九話 うしろに立つ少女
「ここは……? つぅ……」
意識の覚醒を促したのは、薪がバチバチと爆ぜる音だった。
つんとした土の匂い。
どうやら地べたに直接寝かされているようで、僕はすぐさま起き上がろうとして、腕の痛みに呻く。
……後ろ手に縛られている。
それも、かなりきつめ。
身動き出来なくてわからないけど、多分、痣になっているんじゃないだろうか。
引きちぎれないか身じろぎしてみたけど、生憎と力が入らなかった。
「もう気が付いたのか。まだ十分も経ってねえぞ?」
寝転がったまま、声の方角へと視線を向ける。
すると、そこにいたのは、馬車の横で椅子に腰かけているルドルフさんだった。
「……ルドルフさん? どういうことです?」
「わりぃな、嬢ちゃん。さっきも言ったが、俺には金がねえんだよ。だから、一服盛らせてもらった」
何が、だからなのか。
釈明を求めれば、悪びれもせずに彼はそう告げる。
「商品がなくなっちまったんだ。なら、新しく調達するしかないだろ?」
手には一振りの剣が。
僕の腰にあったはずのものだ。
どうやら、眠っている隙に奪われたらしい。
「あのオーガの鎧を易々と切り裂く剣。……魔剣か? まあ、どっちにしろ、どれだけ高値を出しても欲しがる奴は必ずいる。少なくとも、いつもみたいになまくらを売りつけるよりはな」
……その推測はところどころ間違っているんだけど、僕は口に出してまで訂正はしなかった。
確かにそれは魔剣だ。
切れ味は通常の剣の比じゃないだろう。
具体的にいえば、ダメージの出目に常に+1の修正が加わるぐらいには。
でも、オーガを倒したのは、あくまでイナンナの能力であって、その剣は関係ない。
――『魔力剣』。
読んで字の如く、自分の武器に魔力を纏わせる、
消費した魔力に応じて、ダメージとクリティカル率にボーナスが入る。
特筆すべきはダメージ判定について。
『魔力剣』を使用している間、こちらが与えるダメージは全て、物理防御と魔法防御、どちらか低い方を用いて計算されるのだ。
大盾をあっさりと貫いたのもそのおかげ。
金属系の防具の、魔法への抵抗力が殆どないという弱点を突いたからだった。
これだけ書くとやけに強そうなスキルだけど……。
あまりに燃費が悪すぎるのだ。
製作スタッフが防御の貫通を重く見たのかもしれないけど、たった一度の発動で上級魔法一発分の魔力を要求されてしまう。
魔法職と物理職の中間である
そもそも、『ブレード・ファンタジー』はパーティでの戦闘を前提にしているゲームだ。
一人で全部の敵を倒す必要はなく、魔法に弱い相手には魔法使いを、肉弾戦が苦手なら物理職を宛がった方が余程効率がいい。
閑話休題。
とにかく、
――そう、剣だけを。
「安心しろよ、嬢ちゃんをここに捨てて行ったりなんかしねえさ。きちんと、売り払う先も俺が手配してやる。間違いなく引く手数多だろうからな」
僕を見下ろしながら、ルドルフが言う。
「おっと。暴れても無駄だぜ? 特注の痺れ薬だ。オークだろうがオーガだろうが、一瓶飲んじまえば数日は身動きとれねえ代物さ。……その分、味がひでえらしいんだが、よく全部飲み干したもんだな。いや、マジで」
「…………」
視線に憐憫を感じて、僕はコホンと咳払いをして話を逸らす。
「……もし、オーガの集団と出くわさなければ、それは護衛の冒険者に?」
「……察しがいいな」
その受け答えは予想通り。
でなきゃ、一介の武器商人が眠り薬なんて常備しているはずがない。
「言っとくが、初めてだからな? 旅立つ前日に、裏町で『人手が欲しい』って依頼されてよ。まさか、それでこんな上物が釣れるとは思わなかったがな」
どうだか。
こなれた手つきから、似たような軽犯罪には何度か手を出していそうだけど、僕はその点については触れないでおいた。
