打越眠主主義人民共和国

眠主主義の殿堂

一階のトイレの蛇口が壊れた

一階のトイレの蛇口からなんか水が漏れているっぽい。ぽたぽた言っている。ひねれば水が出るが限界まで締めても漏れる。桶みたいなやつ(ボウルって言うのかこれ?)を置いて水を貯めるようになっている。母親にこれなにって聞いたら水節約したいからそれ(ボウルっぽいやつ? 桶?)の水で手洗ってとのこと。は? 昭和かよ……。なんでもこの蛇口はイタリア製なので国産の部品では規格が合わないため修理不能らしい。

グローバリズムはクソ。

すべらない話

ちょうど去年の今頃にカナダで大麻が合法化された。そのときに見たニュース記事(いま検索しても見つけられなかった)にこんなことが書いてあった。

カナダ・〇〇市の市長が合法化に伴う大麻購入の列に並ぶ。市長は記者に「大麻は危険と証明されるまでは完全に安全」などと早口でまくし立てた。買う前からすでにラリっているご様子だ。

馬鹿かよ。なにが買う前からすでにラリってるやねん。ウケたわ。

それから一年。特に一周年とかは関係なくふとこのことを思い出した俺はこの名フレーズ「大麻は危険と証明されるまでは完全に安全」をラインの名前に設定したのである。

それから数日後、ツイッターのTLにこんなツイートが流れてきた。

マジでえ!??!?!?!!!??

ものすごい勢いで名前を変えた。あっぶね~~いまんとこ逮捕されてないっす。

以上。

https://twitter.com/hashimotoganja/status/1189878369657085952

https://twitter.com/hashimotoganja/status/1189878369657085952

https://twitter.com/hashimotoganja/status/1189878369657085952https://twitter.com/hashimotoganja/status/1189878085952

日記2019/10/21

フェミニストオタク文化と争うやつpart1145148101919 ~そして伝説へ~ が進行しているが本当になんの関心も無い。オタク文化に対する迫害には反対するしツイッターフェミニストは頭おかしいやつばっかだなと思うがそれはそれとしてオタクは実際きもい。マジでなんの関心も無い。でも乳袋は実在しないからセクハラだというフェミニストの意見に対して別の良識派っぽいフェミニストがいや私は乳袋できますよって反論している件に対してはふーん。そうなんだ。へぇー。ぐらいの関心がある。いや見せてほしいとかってわけではないですよ。ただやっぱり言説にフェアネスを持ち込む最良の手段はエビデンスだっていう意見には諸手を挙げて首肯する以外ないじゃないわけじゃないですか?

 

マジでムカつくぜ。思春期真っ盛りの男子高校生並みに。いやごめんそれは盛ったわ。まあでもぼちぼちムカつく。実際。いろいろと。小さいころかいけつゾロリを買ってた地元の本屋が無くなるのがムカつく。小学校の同級生(別に仲良くなかったし名前も思い出せない)の実家の、週一で通っていたカレー屋が二年前に無くなったのもムカつく。閉店間際の頃にふと一人で行ったら、レジに貼ってあった昔の写真に写ってる奥さんがびっくりするぐらい若作りしているのに気がついて、目の前のおばちゃんと同じ人だってすぐに気がつけなかった。あれは衝撃的体験だった。とにかく個人経営の店とか地元の小さな店とか消えてそこら中コンビニばっか作ってやがるのが気に入らねえ。いらねえよコンビニ。増えすぎだろ。増えてるわりに俺の家の徒歩十分以内には永遠にできないし最寄りのコンビニは峠の向こうなんだわ。はあ? 峠とかどこの田舎だよ。田舎すぎるし台風で駅のよこの川氾濫しねーかな俺の家高台だから余裕だしって思ったけど氾濫しなかった。川は陰キャ

横浜もどんどんつまらない街になっていく。俺が中学生のときは川沿いに違法営業のクソ高いぼったくり屋台がズラーッと並んでたし西口界隈にはストリップ劇場とかあった。大人になったら行きたかったのに……。あちこちに昔から営業してるゲーセンがあってアメリカングラフィティの三階にはアジア仕様のメタルスラッグXとボンバーマンがあった。昭和が生き残ってたわけ。実は俺らぐらいの世代が昭和だと思ってるものの多くは平成初期なんだけどそれはいいのよ。とにかく今はそういう猥雑なものがどんどん消えてチェーンの小綺麗な店が増えている。クソかよ。はなまるうどんはまあ許すよ。アップルのオフィスビルとかは津波に流されろよ。横浜はしょせんそういう街ではないわけ。川崎とうんこ投げ合ってろよ。いや川崎はうんこ無限に補給されるから横浜が不利だな。やめるわ。ウケる。てか町田侵略しね? 領土じゃん。奪還しろよ。

