八話 ルフェリア探偵倶楽部 消えた冒険者
「ありがとよ、アスカ。まさか、あの状況から生きて帰れるとは思わなかったぜ」
それから一時間ほど経っただろうか。
馬車の中にいた男性――ルドルフさんというらしい――と僕は、出会ったところから少し離れた場所で焚火を囲んでいた。
「いえ、全員を助けられはしませんでしたから」
「……それに関しては、分不相応な依頼をしちまった俺の責任だ。駆けつけたときには終わっていたんだし、助けてくれたお前さんが気に病むことじゃねえさ」
先の戦場は死屍累々。
人間と魔物の、噎せ返るような死臭の漂う空間だ。
血に寄って来る魔物を抜きにしても居座りたいわけがなく、僕たちはすぐさま場所を移したのだ。
幸い、馬車馬には然したる怪我もなく、おかげで馬車は問題なく運用できるようだった。
もっとも、酷く怯えているみたいで、僕を見るなり嘶きを上げて顔を背けてしまったけど。
「しかし、アスカは強いんだな。まさか、あれだけの数のオーガを一瞬にしてやっちまうとはよ。とても、俺の半分ぐらいの年齢の嬢ちゃんとは思えねえぜ」
ルドルフさんは、顎鬚を撫でつけながら。
「……ええ、まあ」
女の子じゃないんだけど。
つい否定したくはなったけど、肉体が肉体なので、説明しても信じてもらえないだろう。
僕は曖昧に笑みだけ浮かべておく。
すると、ルドルフさんは不快に感じたと受け取ったようで、慌てて申し開きを始めた。
「いや、馬鹿にするとかそういうのじゃねえんだ。まだ若い上に偉い別嬪さんだからよ。なのに平然としてるから、随分な経験を積んだ剣士様なのかと思ってな」
……平然としている、か。
確かに、今の僕は自分でも驚くほど落ち着いていた。
ちょっとした喧嘩程度ならまだしも、殺し合いなんて初めてなのに、だ。
てっきり、戦闘中は高揚していたから気にしないで済んだのかと思っていたけど。
後になって手が震えたりしないのだから、彼の言うことは的を射ているのだろう。
「……魔物相手だからかもしれません」
あれは、人間じゃない。
自然とそう定義づけているからかもしれない。
でも、僕たちの目的は、『邪神の器』の破壊。
進む先では人間同士の戦いもあるはずだ。
果たして、その時でもこの冷静さを保てるのか。
僕にはまだわからなかった。
――そんな懸念に応えたのは、ぐぅというお腹の音。
普通なら食欲なんて失せていてもおかしくはないのだけど、自然の摂理には勝てないということだろうか。
「はは。そんな剣士様も、生きていたら腹が減るってことか。……飯にするか。命の恩人に、せめてばかりの礼をさせてくれよ」
虚を突かれたようにルドルフさん。
少し照れながら僕は頷いた。
◆
「……ところで、ルドルフさんはどうしてあんなところに?」
数分後。
ルドルフさんから木でできた器を受け取ると、今更になって僕は質問する。
「商売の行き道の途中さ。もっとも、見てのとおり、商品は全部パァになっちまったがな。商売道具の一部が残ってたのが奇跡みたいなもんだぜ。さぁ、飲んでくれよ」
器に注がれているのは、固形食料を溶いたスープだ。
湯気の立ちこめるそれを、僕は促されるまま啜る。
「味はどうだ?」
「美味しいです」
スープは素朴な味わいだった。
インスタントのコンソメを若干劣化させた感じで、言ってしまえば可もなく不可もなく。
保存のために油をふんだんに使っているらしく、獣臭さが好みの別れるところか。
でも、一緒に手渡された黒パンを浸しながら食べれば、僕としてはそんなに嫌いじゃない。
そもそも、僕は食に対する関心の薄い人間に入る。
出されたものは何でも食べるし、ないならないで何とかする。
特に一人暮らしをしてからは顕著で、一食や二食抜くのはざらだった。
もっとも、そのせいで友人たちにはよく叱られたんだけど……。
