建州女直(読み)けんしゅうじょちょく(英語表記)Jian-zhou-nü-zhi; Chien-chou-nü-chih

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中国,明末に遼東の東北方山岳地帯に勢力を有した女直 (→女真 ) の部国家。これが発展して後金清朝が形成された。明末にはフルン (扈倫) 四部 (海西女直) ,野人女直と併称される女直部族国家三大勢力の一つであった。明朝は女直族の招撫支配のため建州衛,建州左衛,建州右衛を設置したが,彼らは衛所を通じて明朝と交易を行なって明の社会,文化の影響を受け,中国化しつつあった。 16世紀後半から明との関係が悪化し,一方では衛所組織を通じて配下の女直人を統制することが困難になり,三衛の内部も混乱した。やがて実力者の率いるアイマン (部) が形成され,三衛に代っていわゆる建州五部が出現する。五部 (スクスフ,フネヘ,ジェチェン,ドンゴ,ワンギャ) をヌルハチ (奴児哈赤)が統一して建州女直国が成立し,これを基礎に全女直族を支配し,後金国が形成され,朝の基礎となった。

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世界大百科事典内の建州女直の言及

【清】より


【入関前】

[満州族の興起]
 満州族は,東北の東部山地を原住地とするツングース語系の民族で,かつて12世紀に金朝を建てた女真族の後裔である。明代には女直(じよちよく)とよばれ,長春,ハルビン(哈爾浜)一帯に住む海西(かいせい)女直,遼陽の東方山地の建州女直,その東北方奥地である沿海州一帯に住む野人(やじん)女直の三大部にわかれ,それぞれ明朝の間接的統制を受けていた。清朝の創始者である太祖ヌルハチ(弩爾哈斉,奴児哈赤)は,姓をアイシンギョロ(愛新覚羅(あいしんかくら))という建州女直の名族の出身であった。…

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