明治は終わるか
通信使としての朝鮮と、長崎の出島でのオランダとのささやかな通商外交で、外の世界との接触を保ってはいましたが、長年の太平の眠りも、「たった四杯の上喜撰」で眼が覚まされることなりました。
眼を覚ました後での動きが凄かった。外国との接触を受け入れた幕府に対して、“尊王攘夷”を掲げた薩長土肥が徳川に挑み、“錦の御旗”には抗なえない尊王の水戸家の出身で一橋家の養子に入り、念願の将軍職を得た慶喜を軍門に下らせました。
それはそれとして、明治新政府は、先進欧州諸国による清国の深刻な惨状を眼のあたりにして、防衛的でかつ積極的に先進国に学び、富国強兵に努めたのでした。
ここで話を変えますが、日本は古代から宗教については、“八百万の神”に代表されるように多神教の国でした。仏教であろうが儒教であろうが、害毒が及ばない限り全てを受け入れる寛大な国・国民性でした。
ところで、明治新政府の要人は、外交事情を知るべく積極的に外に出たのでした。明治の要人は、列強欧米諸国が精神的支柱として一神教としてのキリスト教の存在の重要性を目のあたりにしたのでした。
そこで、考えたのが、君が代を国歌とした天皇を現人神=唯一神としての日本教でした。廃仏毀釈は具体的な一つの行動でもあったようです。明治の要人は、この日本教を精神的支柱として日本は先進国へ肩を並べるべく急ぎに急いだのでした。急ぎに急いだ結果が、広島や長崎の惨状に繋がった・・・と思うのです。
奴間は思うのです。まだ明治は終わっていない・・・と。まだ明治は続くと思うのです。
さわ、さりながら、今上天皇の退位を一つの起点として、明治を密かに秘めながらも、新しき御代が生れることを望みたいものです。一時の混乱はあるかも知れないが、明治を左様ならして、新しき御代を作るべきか、明治を精神的支柱として、新しき世を作るべき・・・判断がつかないのです。
奴間誤老