この前友達と横浜で遊んだとき風俗のキャッチの兄ちゃんが「お兄さん。Tバックおっぱい。Tバックおっぱいです」って声かけてきてさ、俺は嬉しかったね。新宿のキャッチとか相手にしてみ? マジで個性のかけらもないから。ここではひとりひとりのキャッチが独自性を発揮している。そういう個々人の強さをエンパワーメントしていくのが横浜なわけ。いずれ揺り戻しがやってくる。横浜駅の工事は実際いまも続いている。ウェスタの巫女は決して聖なる炎を絶やさない。俺たちの横浜を取り戻したい。MAKE YOKOHAMA GREAT AGAIN。カジノ誘致については正直賛成も反対も無いけど市長が反対を掲げて当選したのに市長就任した瞬間誘致に手のひら返ししたのはちょっとどうかなと思う。あれはたしかによくなかった。横浜市政にはいろいろ問題もあるんだよな。ハマのドンとか言ってる場合じゃないよ本当に。横浜市ごみゼロ運動とか小学生の純真な心で2006年当時の俺は信じてたからね。大人になってから他の自治体にゴミ移してただけだって知ってショックを受けたよね。あと中学に給食無いのも地味にやばい。まあ俺は私立だから関係ないけどな。#町田は神奈川固有の領土

 

そう。フラストレーションが存在する。実際SNSでなにかを発言することはきわめて難しい。その難しさが俺を苛立たせる。小学生のとき校外学習の行き先について事前に生徒が調べて来いみたいなやつがあった。クラスメイトの一人はインターネットを使って行き先の情報をまとめた。クールすぎる。インターネットだぞ。ゼロ年代はインターネットのすべてがクールだった。僕はまだキーボードの使い方すら知らなかった。でも先生は厳しくてこれは調べ物になっていないとクラスみんなの前で却下した。たしかに情報をまとめている。でもそれはインターネットに書いてあったことをそのまま書き写しただけ。あなた自身はなにもしていない。提出物としては認めるし成績は高めにつけるけど、今度からは駄目。みんなも真似しないで自分で調べてね。

すごくね? 要求されてるレベルの高さが。いやマジで。単に情報集めただけじゃなくて、そこから一つの文脈なり結論なり独自の視点なりを示さなきゃいけないんでしょ。調べるってやべーよ。賢(かしこ)ッッッ。俺はついていけなかったね。

それから十年以上が立った。いややっぱ難しいっすよ先生。挫けそうっす先生。事実を把握して、その上で意見を表明するの難しくないですか? まず事実を把握するのが大変なんですけど。ポストトゥルース時代っすよ今。インターネットとかもうクールじゃないんすよ今。事実を把握し妥当な結論を導く。OK。強者のふるまい。事実はまあ把握したが論理がおかしいので結論が妥当でない。OK。まあわかる。話しあおう。事実とかくそくらえだし結論はうんこ。マジで終わってる。死んだほうがいい。でもマジでそういうやつが蔓延っている。この世界はどうなってしまうのだろうか。今やすべての言説が党派から出力されていないか。

俺は読んだ新聞記事や読んだ本をツイッターでシェアする。でもシェアしたものに対して自分自身の立場から感想を出力するのが年々難しくなっている。なんというか何言ってもありきたり感がすげえんだわ。困る。個々の局面でいうと自分と似た感性の感想をインターネットで(もはやクールではなくなったインターネットで)調べてわかるわ~つって満足する展開が多い。でもそういう人は全体としては自分と感性の方向性が違うことが多い。そういうもんなんだろうか。一つ一つの事柄について凡庸でも一人としてはオンリーワンなのが人間なのかもしれない。DWUの人間は愚かってやつ好き。

 

てかマジでおかしくねえ? なんでヴォイスドラマ企画のZ氏と連絡とれないんだよ。なんで春に進行役代わってくれないかって頼まれたとき俺は引き受けなかったんだ。なぜ七月三十日に音信が途絶えてすぐ様子を確認しなかったんだ。マジで後悔している。

