音MADをやっている人が映像か音楽のどちらかに特化してプロになることはあっても、音MADでそのままプロになるということはないですよね。それを 誰かやってくれないかなあと思っています。
音MADをつくるためには映像と音と両方とも編集できないといけないですね。だから音MADはたいへんオールラウンダーな能力は身につくのですが、 そのぶん音にも映像にも特化はしていない印象があります。ある意味でオールラウンダーの専門家といえるのかもしれません。しかし、それゆえに活用の場が限られる技量になっていると感じることもあります。
映像も音も編集できるのが音MAD作者の強み。でも、そのぶん強いコダワリをもっている人は少ない印象があります。たとえば、かっこよく見せたい音MADにクソみたいなフォント使ってる人なんかも意外と多いです。もったいないなあと思ってしまう。ちょっとのコダワリでずいぶんと印象が変わることは意外と多いかもしれません。
音に関してもMIXなどの専門的なところはよくわからない音MAD作者が多いと思います。少なくとも、自分は適当にやっています。
そして、このようなアマチュアらしさが音MADのよいところでもあるというのも事実です。気楽につくれるというのは大きいです。私が音MAD作者だからかもしれませんが、映像MADやDTMと比べると音MADはハードルが低いように感じます。
逆に映像の人とかDTMの人が音MADをつくることもありますね。各スキルは音MAD作者よりもはるかに高いものをもっているであろう作者の音MADですが、音MADとして見るとちょっとした違和感を感じることもあります。
そのようなことを考えると、音MADをつくりつづけることで「音MADスキル」は蓄積されているのかもしれませんね。音MAD特有の演出方法も多いし、ネタを多用するというのも音MADの特徴の一つだと考えています。
しかし、「音MADスキル」があったとしても、 プロになるということではいかんせん利用が難しいです。「音MADつくってくれ」というような企業もないです。これまでに戦国乙女の動画コンテストや松屋の飴切りなんかは音MADが活躍していましたが、そのような例はめったにない。音楽にしろ、映像にしろ世間での需要は大きいのだけれども、音MADの需要は皆無です。
もちろん、音MADは映像も音も借り物だという弱みはあります。しかし、それは映像MADからプロになる人にも同じことがいえます。映像の需要があるから、映像を求める企業が素材を提供して公式にMADがつくれるわけです。そしてできあがったものはMADではなく、公式の作品になる。
音MADも音MADというジャンルを求める人が使ってもよい素材を提供してくれればよいのです。だから、音MADは映像も音も借り物に過ぎないというのは、音MADでプロになれない本質的な問題ではないと思います。
あとプロとはなんなのかということがありますね。私はプロのクリエイターは対価にお金をもらって創作をする人だと考えます。なので企業などのお金をもっている人が音MADを求めないと、音MADの需要が世間に発生しないと音MADのプロになるのは難しいです。
音MADは一部で特殊文化として浸透していても、それはけっしてポピュラーではない。だから、遊びでつくる人がような多いというのが現状なのかなと思います。だからこそ、アマチュアらしさということが大きいのかもしれません。それゆえに音MADというジャンルは居心地がよいということも考えられます。
これからの音MADの展望はどうなるのでしょうか。最初にも述べましたが、私は対価を受け取りプロの音MAD作者になるJKがあらわれることに期待しています。