「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → https://tinyurl.com/ugz9qah )
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《 いま注目の論点 》
★米から記者が追放される――矢板明夫さん
★拡大阻止 EU機能せず――三井美奈さん
★安保に直結する米大統領選――阿比留瑠比さん
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真珠湾攻撃をアメリカが予期していなかったという「定説」も、実は間違いです。戦争が始まる前からアメリカは日本の通信を傍受し、暗号もほぼ解読されていた。そういう意味では、決して卑怯な騙し討ちだったわけではないんです。戦時中も米国が日本の通信を傍受していたので、情報戦で日本は完全に負けていました。その点、日本はかなり甘かったと言わざるを得ません。
[ ケント・ギルバートさん、『「与える」生き方』、p155 ]
◆太平洋艦隊で最も老朽化した艦艇を真珠湾に残した
『真珠湾の真実』
【 ロバート・B・スティネット、文藝春秋(2001/6/26)、p275 】
11月26日、水曜日の午後遅く、スタークがキンメルに、航空母艦を使用して、陸軍の追撃機をウェーク島とミッドウェー島まで運ぶように命令した。
翌朝早く、キンメルはショート中将、ハルゼー中将、その他の陸海軍将校を集めて会議を開いた。ワシントンの計画を聞いた後、彼らはこの計画には欠陥があると決定した。陸軍のパイロットは空母を使っての軍事行動の訓練を受けておらず、追撃機には尾部フックがないので空母に着艦できず、広い海域を航空することはできなかった。そのためオアフ島に基地を置く海兵隊パイロットが代わりとなった。彼らは空母で訓練を受けており、彼らの飛行機には空母飛行作業用の装備を備えていた。ハルゼーは海兵隊機12機をウェーク島に運ぶことに同意し、敵部隊捜索演習を中止して、28日早朝空母エンタープライズに坐乗して出発した。エンタープライズは飛行甲板に戦闘機を搭載し、太平洋艦隊最新鋭の軍艦11隻が護衛についていた。戦艦アリゾナは真珠湾に残った。
戦闘機18機のミッドウェーへの輸送は1週間遅れて行われた。12月5日、空母レキシントンは近代的軍艦8隻に護衛されて真珠湾を出発した。航海日誌によると、レキシントンは名称のない、ある“指定区域”に向かった。そして戦闘機が目的地に運搬されることは遂になかった。12月7日、この任務部隊がミッドウェー島に近づき、飛行機を島に向けて発進させようとしていた午前8時を少しまわった頃、任務部隊指揮官が真珠湾攻撃を知って飛行機の発進を中止したからである。
ワシントンからの命令により、キンメルは太平洋艦隊で最も老朽化した艦艇を真珠湾に残し、空母2隻を含む近代的な軍艦21隻をウェークとミッドウェーに派遣した。これは不可解な命令だった。というのは、彼らワシントンの高級将官たちは、アメリカ艦隊を日本潜水艦30隻がハワイに向けてやってきている航路のただ中へ直進させたからである。最後の瞬間になって艦艇を真珠湾から移動させた情況については、1945年から46年にかけての議会調査委員会で討論されている。太平洋艦隊の一部兵力を真珠湾から出動させたのは、正真正銘、ウェーク島とミッドウェーの兵力を増強するためのものであったのか、それともすべての最新鋭艦艇を日本の機動部隊から守るため攻撃以前に真珠湾錨地から移動させる戦略であったのか、委員たちは疑った。調査委員会委員長アルベン・バークレー上院議員は、空母部隊2隊の出動について開戦当時の海軍作戦部長であるスターク大将を問いつめた。スタークは次のとおり答えている。
「それらの艦艇が派遣されたかどうかは、記憶が定かではありません……はい、確かに派遣されました。その日時はキンメル大将が決めました。われわれは特定の日時は決めていません」
スタークは事実をとり違えていた。派遣日時を決めたのは、キンメルではなくスタークだった。海軍の記録によるとスタークが派遣日を11月26日と決めていた。
「貴官はオアフ島からこれらの基地まで、これらの航空機及び地上整備員を航空母艦で輸送する必要がある」、と。
空母レキシントン及び空母エンタープライズの任務群が真珠湾から出港した後の湾内残留艦艇のほとんどは、艦齢27年に達する、第一次世界大戦当時の「遺物」であった。
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◆お勧め情報【 拡散希望 】
日本が東京裁判史観の呪縛から解き放たれるために
★「東京裁判史観」
★「WGIPの洗脳にかかったままの日本」