「でも、この状況で魔物に襲われたらどうするつもりなんですか? 今度こそ死んでもおかしくない。……僕は、このまま死ぬのなんて嫌ですよ?」
「心配には及ばねえさ。言っただろ、普段は護衛を雇っていないって。オーガ共が出てきたのが異常事態。本来ならこの街道は平穏そのものなのさ。ここで一夜を過ごして、朝一で馬を飛ばせば二日。何も起こらねえさ」
正直、死亡フラグみたいに聞こえるけど、一応は勝算ありきの行動らしい。
なら、
「にしても、なんでそんなに余裕がある? この状況は理解しているんだろ?」
「ええ。でも、暴れても無駄だって言われたし」
「……呆れるほど潔いやつだな」
勿論、嘘。
僕がここまで落ち着き払っているのは、逃げ出す算段がすでについているからだ。
先ほどの勘違いが発端なんだけど、ルドルフは僕をただの剣士だと思っているらしい。
だから、口を封じずに平然とやり取りをしていられる。
だけれど、それは同レベルの魔術師やモンスターと比較して。
一般人相手ならば制圧するには十二分な威力を有している。
とはいえ、二日で王都に到着する。
彼の言を信じれば、行動に移すのはそれからでも遅くはないだろう。
――なんて一人考えていると、投げかけられたのは思いもよらない質問だった。
「ところで嬢ちゃん、聞いておきたいんだが、あんた処女か?」
「……は?」
耳を疑う僕。
すると、ルドルフは、うつ伏せになって潰れている僕の胸のあたりをじろじろと睨み付け、あたかも親切心からと言わんばかりに続けた。
「売値に直結するんだよ。特にその見た目だとな。待遇も変わるぜ? 素直に言っといた方がいいと思うがな」
「知りませんよ、そんなことは」
答えは吐き捨てるように。
もっとも、知らないのは真実だ。
僕はイナンナという少女の設定は作っておいても、そこまでは考えていない。
だから、それで食い下がってくれると嬉しかったんだけど。
「おいおい、自分の身体だろうが。……仕方ねえ、確かめさせてもらうか」
健全な男子高校生である以上、言わんとする内容は理解できた。
途端、背筋にゾクリとしたものが走る。
僕が男だからこそなのか。
それとも、肉体的な感覚に引っ張られているのか。
どちらにせよ、鳥肌が立って仕方がなかった。
反射的に、低位の呪文である【
躊躇する。
相手の身を案じてじゃない。
自分に危機が迫っているからか、僕は人間相手でも攻撃魔法を放つことに関して、驚くほど躊躇いを感じなかった。
全ては打算から。
口ぶりからして、身体に暴力は加えないはずだ。
ただ、どうしようもなく気持ち悪いだけ。
この場を耐え凌げば、二日で友人たちに会えるかもしれない。
道に迷う心配もないだろう。
目的を達成する場合、最も効率がいいのはここで我慢することで。
それを、思えば。
生理的嫌悪を抑えるため、唇を噛みしめ、ぎゅっと目を瞑る。
――でも、どれだけ待っても僕の身体にルドルフの手が触れることはなかった。
「げふっ……」
代わりに、僕の顔に飛沫が飛んだ。
まだ熱を持った、赤とも黒ともつかない色のそれ。
ほんの一時間前、僕が飽きるほど見た液体だ。
それが、ルドルフの左胸――そして口から漏れ出ていた。
彼は信じられないものを見る目つきだった。
でも、それは僕も同じ。
力が抜け、崩れ落ちる。
声にならないか細い息の音。
それが止むまでさほど時間はかからず、ルドルフは二度と動かなくなった。
月のない夜。
静寂の中、足音一つ立てずに現れたのは、漆黒のメイド服の少女だった。
そのシルエットには、ぴんと犬の耳が生えていて。
右手には、鮮血の滴るナイフが握られている。
「巫女様、ようやく追いつきましたよ? 探すの、大変だったんですから」
シアはそれだけ言うと、僕に向けてにこりと微笑んだ。
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