弐.可愛いは罪
どうやら俺が間違っていたようだ。まず、爺と婆が巨人なのではなく、俺がちびだったということらしい。でなければ、ハエがあんなに巨大なはずがない。推測するに、俺の身長は10センチメートルもないくらいだ。
次に、爺と婆は俺を食料とは見なしていないらしい。育ててから食うという可能性は否定できないが、今のところ甲斐甲斐しく世話をしてもらっている。
第三に、俺はどうやら赤ん坊だ。体がうまく動かせないのはそのせいだ。しかし、それだけではなく、どうやら俺は恐ろしい速度で成長している。事実、俺は数日の内に立って歩けるようになった。
第四に、俺はどうやら女だ。
(これは夢だ。夢に違いない)
爺に合う前の俺の最後の記憶は、自分の部屋で机に向かって古典の勉強をしていたところだ。読んでいたのは竹取物語。おそらく、俺は古典文学の持つ催眠効果によって、非自発的に眠らされたのに違いない。であれば、そのうち起きるはずだ。それまでゆっくり待とう。
爺は、俺と会ってから随分羽振りがよくなったようだ。少しずつ分かるようになってきた言葉を、断片的につないで推測するに、どうやら爺が竹林に入って竹を切るごとに、竹の中から金銀財宝が現れるらしい。新しく建てた鞍の中には、そうやって得た金銀財宝がうなるように収められているということだ。
俺が爺に拾われてから、約1ヶ月の時間が過ぎた。俺は身長が推定120センチメートル程度まで伸び、日常会話にも不自由しなくなり、文字の読み書きも多少はできるようになってきた。現代日本ならちょうど小学校に入学するくらいだろう。そんな時、俺は爺に呼び出された。
爺「竹姫。あなたに話があります」
俺「何ですか、おじいさま?」
竹姫というのは俺の名前だ。爺はよほど竹が好きらしい。俺の話し方が心の声と随分違うのは、俺がいままでこういう話し方しか習って来なかったからだ。不本意だが仕方ない。
爺「実は、あなたを見つけた時、一緒にこのような箱が入っていたのです。中には手紙が入っていたのですが、異国の字で描かれているため読めませんでした。これはあなたのものなので、あなたにお渡ししておきます」
箱は、白い木箱で、木の種類は分からないものの、非常に美しい継ぎ目のない箱だった。
俺「おじいさま、開けてもよろしいですか?」
爺「その箱はあなたのものです。自由にしなさい」
俺は優雅な手つきで(これもこちらに来てからの教育の賜物だ)箱を開けて、中の手紙を開いた。そして、驚いた。
(これは、現代日本語じゃねーか)
言葉が分かるようになって、初めて分かったことだが、俺がいるこの場所は、どうやら平安時代の平安京のようだ。俺が話すのは当然古語で、書くのも読むのも現代日本語とは似ても似つかないミミズのノタクリだ。
(現代日本語ってことは、この箱を残した野郎はこの時代の人間じゃねーな)
そんなことを考えながら、顔だけはにこやかに最上級の笑顔を作って、爺に向かって言った。
俺「ありがとうございます、おじいさまっ! この箱は、竹姫の一生の宝ものにします」
爺はこの世のすべての幸せが一度に訪れたような恍惚とした表情をして、そのまま全身に電撃が走ったように体が硬直して、口から魂のようなものが出てきた。
(やばい。可愛いオーラを使いすぎた。このままでは爺が死ぬ)
俺はとっさの判断で手を伸ばし、口から出てくる魂を捕まえて、口の中に押し返した。
(あぶねー。危うく人を一人殺すところだった。可愛すぎるのも考えものだな)
そう。何を隠そう、俺は可愛いのだ。これは客観的な事実だ。なぜなら俺はまだ自分の顔をはっきりとは見ていない。この世界には現代のような機能的な鏡はないのだ。だから、自分が可愛いかどうかは偏に周囲の人間観察によるものだ。正確には、人間および動物だが。
俺が可愛いオーラを全開にして笑顔を作ると、それを見たものは、老若男女、人間動物を問わず、あらゆる生き物が幸せの表情を浮かべたまま悶絶する。心の弱いものは、そのまま二度と目覚めない。
初めのうちはそれが分からず、何人かは残念なことになってしまった。ただ、やつらはそろって、生きているときには見せたこともないような幸福の表情を浮かべていたので、遺族からは逆に感謝をされたのだが。
なんにせよ、俺はもう少し笑顔を作るときは気をつけたほうがいい。死なない程度に可愛いオーラを抑えることができれば、周囲の人を安全にこの世の天国に招待できるのだが、一歩間違えると本物の天国に行ってしまう危険がある。可愛い花には致死毒があるのだ。
竹姫は幼名です。まだ子どもなので、正式な名前がついていません。
かぐや姫は3ヶ月で成人するので、正確な年齢は不明(定義通りには0歳)ですが、1ヶ月の時点で換算小学1年生程度で身長120センチメートルくらいということにしてみました。まあ、日に日に身長が伸びていくので、正確な値を決めても意味ないですが。
ところで、竹取物語の舞台は奈良時代と想定されているのですが、本作では平安時代に変更しています。平行して平家物語を書いていて、時代考証がしやすかったので。ちなみに、竹取物語が書かれた時期は平安時代だそうです。