クリプトの言う通り、彼らは己の信仰する神を示す聖印や、それが刻まれた装備品は持っていたが、伝え聞く法国の紋章を身に付けている者は一人も居なかった。
「確かに、言われてみればその通りだ」
しかし、シルアは異を唱える。
「いや、待ってくれ。確かに奴らは法国の兵であることを示す物は所持していない、それでも他ならぬ奴ら自身がそれを認めている。それで十分奴らの所属が明らかになっているのではないか?」
打てば響くようにクリプトが答えた。
「跳ねっ返りだ、と答えれば良いんだよ」
「答える? いったい誰……そうか」
これまでシルアの中で引っかかっていた疑問が完全に消え去った。
「つまり、奴らは鉱山のカナリア兼
「おそらく、だがな」
シルアはなるほど、と言いながら何度も頷く。
「同盟国には今の状況で送れるだけの兵力を急いで送ったと伝え、我々には一部の、それこそ過激な跳ねっ返りが暴走しただけだと釈明し、恐らく兵達には神託を受けし神兵達だ、とでも言って送り出したってところかな」
シルアの頭の中にクリプトの関心したような声が響いて来た。
「ほぉう。最後の発想は無かったな。確かに少数で兵を敵地に送り出すのだから、兵達を言いくるめておく必要がある……か。しかし、君からその手の単語を聞くのはなんだか意外だな」
笑みを含んだ声にシルアも笑みを――浮かべたかったが、残念ながらシルアの表情は自分で変える事は出来ない。
「まぁ私自身、実に滑稽に感じているよ……うん? おやおや、ようやく動きを見せ始めたようだぞ、クリプト殿」
シルアの目線の先――同盟軍の中央付近で複数の光が生まれ出した。
―――――
同盟軍が有する数少ない切り札はあろうことか両軍がぶつかり合う前に発動される事になった。いや、このあまりに早すぎる切り札の使用は同盟軍の焦りを表しているのかもしれない。
彼らの切り札。高位神官達による天使召喚儀式は複数の天使を召喚出来る為、性能だけ見れば第六位階の天使召喚魔法に匹敵するものの、複数召喚する性質上召喚出来るのは最高でも権天使までと、使い勝手はむしろ悪い。
しかし、恐ろしいアンデッドを目の当たりにした同盟軍の兵達には光の柱と共に現れた天使達はまさに希望だった。
例えそれが、どれほど儚くとも。
同盟軍の中央部からナザリック守備隊の先頭――シルアまで無数の天使が殺到する。
儀式魔法で召喚されたものに加え儀式に加わっていなかった神官達が召喚した天使もシルアめがけて飛びかかった。
その様子を退屈そうに見ていたシルアは隊列から僅かに歩み出ると、背後にアインズ・ウール・ゴウンの旗を突き立て、巨大な鉤爪の生えた両手を構える。
天使達の先頭を進んでいた炎の上位天使達の剣が振り下ろされようとしたその瞬間、シルアの右手が霞み、無数の光の粒子が舞い散る。
その様はどこか幻想的で、同盟軍の兵士達はここが戦場である事も忘れて感嘆の声を上げた。
死をものともしない天使達は鉤爪の生えた巨腕を意に介さず、次々と武器を構えて飛びかかっては振るう間も無く消し去られる。
そして、ものの五秒ほどで突撃した天使達は全て光の粒子に成り果てた。
異形の存在の周囲を無数の光が乱舞する、その現実離れした光景を兵士達はぼんやりと眺めていた。そこに切り札を失ったという危機感はまるで見られない。
いや、この光景が何を意味するか知っていても脳がそれを受け入れようとしないのだ。
しかし、そんな同盟軍に現実を叩きつけんとナザリック守備隊が行動を開始した。
―――――
「お見事」
「大したことはないよ。あの程度なら私じゃなくても対処出来る」
クリプトの賞賛の言葉に対し、シルアの満更でもなさそう声が返ってきた。
「ではクリプト殿あとはお任せする。それと王国の軍には手を出さないということだったな?」
「その方向で頼む。かの御方の力を知らしめるために」
「了解した、では後ほど」
「ああ武運を」
それだけ言うとクリプトはスキルで強化していた〈伝言〉の魔法を終了する。
「さてさて、こちらも動き出すとしようか。|投擲《カタパルト〉隊攻撃開始。デス・ナイト、デス・キャバリエ両隊は敵左翼、帝国軍へ向け突撃。その後デス・キャバリエは敵の前衛の背後に回りこれを分断、デス・ナイトは正面から敵兵を狩り殺せ」
そこでクリプトは息を深く――勿論、ただの真似事でしかないのだが――吸い込み、命令を発する。
「協力を約しておきながら至高の存在に刃を向ける、汚らわしい愚者共に恐怖を教えてやれ!!」
雄叫びを上げ、クリプトの新たな同胞達はかつての仲間の元へ突撃する、殺戮の歓喜と共に。
―――――
「では、行くか。っとその前に」
シルアは自分の護衛として貸し与えられた骨の竜達に目を向ける。
「お前達はクリプト殿の指示に従うように、それと悪いが一体はこれを守っていてくれ」
シルアは傷はおろか汚れ一つない旗を指差す。
骨の竜達が了解の意を示すとシルアは一つ頷いて転移魔法を発動した。
景色が一変し、目の前には柵などの防御設備が皆無な天幕などの簡易住居群が確認できる。
