電脳筆写『 心超臨界 』

誠実な心が誠実な行動を生む
( ブリガム・ヤング )

日本史から見た日本人 古代編 《 実生活から遊離していった律令 》

2020-03-02 | 04-歴史・文化・社会
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死刑廃止などという議論は、イギリスなどから起こって、今日の日本でもこれを支持する人があるが、それは少しも新しいものでなく、日本では今から1150年も前に、今日とほぼ同じ論拠にもとづいて実行されたのである。


『日本史から見た日本人 古代編』
【 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p282 】

4章 鎌倉期――男性原理の成立
   ――この時代、日本社会は「柔から剛」へと激変した
(1) 武家文化の本質とは何か

◆実生活から遊離していった律令(りつりょう)

極端に右に揺れた振子(ふりこ)は、かならず左に揺れもどるであろう。

平安朝に無比なる女性文化を作ってみせた日本は、その後、約700年間、徹底的に男性的な時代、つまり武士の時代に入ることになる。それは、まことに男性度の高い文化であったことは、切腹(せっぷく)の習慣一つからも知られよう。

このようにして日本は、現在までに男性的文化も女性的文化も、その両極を体験したことのあるほとんど唯一の民族である。

これからどのような世界になるかわからないが、たいていのことが起こっても、日本史の中にその原型になるようなものを見つけることができ、したがって歴史から、教訓と言わないまでも、何らかのヒントを得ることができるであろう。

武家は系図をたどれば桓武(かんむ)天皇とか清和(せいわ)天皇とかに至るのであるが、彼らは地方に下(くだ)ってから久しく、宮廷ではひどく低く見下げていたものである。はじめて宮廷に関係を持つようになったのも、それはガードマンとしてであった。

今日の大会社の重役は、ガードマン会社から派出されている人たちを念頭に浮かべることはあまりないであろう。それと同じだったのだ。

第一、日本の律令というのはだいぶ間抜けたところがあり、京都の治安(ちあん)に当らなければならない警察力のことを、はじめ考慮に入れなかった。

ようやく、その必要を感じて検非違使(けびいし)を置いたのは9世紀になってからである。元来の律令になかったので、それは「令外(りょうげ)の官」であった(律令を改正して中に繰り込まないのは、憲法を改正しないで自衛隊を増強する、今の日本と似ているというは、ベンダサンの指摘である)。

また政治の機密にあずかる機関も律令にはなく、藤原薬子(くすこ)の乱(810年)が起こって慌(あわ)てて作ったのが蔵人所(くろうどどころ)であり、これも「令外の官」である。このような政治の重要機関が令外(りょうげ)であったことは、法文が生活の実際から遊離していたことを示している。そして仏教を尊信し、女性化により過度に人道的に、あるいはセンチメンタルになった宮廷では、法制を励行することを好まれないようになっていったのである。

たとえば唐制を手本にした養老(ようろう)律令には、刑法もはっきり規定してあるのだが、ヒューマニストの宮廷は、罰を軽くすることが、このうえない、よいことと信じられ、むやみに大赦(たいしゃ)や特赦(とくしゃ)を行ったのであった。

そこで重大な論理的結論が出てきた。

つまり一度死刑になった者には大赦や特赦はできないから、死刑は廃止すべきだというのである。そしてこの趣旨から、律令的には死刑が与えられている者にも、しばしば恩赦が与えられて、その執行を避けられたのであった。

さらに空海(くうかい)や橘逸勢(たちばなのはやなり)と並んで、日本の三筆(さんぴつ)の一人と数えられる文化人であられた嵯峨(さが)天皇(第五十二代)は、弘仁(こうにん)13年(822)に検非違使の建議を採用され、換刑(かんけい)についての新しい格(きゃく)(律令の修正や追加)を出されて、死刑は主義としては行なわないということになったのである。

死刑廃止などという議論は、イギリスなどから起こって、今日の日本でもこれを支持する人があるが、それは少しも新しいものでなく、日本では今から1150年も前に、今日とほぼ同じ論拠にもとづいて実行されたのである。

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