渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

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2020年02月27日 | 公開情報

この過去記事がここ数日よく読まれている。
⇒ ウォブル /WOBBLE

どうせ、どこぞの悪所にリンク貼りを
して、内容の深部についての的確な
理論的批判とかではなく、「おまえの
かーちゃんでーべーそ」的な揶揄をして
嬉々としている埒もない連中の便所の
壁の落書きだろうから、こちとら関係
ない
のだが、見抜くという事について、
真摯に考えたい方々のために、一つ

事実を指し示す。




ウォブル発生。フロントを抜いて瞬時に
対処開始。


フロントステアがかなり暴れている。


コントロールするためにさらに前を抜く。


マシンの暴れとラインのずれをどう
補正するか読んでいるところ。


ここでさらにリヤに加重してリヤタイヤ
を潰してフロントサスを伸ばし、フロント
荷重を
抜いている。サーキットなどでは
多くのライダーは、ウイリーまではいかな
い軽くフロントアップさせたりすることで
この暴れに対処することを励行している。



クリアして切り返して通過。
これらのことを0.7秒くらいの間に
すべて瞬時に判断して的確な行動を
実行に移す。



これが何を意味するのか。
私の年代の乗れるライダーは同挙動が
発生したならば日常的にやっている事
である。誰もがやっている。乗れてる
人は。
ただ、それを人には教えないだけの
ことだ。
上述対処の内実の類型は、自己制御
による人為的なトラクションコント
ロールに関することにあたる。

ピーチクパーチクとネット悪所で
口汚くほざいている暇があったら、
その時間を自分が乗れるように乗り
込みに割いたほうがよい。
痰壺ネットや悪口ツイッターで喚いて
喜んでいる限り、100年たってもライ
ディングは上手くはならない。
まあ、人間的性根が腐ってるから
何事も全く向上しはしないだろうが。

もう一つの事実がある。

私は転ばない。1985年から一度も転ん
ではいない。
二輪の挙動に対する「対処」ができて
いるからだ。
また、自分の限界を超えない判断力も
働いている。
これは現実的に起きている事実が動かし
ようのない事実なので、どうしようも
ない。事実は事実だ。
それなりのことを実行しているから
転ばない。
私とて、それを外すと、マシンがとん
でもない制御不能になることだろう。


二輪走行にとっての一つの絶対的な
真理。
それは「転ばないこと」である。

真実一路。
この真実とは、転ばぬこと。
真(まこと)の実のある人になって、
二輪に乗ろう。

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