だから某所にZ氏の捜索を手伝ってくれって頼んだら渋い顔をされた。え、なんで。メールアドレスくれってだけじゃん(実はほかにも頼んだけどまあそっちはいい) メールアドレスぐらいいいじゃん。赤の他人とかやないねんぞ。俺とZ氏友達やん。おかしいんとちゃう? めんどい? まあそれはええけど。でもさ俺とZ氏友達やん。個人情報とかあるけど別に見知らぬ人とかではないやん。人間は愚か。東京都は町田市民の声なき声に耳を傾けろ。

 

どうしてフラストレーションが溜まっているのかはわかっている。ある哲学者がこう言っていた(ヒュームだった気がしたけど持ってる本で調べたらヒュームはそういうこと言ってなかった) 感情とは力学であると。方向とベクトルを持った運動が力場で作用しあったその複雑な結果が力場の傾斜として出力されるのだと。つまりフラストレーションとその強さが問題なのではなく、実際にはそれ以外の要素が弱すぎるだけなんだ。もっと善なる快を得ていけよ。大学駅前の交番のおっちゃんお巡りさんに幼稚園児くらいの女の子たちが「あげるー」って言ってそこらへんで摘んだと思しき花あげてたときのこととか思い出せよ。いや思い出すだけでは無理があるでしょ。てかこの話自体はほっこりするけどこれを思い出すと脳のバグで浪人時代にこの世の終わりみたいな顔して電車乗ってたら小学生女子に座席譲られたことも一緒に思い出して”終わっちゃう”んだよね。やばくねえ? 老人かよ。救急車より霊柩車呼べよ。

違う。フラストレーションが強いんじゃないし、フラストレーション以外が弱いのではない。本質は感覚が麻痺したことにある。刺激に慣れすぎた。夕飯の時間なのでこの記事は終わり。続きは今度書く。

この本がよかった2018年度

 いや~~2018年クソだったな~~~~ほんまにろくでもない年だった。単位は取れへんわ、創作は行き詰まるわ、私生活もわけわからんトラブルばかりの一年だった。こういうときは読書に限る。生活を救うのは読書だ。

 そういうわけで2018年度のよかった本、印象深かった本をまとめていく。出版年ではなく年度内に読んだ本なので昔の本とかも混じる。

 なんで年度かというと、もともと2018年よかった本のつもりで三ヶ日の間に八割ぐらい書いて、今日の今日まで放置してたから。こういう小さいことをどんどん後回しにしているときは人生がうまく回転していないときである。新年度は切り替えていきたい。

 

 ルトワックのクーデター入門 新版

本書で示されたテクニックは政治的に中立な立場に立って論じられたものであり、国家の権力を奪うという目的のためだけに書いたものであって、その後の政策をどのようにすべきかという点については、まったく関与するものではない。(初版まえがきより)

 読んでるところを職場の上司に見られたくない本グランプリ2018、優勝!!!

 著者のエドワード・ルトワックは軍人から軍事学研究の道に進んだ異色の経歴の持ち主で、アメリカ国防総省のアドバイザーや、国家安全保障会議のメンバーも勤めたというプロの戦略家。軍事戦略の分野ではけっこうなビッグネームで、現在はアメリ戦略国際問題研究所顧問である。趣味は日本の温泉。最近は日本人向けにうさんくさいけど話は面白いタイプの新書を書いて小遣い稼ぎしてる。

 そんなルトワック氏がキャリアの最初期だった1968年に書いて大受けした『クーデター入門』がこの度2018年に待望の新版で再登場というわけだが、内容はきわめて実践的で面食らう。クーデターに必要な前提条件はなにか(例:地方政府が強力な連邦国家では困難)。クーデターに必要な戦力はごく少数だがその少数の戦力をどう確保するか、いいかえれば既存の武力装置をどう掌握するか。軍や警察などの武力装置の大部分を一定期間中立化させる必要があるが、どうやるか。公安機関は最大のリスクだが、クーデター成功の公算が高ければ寝返らせることも可能。How to 首都の交通と通信を封鎖。などなど、実際的実践的な話しかしない。クーデターってそもそもよくないんじゃない? みたいな野暮は一切無い。最高だな!

 一番印象に残ったのは新版の前書きで、ここで紹介されているエピソードによると、モロッコの国防長官だったモハンマド・ウフキルが1972年にクーデターチャレンジするも、無残に失敗。後の国王親衛隊の捜査で、血まみれの『クーデター入門』(初版フランス語訳)がウフキルの机から発見されたという。

 いや失敗してるやんけ。 駄目なのでは?