(あれが本陣だったな。一応確かめておこうか)
シルアは生み出した魔法の感覚器官を敵の本陣まで飛ばす。
感覚器官は障壁などに一切妨げられることなく本陣内に侵入を果たした。
(アインズ様が仰っていた殺してはいけない者はと。やはり居るな、なら少し離れた場所を狙うか)
本陣の周囲に建てられたそこそこの大きさの天幕をターゲッティングし、スキルを使用する。
最もモンスターとして魔法行使能力に長けているだけのシルアには通常の魔法詠唱者のように魔法強化のスキルを使う事は出来ない。
だが、スキルを用いれば模倣する事は出来る。
模倣するスキルは魔法三重化だ。
「〈魔法三重化・朱の新星〉」
同盟軍陣地内で荒れ狂った炎は、その範囲内に有ったあらゆる生命を焼き尽くし、そして夢幻のごとく消え去った。
しかし、真っ黒な焼け跡と焼け跡の中に点在するもはや誰の物かも判別出来ない死体だけが、先程の炎が夢でなかったということを物語っている。
充分な破壊に満足したシルアは僅かな落胆と幾ばくかの期待を胸に歩を進める。
―――――
ガゼフとブレインはレエブン候配下の元オリハルコン級冒険者チーム、スレイン法国聖印騎士隊の隊長フェルネスと精鋭班およそ五十人、そして同騎士隊の魔術師班五十人の総数百人――他は帝国軍の最前列に投入されている――と共に同盟軍陣地の前に立っていた。部下の戦士達とクライムは王を逃がすために本陣内に残っている。
もっとも、陣地とはいえここは複数のテントが建ち並んでいるだけで柵などの防御設備は一切無い。
主な理由はただ費用を用意できなかったから、というものだが。実際の理由は不完全な協力体制にある。
帝国は自前の陣地しか使用していない為、実質王国軍陣地となっているこちらに費用を割く気はなく、法国は兵を送れない分を物資などで支援していたが、大軍を賄う為に日々多くの物質が消費される状況では法国が送ってくる物質だけでは充分とは言い難く。結局、このような設備を建設する余裕はなかった。
ガゼフ個人としては、いくら元々敵同士とはいえ、こんな時ぐらい素直に手を取り合えないのかと言いたいところだ。
しかし、今は柵が無くて良かったとすら思える。
柵が有れば退路を抑えられる可能性が高い、散り散りに逃げた方が個々の――王の生存率も上がるだろう。
「ストロノーフ殿、どうかされたのか? 何か気になることでも」
声を掛けてきたボリスに首を横に振りながら答える。
「いや、なんでもないさ」
「忘れ物でもしたんなら早く取りに行ったほうが良いぞ。あの化け物が待ってくれるとは限らないしな」
ブレインの軽口に笑みを返しながら、視線を前に向ける。
そこにはこちらにゆっくりと歩を進めてくる悪魔。
枯れ木の様な骨と皮ばかりの頭の無い身体、そしてその上、途中から枝分かれした様な首の先にぶら下がる四つの人間の生首。
大人の男性と思われる物も有れば、まだ少女と呼んでも差し支えない様な物も有る。
子供が描いた化け物が実体を持った様な不気味な存在。
それはガゼフ達の前方百メートル程で歩みを止めると一人ずつ順に見回した。
「なるほど、君たちが私を食い止める壁役という訳だ。私は戦場の習いというものに明るくないんだが、名を聞けばいいのか?」
思っていたより理知的な、人の様な声だ。
もっとも、この声があの悪魔自身の声なのか、それとも飾っている生首の元の持ち主な物なのかは分からないが。
「私はリ・エスティーゼ王国王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ」
答えると悪魔の四つの頭がガゼフの方に向けられた。
「まったく、どっちも律儀なもんだ……ブレイン・アングラウスだ」
「火神の聖騎士、ボリス・アクセルソン」
「風神の神官、」
ブレイン、元オリハルコン級冒険者達が順に名乗り、悪魔はその全員に一度ずつ目を向け、最後にまだ名乗っていない法国の騎士達の方に目を向けた。
「それで、そちらは?」
「悪魔風情に名乗る名は無い」
サンドが鋭い刃物で切りつけるかの様な声音で答え、他の騎士達は無言の同意を示した。
しかし、悪魔はその敵意を意に介さず口を開く。
「そうかね。まぁ、それならそれで構わないんだ。では、こちらも……。我は恐るべき力の王、アインズ・ウール・ゴウン様の配下に名を連ねし兵卒が一人
ガゼフ達は一瞬驚きの表情を浮かべるが、シルアからの先程までと変わらない殺気を受けニヤリと、戦士の笑みに変わった。
相手もこちらがどう答えるか分かっているのだ、それが正しかったというだけの事だ。
そして、この場に集まった全員が各々の武器を抜き、眼前の化け物に向け、吼えた。
『断る‼︎‼︎』
人として最高に等しい力を持つ者達の咆哮は空気を震わせ、立ち昇る闘気で景色が陽炎のように揺らいで見せる。
普通の人間ならいや、例え幾多の死線を潜り抜けてきた者ですらたまらず逃げ出すような気迫を前にしてもシルアは平然と告げる。
「やはり、な。ならば良いだろう、貴様らに絶望を教えてやる!」
対艦ヘリ骸龍さん誤字報告ありがとうございます