「そうか、そりゃあよかった。……身なりのいい嬢ちゃんだから、口に合わないかとひやひやしたんだが」
そんな僕を見て、ルドルフさんはやけに嬉しそうに言った。
「話を戻すと、ここ数週間前から噂にはなっていたんだ。周辺で消息を絶った馬車が多いってよ。だから、珍しく、なけなしの金で護衛を雇ったんだが……。まさか、オーガの追剥だとはな」
「追剥……?」
「おうよ。あいつら、積み荷を全部ひっくり返して、自分たちのサイズに合うものを奪っていくつもりだったんだ。例えば、
なるほど。
先の戦いの間、覚えていた違和感が氷解する。
それは、オーガの装備について。
オーガとは、知能に劣る種族だったはず。
それこそ、ルールブックの挿絵では、簡易的な布を巻きつけただけの姿で描かれているぐらいに。
だけど、鉄鎧といい、さっきの大盾といい、彼らは明らかに文明レベルにそぐわない装備をしていた。
どうやら、それらは人間から強奪した品々らしい。
「最初は偶然かなんかでも、次第に味を占めてちまって狙って襲うようになったんだろうな。これじゃ、破産だぜ。ただでさえ、商売が上手くいってない時期だったってのによ」
「……上手くいってないんですか?」
「ああ。ケチった結果、護衛の連中には悪いことをしちまったよ。分不相応な依頼に参加させちまった。初めての仕事で、『ヴェルダー』みたいに成功するんだって息巻いてたのによ」
やりきれない。
ルドルフさんの表情には、そんな想いが浮かんでいた。
「もっとも、今じゃ、その『ヴェルダー』もいないんだがな……」
「今、なんて!?」
思いもよらぬ発言に、僕は前のめりになる。
すると、彼は焦ったように身を引いた。
「げ、まさか嬢ちゃんもファンなのか?」
『ルフェリア』にTRPGのデータが反映されているのだとしたら、カンスト間際の彼らは伝説的な冒険者だ。
だから、よくある反応なのだろう。
ルドルフさんはちょっと引いていた。
「……似たようなものです。それで、何があったんですか?」
「いや、ここ一月前から随分と人が変わったようになっちまってよ」
――僕は、その言葉に推測が当たっていたのだと確信する。
時期の合致する変貌。
きっと、真一や真紀ちゃん、健斗くん達だからに違いない。
でも、『いない』とはどういうことだろうか。
高レベルの冒険者の肉体だ。
例え中身が素人でも、ある程度のスペックは出せるはず。
それこそ、さっきの僕みたいに。
雰囲気だけでもどうやら伝わったようで、ルドルフさんは言い難そうに告げた。
「俺が街から出たときに耳にしたんだが、それ以来何かと意見で衝突するようになってな。最後には喧嘩別れしちまったって話だ」
疑問だけが加速する。
三人が?
どうして?
詳細が知りたくて視線をやったのだけど、ルドルフさんは首を横にするだけ。
これ以上、何も知らないということらしい。
「ルドルフさんは王都に戻るんですよね? 僕も、一緒に連れて行ってもらえませんか? 護衛として役立てると思います」
なら、自分の目で確かめるしかない。
それも、最も手っ取り早い方法が目の前にある。
「そいつは、こっちにとってもありがたいし、王都につれていってやるのは構わねえんだがよ……」
ルドルフさんは、ここで一端言葉を切る。
「多分、嬢ちゃんはそれについて聞いても意味ないだろうよ」
「……?」
どういう意味なのか。
問いただそうとする僕。
……でも、言葉が出なかった。
舌が痺れて呂律が回らず、それが全身に回っていき、器とスプーンを取り落す。
座ってすらいられない。
地べたに寝転ぶかたちのまま、身動きが取れなかった。
「……ようやく効いてきたか」
薄れゆく意識の中、僕が最後に聞いたのは、僕を見下ろしながらのルドルフさんの言葉だった。