漆.無敵のム
俺の脚力は、俺の想定をもう少し上回っていたらしい。胸を蹴り上げられた男の体は、そのまま宙を舞って、3メートルほど離れたところに墜落した。俺の方は、蹴り上げた後もまだ勢いが残っていて、そのまま空中で1回転して、四つん這いの状態で地上に着陸した。
(おいおい。これは何の冗談だよ)
これではまるで格ゲーの主人公ではないか。一体どうなってるんだ、俺の体は。
男が持っていた太刀は、少し離れたところに落ちていた。これが間違って俺の頭の上に落ちていたらどうなってたんだろう。近づいて柄を手にとってみて、少し振ってみた。
(意外に軽い)
いや、軽いのではなく、俺の腕力が例によって異常なのかもしれないが、とにかく十分に振り回すことができる重さだった。長さは80センチメートルくらいで、俺の胸の高さくらいはある。刀の大きさの標準がどのくらいかはわからないが、多分、体の大きさに対しては大きい刀のはずだ。
太刀を持ったまま、3メートル先に墜落した追い剥ぎに近づいて、太刀の
(せっかくだから、護身用に一本いいかもな)
ちゃっかり追い剥ぎから太刀を拝借することにして、先を急ぐことにした。拝借と強盗の違いがどこにあるのかについて、興味深い議論をすることはまた今度にしようと思う。ちなみに、衛府太刀は六衛府の武官が用いるものなので、追い剥ぎが持っているということは、誰かから奪い取った可能性が高い。
とまれ、そんなうんちくは置いておいて、先を急がないと夜が明ける。
(おっと。分かれ道なんだった)
こいつに襲われて忘れていたが、ここで右に行くか左に行くかを悩んでいたんだった。地図を見ても分からないし、どうしようか。
(そうだ、こいつに聞けばいいじゃないか)
倒れて伸びている男を起こして道を聞けばいい。俺って頭いー。太刀も取り上げたし、起こしても危険はないだろう。さて、どうやって起こそうか。
水でもぶっかければいいかと思って周りを見てみたが、かけられそうな水はなかった。
(うーん。困った。あんまり手荒なことはしたくないし…)
寝ているところに水をかけるのが手荒でないかどうかには議論があるが、ともかく周囲を歩いて何か代わりに使えるものがないかと探した。で、いいものを見つけた。柔らかい毛が沢山生えている草だ。
俺はその草の、なるべく背丈の高そうなのを選ぶと、なるべく端の方を持って、反対側の毛の多い先端を、男の横の方から伸ばして鼻先をくすぐった。
(うしし。これに耐えられる人間なんて、この世にはいないだろ)
追い剥ぎ「ふぇ、ひぁ、ほゎ、ふっ、うっ、はっ、はっくしょいっ、くしょっ、はっ」
人間って、こんなにいろんな音を、くしゃみの時に出すんだと感心するほどバラエティ豊富な音を出してくしゃみをした後、男は目を開けた。
俺は、抜き身の太刀を持って、まだ頭が朦朧としている様子の男の前に仁王立ちに立った。満月がちょうど俺の正面に来て、俺の姿を明るく照らした。
男は目の前に立つ俺を見て、驚きの表情を浮かべていた。
本文とは関係ないけど、打刀は刃を上にして差しますが、太刀は刃を下にして佩きます。