 実際のところ、筆者が本書を世に問うたのは「発展途上国における政治の究極的な意味を探るため」たしい。暴力が全て的な意味か? とにかく本当にクーデターのマニュアルを書きたかったわけではないらしい。とにかく迫力のある一冊であるといえる。

ルトワックの“クーデター入門

ルトワックの“クーデター入門"

 

 

兵士というもの ドイツ兵捕虜盗聴記録に見る戦争の心理

 第二次大戦中、英米が捕虜収容所に盗聴器をしかけて、無警戒な捕虜たちの会話から情報を収集していた。記録は戦後も機密指定のもと保存されていたが1996年に機密解除。これを歴史家のゼンケ・ナイツェル氏が発見し、社会心理学者のハラルト・ヴェルツァー氏と協力して分析した、その研究成果が本書である。

  盗聴されていることを知らない捕虜たちの会話から伺える兵士たちの世界。そこには食事や睡眠と同じくらい身近な現象としての”暴力”がある。「爆弾を落とすのがやみつき」「機関銃でもって地上の敵兵を追い回し、何発か浴びせて地面の上に這いつくばらせるのが、朝飯前のお楽しみ」など、兵士たちが楽しげに暴力行為を語る様には、驚きを禁じ得ない。こうした兵士たちの身内の会話は基本的に資料に残らない。そうした兵士たちの内面に迫る、これまででもっとも有効な資料は野戦郵便だったが、これも家族に宛てたものであるからある程度のフィルターは通っている。その野戦郵便をこれまで研究してきたという訳者が衝撃を受けたと認めているぐらいだから、この研究分野で本書が起こしたセンセーションは相当なものだろう。

 18年度でもっとも学びの大きかった一冊である。

兵士というもの――ドイツ兵捕虜盗聴記録に見る戦争の心理

兵士というもの――ドイツ兵捕虜盗聴記録に見る戦争の心理

 

 

 ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ

  高二のときに買って以来6年?ぐらい積んでいた本。

 六人の研究者、元軍人、現役幹部自衛官(将来の海上幕僚長と期待された英才だったが早世したという)らが集まって、各々の分野で英国海軍をテーマに論集を著したという一冊。

 当時の英国の外交・安全保障戦略と、その手段の一つとして活用される英国海軍を追った部分が特に面白い。軍事戦略の本はどれも政治と軍事の協調と後者の前者への従属を説いているけれど、原則と理論の説明ばかりで実例を読んだことはなかった。

 英国海軍よもやま話として読んでも面白い。国際政治、戦略、組織改革と、リーチする範囲の広い一冊だと思う。おすすめ。

ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ

ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ

 

 

ニューヨーク1954

 1953年大晦日。53年はおしなべていい年だった。スターリンはついにくたばったし、赤のスパイだったローゼンバーグ夫妻はシンシン刑務所で電気椅子にかけられたし、朝鮮戦争も、結果は思ったほどではなかったにしても、とにかく終わった。CIAはイランから赤のモサデクをたたき出して、パーレビを王位に就けなおし、ソ連に中東で好き勝手をさせないことを教えた。たしかにダウ式平均株価は280.9と300を下回り、年初から12.5ポイント下げてはいるが、そんなものはじきに変わることをみな知っている。民主主義の宝庫にして世界を照らす自由の灯台であるアメリカは、地球上でいちばん豊かで、いちばん強い国だ。1954年はすばらしい年になるだろう。核兵器のことなど忘れろ、赤の脅威など忘れろ。今夜のニューヨークはたしかな明日への喜びでわくわくしている。生きているのは楽しい。

 本屋でふと手にとって立ち読みしたら、この書き出しに惚れてしまったという一冊。時代と空間の雰囲気を見事に切り取った文章だと思う。

 ニューヨーク市警の刑事キャシディは、ブロードウェイのダンサーが自宅の安アパートで拷問を受けて殺害された事件の捜査を担当する。だが彼の部屋は収入に不釣合いな高級家具があった。ダンサーの不法な収入を疑うキャシディら捜査班だが、FBIが不可解な捜査妨害を開始する――。

 事件解決までの筋道そのものはもちろん、魅力あふれるキャラクター、赤狩り・冷戦など特有の時代背景がからみあった魅力的な一冊。

 2018年は個人的に刑事小説元年だった。相次いで刊行されたエイドリアン・マッキンティの北アイルランドもの三作『コールド・コールド・グラウンド』『ザ・サイレンズイン・ザ・ストリート』『アイル・ビー・ゴーン』は主人公ショーン・ダフィの一筋縄でない個性と、北アイルランドの世紀末的政治情勢(ほぼ全ての事件がオウムとジオン軍残党が合体したみたいな地元密着型テロ組織と絡んでいる。絶対暮らしたくない)が興味を惹く。シリーズは本国だと六作目まで出ているらしいのでこの調子でどんどん翻訳して欲しい。