★「今も生きているプレス・コード」
★「GHQ焚書図書」
★「公職追放が『敗戦利得者』を生み出した」
★「『進歩的文化人』という名の国賊12人」
★「真珠湾攻撃の真実」
★「南京大虐殺というプロパガンダ」
★「歴史教科書問題から生まれた近隣諸国条項」
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真珠湾攻撃をアメリカが予期していなかったという「定説」も、実は間違いです。戦争が始まる前からアメリカは日本の通信を傍受し、暗号もほぼ解読されていた。そういう意味では、決して卑怯な騙し討ちだったわけではないんです。戦時中も米国が日本の通信を傍受していたので、情報戦で日本は完全に負けていました。その点、日本はかなり甘かったと言わざるを得ません。
[ ケント・ギルバートさん、『「与える」生き方』、p155 ]
◆太平洋艦隊で最も老朽化した艦艇を真珠湾に残した
『真珠湾の真実』
【 ロバート・B・スティネット、文藝春秋(2001/6/26)、p275 】
11月26日、水曜日の午後遅く、スタークがキンメルに、航空母艦を使用して、陸軍の追撃機をウェーク島とミッドウェー島まで運ぶように命令した。
翌朝早く、キンメルはショート中将、ハルゼー中将、その他の陸海軍将校を集めて会議を開いた。ワシントンの計画を聞いた後、彼らはこの計画には欠陥があると決定した。陸軍のパイロットは空母を使っての軍事行動の訓練を受けておらず、追撃機には尾部フックがないので空母に着艦できず、広い海域を航空することはできなかった。そのためオアフ島に基地を置く海兵隊パイロットが代わりとなった。彼らは空母で訓練を受けており、彼らの飛行機には空母飛行作業用の装備を備えていた。ハルゼーは海兵隊機12機をウェーク島に運ぶことに同意し、敵部隊捜索演習を中止して、28日早朝空母エンタープライズに坐乗して出発した。エンタープライズは飛行甲板に戦闘機を搭載し、太平洋艦隊最新鋭の軍艦11隻が護衛についていた。戦艦アリゾナは真珠湾に残った。
戦闘機18機のミッドウェーへの輸送は1週間遅れて行われた。12月5日、空母レキシントンは近代的軍艦8隻に護衛されて真珠湾を出発した。航海日誌によると、レキシントンは名称のない、ある“指定区域”に向かった。そして戦闘機が目的地に運搬されることは遂になかった。12月7日、この任務部隊がミッドウェー島に近づき、飛行機を島に向けて発進させようとしていた午前8時を少しまわった頃、任務部隊指揮官が真珠湾攻撃を知って飛行機の発進を中止したからである。
ワシントンからの命令により、キンメルは太平洋艦隊で最も老朽化した艦艇を真珠湾に残し、空母2隻を含む近代的な軍艦21隻をウェークとミッドウェーに派遣した。これは不可解な命令だった。というのは、彼らワシントンの高級将官たちは、アメリカ艦隊を日本潜水艦30隻がハワイに向けてやってきている航路のただ中へ直進させたからである。最後の瞬間になって艦艇を真珠湾から移動させた情況については、1945年から46年にかけての議会調査委員会で討論されている。太平洋艦隊の一部兵力を真珠湾から出動させたのは、正真正銘、ウェーク島とミッドウェーの兵力を増強するためのものであったのか、それともすべての最新鋭艦艇を日本の機動部隊から守るため攻撃以前に真珠湾錨地から移動させる戦略であったのか、委員たちは疑った。調査委員会委員長アルベン・バークレー上院議員は、空母部隊2隊の出動について開戦当時の海軍作戦部長であるスターク大将を問いつめた。スタークは次のとおり答えている。
「それらの艦艇が派遣されたかどうかは、記憶が定かではありません……はい、確かに派遣されました。その日時はキンメル大将が決めました。われわれは特定の日時は決めていません」
スタークは事実をとり違えていた。派遣日時を決めたのは、キンメルではなくスタークだった。海軍の記録によるとスタークが派遣日を11月26日と決めていた。
「貴官はオアフ島からこれらの基地まで、これらの航空機及び地上整備員を航空母艦で輸送する必要がある」、と。
空母レキシントン及び空母エンタープライズの任務群が真珠湾から出港した後の湾内残留艦艇のほとんどは、艦齢27年に達する、第一次世界大戦当時の「遺物」であった。
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★「WGIPの洗脳にかかったままの日本」
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★「公職追放が『敗戦利得者』を生み出した」
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