肆拾肆.このエレベーターは
その場は見るに耐えない凄惨な状態だった。本来なら式神の身体の上にかかっているべき袿はなぜか部屋中に散乱しており、当の式神は部屋の隅に倒れ伏していた。そして、そのお腹の下あたりから猫のしっぽが飛び出して、パタン、パタンと床を叩いている。
何が起こったのか、式神と記憶を共有している俺はすぐに理解した。なんという事はない。暇を持てあました式神が墨を追いかけ回していただけのことだ。それだけのことでどうしてこんな惨状になるのか、それは墨の必死の抵抗と、式神が袿をマントに見立てて闘牛士の真似事をしたことが原因であることは疑問の余地がない。
俺『式神っ! 何も言わずに消えてくれっ!!』
式神『ひどっ』
姿を現すなり投げつけられた暴言に抗議の声を上げようとした式神だが、それより早く箱を手にした俺は、式神を一瞬で元の紙に戻した。流れるような手さばきで自分の服にも箱を当てて次々と紙に戻していく。
時間との勝負だった。もう雪は渡り廊下を渡ってこちらに向かってきていた。俺はとりあえず形だけでも整えようと式神の着ていた小袖を大急ぎで羽織り、緋袴に足を通した。かろうじて緋袴の紐を縛ったところで、雪が部屋に飛び込んできた。
雪「竹姫さまっ、…、きゃあぁぁぁぁぁーっ!!!!」
雪は叫び声を上げると、ものすごい勢いで俺のもとに駆け寄って来た。っていうか雪、顔がすごいことになってるよ。
雪「竹姫さまっ。もっ、申し訳ござっ、わっ、私のせいで、たけひめさ…、こんなことに…」
雪は最後にはわんわん泣きながら俺を力いっぱい抱きしめてくる。って、くっ、苦しい…、死ぬ…。
(雪に抱きしめられながら死ぬなら本望かも)
ああ、なんか酸欠で意味不明なことを思い始めてきた。だんだん苦しさが消えてきて幸福感に包まれてくる。あ、お花畑…。
雪「…、めさま、…、竹姫さま、しっかりしてください」
次第に意識がはっきりしてくると、俺の目の前にはさっきの3倍はひどいことになっている雪の顔があった。その後ろには見慣れた天井があって、どうも俺は床に寝かせられているらしい。
(あれ? 俺、なんでこんなことになってるんだ?)
どうも気絶していたようだ。雪に抱きしめられていた時からの記憶がない。とりあえず、雪に返事をしてあげないと、雪の顔がもっと大変なことになりそうだ。
俺「雪、ありがと。もう大丈夫だよ」
雪「竹姫さまー」
雪は再び声を上げて泣き始めた。ああ、結局顔はひどいことになっちゃうんだ。
俺は身体を起こして、雪の頭を撫でながら周りを見回した。で、自分の姿を見た。
(あちゃー、これはひどい)
冷静になって、雪の立場になって状況を整理してみよう!
雪は隣の棟の外廊下で俺の部屋の近くの庭にいる不審な男性の侵入者を見た。その侵入者は慌てて俺のいる部屋に逃げ込んだ。それからしばらくして雪も全力疾走で俺の部屋に飛び込んだ。そこで見たものは本来なら居住まいを正して本でも読んでいるはずの俺の、袿が全て脱げて部屋中に散乱し、小袖も緋袴も着崩れて、おそらくは(空中散歩のせいで)青ざめた顔で息を切らしている様子だった。
さて、この状態を見た雪は何を想像したでしょうか?
(ちっ、違うっ。雪、それは誤解だーっ)
皆様、私のあからさまなおねだりに答えて体調を気遣っていただいてありがとうございました。昨日、どうやら完全復活した模様です。これからもよろしくおねがいします。