 舞台設定がおもしろいといえば古い作品だけどレイ・デイトン『SS-GB』も面白かった。ナチス占領下のロンドン。警視庁の刑事はナチス上層部から不可解な任務を与えられる。ナチス内部の権力闘争、幽閉された国王を取り戻そうとするレジスタンスの暗躍。いくつもの展開が徐々に合流していく。一節一節の独立性が高い文章は最初はとっつきにくかったけど読んでいくうちに癖になった。同じ作者の短編集『宣戦布告』と合わせておすすめしたいが、いずれも絶版。

ニューヨーク1954 (ハヤカワ文庫NV)

ニューヨーク1954 (ハヤカワ文庫NV)

 

 

傾いた夜空の下で

 新進気鋭のツイッター詩人である岩倉文也さんの初詩集。岩倉さんの登場で日常メンヘラツイートツイッタラー全員が時代遅れになったのでは? ドレッドノート登場でそれ以前の戦艦が全部オワコンになったみたいな感じで。

折れ曲がる傘傘立てにつき刺してぼくらは夢の終わりを生きる

 読んでるとナルトのコラ画像みたいな顔しながら「天才か……」ってつぶやく以外のムーブが不可能になってしまう。日々のなかの一コマ一瞬に抱く感情を切り取るその鋭いといったらない。18年度もっともおすすめの一冊。

傾いた夜空の下で

傾いた夜空の下で

 

 

 響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章

 映画『リズと青い鳥』の公開記念に。

 武田綾乃先生の描く高校生の人間関係には圧倒的迫力がある。深海の水圧に潰される要領で、感情の圧に殺される作品。

 

FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実

 大統領就任以来、世間と世界を騒がせ続けているトランプ政権の暴露本。出版自体が話題を呼んだし、本屋に平積みされていたので表紙を見かけた人は多そう。

 あまりに集中力がなくて五分以上のミーティングに耐えられないアメリカ大統領。ホワイトハウスの女性広報部長が元モデル。米韓の安全保障協定を破棄する内容の大統領親書を、大統領秘書官が勝手にシュレッダーにかけて両国を影で救う。国務長官外務大臣に相当)がツイートでクビにされ、本人がツイッターアカウントを持っていないので部下が印刷して見せる。大統領首席補佐官が「ここは狂気の世界なんだ……」という言葉を残して辞任。などなど、開いた口が塞がらない驚愕エピソードが目白押しの一冊だ。

 本書を特徴づけているのはその情報源の豊富さと特異さだろう。上で挙げた大統領主席補佐官や国務長官などの閣僚級も含めた、元・現役を問わない政権関係者にインタビューを行っている。それだけにトランプがブリーフィング中に罵詈雑言を飛ばす場面など、文体はその場にいるかのような臨場感をもっている。著者ウッドワード氏はインタビューにあたって「ディープバックグラウンド」というルールを採用していて、これは情報を自由に利用する代わりに、情報源の身元は徹底的に秘匿するというもの。インプット・アウトプット双方において、ジャーナリスト個人への絶対的信頼がなければ成立しない手法である。

 それもそのはず、著者のボブ・ウッドワード氏はかのウォーターゲート事件ニクソン政権を告発し、ピュリッツァー賞を受賞した伝説的ジャーナリストなのだ。現在はワシントン・ポスト副編集長だがほとんど出勤していないとのこと。こういう人材をストックできるのが社会の豊かさだよな~とか思った。

 トランプ政権暴露本といえば、『炎と怒り』もけっこう話題になった。情報源が本書ほど豊かではないし、政権意思決定プロセス(というより、プロセスの欠如)を主題に設定した『FEAR』に比べると、政権内部の人間関係に焦点を絞った分小粒の印象はぬぐえないが、まだまだ読む価値はあると思う。

FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実

FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実

 

 

 他にも佐藤大輔氏逝去をきっかけに『征途』を数年ぶりに読み返したり、三年かけてちんたら読んでた『白鯨』の上巻をついに読了したり、ミシェル・ウェルベックの翻訳が出ている長編をかたっぱしから読んだりした。小説以外だとここで紹介しなかったけどデレク・ユアン『新説 孫子』もいい。戦略と兵学の本はちまちま読み続けている。この分野の奥山真司先生のご活躍凄まじいですね。

