拾玖.白と黒
部屋に戻ると、雪が廊下で心配そうに立って外を見ていた。
雪「竹姫さま。どちらにいらっしゃっていたのですか? 先ほど大きな雷が鳴ったので心配しておりましたのですよ」
(やべ。雷ってアレか (-.-; )
俺「まあ、雪。心配してくれてありがとう。雷のせいで、かわいい猫が庭で怯えていたので、保護してきたの」
そう言って、俺は雪に墨を見せた。墨は何かに抗議するような目で恐る恐るこちらを見たが、俺は別に嘘は言っていない。部分的に話を省略しただけだ。
雪「可愛いー。竹姫さま、抱っこしてもいいですか?」
俺「ええ、どうぞ」
俺(引っ掻いたらダメだからな)
墨(ヒィッ)
使い魔になったらテレパシーができると例の本に書いてあったので、試しに墨に向かって話しかけるように言葉を思い浮かべた。どうやら通じたらしい。反応が若干おかしいが。
墨を雪に渡して、俺は廊下に上がった。手早く足駄を回収すると、雪に見つからないように紙片に戻した。
雪「あら、竹姫さま。お着物の背中と裾が汚れてますわ。すぐに代わりのものをお持ちします」
そう言って雪は墨を床に置くと、新しい着物を取りに行った。背中のはカラスの糞だが、裾はいつの間にか地面に擦って汚れていたらしい。
(むぅ。この服は、外を歩くには不便だな)
基本的に、貴族の女性の服は裾を引きずるようになっている。外出時は裾をひざ下までたくし上げて、腰の位置で紐で結ぶ、いわゆる壺装束という格好になるのだが、あまり格好は良くないし、激しく動くと崩れてしまう。基本的に上流貴族の女性は徒歩で外出とかしないから、外出に向いたおしゃれな服なんて存在しないのだ。
そもそも平安時代、貴族の女性といっても素足なんて見せられるほど綺麗ではない。冷暖房もない板間の上を裸足で真夏も真冬も歩いているから、足はたいてい肌荒れしてカサカサになっている。色気のあるストッキングもないので、足は見せるものではなくて隠すものというのが平安時代の常識だ。
子どものうちは裾の短くて動きやすい服を着るのだが、最近、爺婆から「そろそろ竹姫も大人の服に慣れていくほうがいいでしょう」と言われて、裾の長い服を着るようになったのだ。
(裾の汚れくらい魔法できれいにできないのかな)
ちょっと記憶の中を検索して、服の汚れを落とす魔法を探したが、簡単に使えそうなものはなかった。後から魔法で汚れを落とすより、初めから汚れがつかないような魔法をかけておくほうが簡単そうだった。
(うーん。意外なところで不便だよな、魔法って)
まあ、何もできないよりはるかに便利なんだけど、と思いながら、目を部屋の向かい側の方に向けると、ちょうどそこにいた墨と目が合った。
墨「ャッ!」
猫の鳴き声というよりも超音波に近い小さな悲鳴を上げて、墨は部屋の隅に飛び退いた。そしてそのまま、限界まで身体を小さくして、オッドアイの目を大きく見開いて、俺の方を怯える目で見つめてきた。
(あれ? 俺、悪いこと何かしたっけ?)
壺装束は、緋袴を脱いで、裾をたくし上げて、市女笠をかぶり、虫よけの布を笠のまわりに垂らします。たくし上げた裾の下に小袖の裾が見えます。長い髪は後ろで束ね、服の中にしまいます。上流貴族の女性は徒歩で出歩かないので、壺装束は主に中流下流の女性が外出するときの装束でした。