 趣旨からちょっと外れるかなと思って扱わなかったけど漫画も豊作だった。完結を迎えた『少女終末旅行』はとりわけよかった。アニメもよかった。クラブ百合漫画『アフターアワーズ』は完結記念イベントに行ったのがきっかけになって、月に一回ぐらいのペースでクラブに通うようになった。漫画をきっかけに新しい遊びを開拓したのは地味に初めてかもしれない。完結というと感慨深いのは『かさね』で、ここでとうてい要約できない激動激情を見事にまとめきったと思う。名作だ。追っていた作品がこう次々と終わってしまうと寂しい気持ちもある。『大砲とスタンプ』『少女戦争』もいよいよ終盤っぽい雰囲気出してきてるし……。

 振り返ってみるとけっこう充実した読書年間だったかもしれない。来年もどんどん読んでいこう。

日記2018/12/20

今日は厄日だった。寝坊して自動車学校の技能一コマ行き損ねたし、昼飯に入った地元の寿司屋で何度か鼻をかんだら会計のときに女将さんにめっちゃ嫌味を言われるし、地元の電車路線が何年かぶりに運転を見合わせて、レポートが一件知らぬ間に締め切りを迎えていた。ほんまにゴミ。友人が卒論提出チャレンジに成功したので対比性が生まれた。対比性は物語の基本なんだよな。人生のコンテンツ性が高まってゆく。

 

注文していた『アステイオン』89号を購入した。今回の特集は「国籍選択の逆説」で、二重国籍問題を中心に国籍を取り巻く問題全般を取り扱っている。自分も一応帰化人(生後数ヶ月で日本国籍取得)なので、我がことと思って読んだ。一つの国籍を選ぶ人、二重国籍を肯定する人、国籍とエスニシティを分けて考えられるようになった人など、人生いろいろって感じだな~って思った(中身ゼロの感想)。

たいていの人(日本人って限定してもいい)にとっては国籍とは親から受け継ぐ/ないし出生地に基づいて決定されるものなのだが、自分で選ぶ機会を得る人もいる。ハーフとか、母国が血統主義だけど出生地主義の国で生まれた人とか、外国永住者とか。国籍変更をしない場合でも、選択肢があった以上は選んだっていえると思う。

制度的ではなくて純粋に心情的な問題ではあるけれど、自分もそうやって日本国籍を選んだ人間だから国籍に対して特別な思い入れがある。でも心情的/メンタリティ的な国籍と、制度的国籍の制度的問題をダブらせて語るのもよくないよな、とは前から漠然と感じていた。とはいえ、血統的に日本由来の部分がないのでエスニシティを基準にすれば日本人でいられないし、心情的自認的なものだけを基準にするのは心細い(自分にとってそうなんだから、他者からならなおさらだと思う)。国籍っていう制度的裏付けがないと、自分は日本人だって主張する上でまだまだ心細いのが正直なところなんだよなー。

日記2018/12/18

ここ二年ぐらいで家のあちこちにずっと掃除されてない場所とかが増えてきた。王朝が滅びるときってこういう感じなんだよな。

 

ここを読んでる人なら多分知ってると思うけれど、某動画企画の三作目が現在進行中。作中でドイツ人作曲家の音楽を使いたくて、かれこれ一ヶ月以上向こうの権利団体(調べてみると財団らしい。財団って響きがいいよね)と連絡を取り合っている。

最初にメールを送るときにドイツ語ガチ勢の友達に翻訳してもらった文面を送ったら、ふつーに返信が英語でがっかりした。がっかりしたどころではなく、英語で返されたら以降はこちらも英語で返さないといけない感が出てくる。そういうわけで人生でいちばん真面目に英語を使っているが、語学力がお話にならない。文面から大学生臭(わかります? 大学生って大学生臭しますよね)が出てないかなって心配してるけど、大学生臭のある英語書ける大学生って逆に語学力なかなかあるかもしれない。この話にオチは無い。

 

ブログとかやってる大学生しゃらくせえなって思ってたけど(いうほど思ってないけど)思うところあってブログ書き始めた。書きたいことがある程度たまったらそのつどみたいな感じで続けていきたい。

ツイッターは書くこと無いなって感じだし、紙の日記を実は大学入学以来続けてるんだけど本当に事務的なことしか書いてない。ある程度まとまった文章を出力するタイミングが小説書くとき以外無いみたいになってて、久しぶりに筆をとる(比喩)とめっちゃ頭悪くなった感覚に襲われる。その対策みたいな感じです。よろしく