「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → https://tinyurl.com/ugz9qah )
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《 いま注目の論点 》
★テレビに映らぬ米民主党の混迷――渡辺惣樹さん
★民主政権 遅かった震災対応――阿比留瑠比さん
★米から記者が追放される――矢板明夫さん
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外務省は日本のために外交をやっているんじゃないんだ。外務省には危機に陥った時、「逃げろ」「対応するな」「抗議は後でする」という行動指針が伝授されているらしい。
◆国より閨閥が大切な外交官たち
『世界を震撼させた歴史の国日本』
【 高山正之&宮崎正弘、徳間書店 (2020/2/28)、p182 】
【高山】 外交官試験は平成12(2000)年実施を最後にして廃止されたけれど、先の日米開戦で「最後通告」をキャリア組でタイプできるのは1人しかいなかったということなどを見ると、外交官試験もさりながら、以後の育成教育がまったくなっていない。
森喜朗内閣の時じゃないかな。外交官試験というのが国家公務員試験に吸収された。
それまでの外交官試験は、大使が受験生を審査した。しかし、受験生の中にかなりの人数の大使の息子がいる。だいたい1回に25人くらいが採用された。後に英米とかの一流国大使になる上級職に当たる人たちだ。ところがその25人のうちの5人は確実に大使の息子枠なんだよ。
それで残りの20人はどうするかといったら入省後、大方が大使の娘を嫁さんにする。だから外務省の上の方は、学問でも門閥でもなくて、閨閥つながりと言ってもいい。これは冗談みたいな話だけど、外交官が死にましたという葬式で、全部親族席に座るっていうんだ。
【宮崎】 となると一般席はほんのちょっと。
【高山】 一般席はなし。ないんだよ。つまり外交問題は常に息子の職場であり、女婿の問題になる。だから事を荒立ててはいけないわけ。相手国と事を構えたりしたら、息子はそこに駐箚(ちゅうさつ)大使として行けないから。
【宮崎】 私、前から言ってるんだけど、外務省と防衛省を入れ替えたらいい。国を思う人たちと、国よりも自分たちの血族関係が大事な人たちを入れ替える。
【高山】 なるほどいいアイデアだ。感覚が全然違うんですね。普通の国民と。
【宮崎】 そのうえ、自虐史観にどっぷりつかっていて話にならない。
【高山】 そうそう。だから、気迫に満ちた交渉を行った外交官がほとんどいない。あれは1973年3月だ。PLOのテロ組織「黒い9月」がスーダンでサウジアラビア大使主催のパーティを襲った。彼らはイスラエルに捕らえられた仲間の釈放を要求し、パーティに来ていた米大使クリオ・ノエル・ジュニアに同顧問ジョージ・ムア、ベルギー外交官ギー・アイドを次々処刑していった。
ノエル大使は処刑前、妻に別れを言い、息子に「私に代わって母を大切にしてほしい」と告げ、裏庭に向かった。しばらくして数発の銃声が聞こえたと家族は語っていた。
その翌年の2月、「PFLP」は日本赤軍と協力してクェートの日本大使館を襲った。口の軽い日本赤軍兵士が捕まっていた。その釈放を求めてのテロだった。
その時の大使が石川良孝で、彼は女性の更衣室に逃げ込んで震えているところを見つかって、引きずり出される。
外務省に電話してきて「助けてくれ、殺される、殺される」と、もう震える声で命乞いをして、結局、日本はテロリストの言葉を全部飲んで彼は助かる。一方のアメリカ大使は臆することのない態度で処刑されている。石川良孝は戻ってきて出世している。これも外交官試験と縁故の関係。外務省は日本のために外交をやっているんじゃないんだ。
【宮崎】 神経が違うようですね。平成8(1996)年、ペルーの大使公邸が襲われて、青木盛久大使が救出された時に、天皇陛下の写真ではなく、橋本龍太郎の写真を持って出てきた。「おかげさまで事件は解決しました」と。橋本は何をしてたかというと、外務省本部に毎日、アンパンを届けただけじゃない。あいつはあだ名がアンパンマンっていうんだけど。
仮にも大使は、全権駐箚大使というのは、天皇陛下の名代であって、首相の名代ではない。
国家のあり方、外交の基本が外務省はわからなくなっている。青木は確かタンザニアに飛ばされたんだけど、森喜朗が首相の時に何かの仕事でタンザニアに行った。そうしたら酔っ払って絡んできて、ぐちゃぐちゃ言ってたと。彼は青木周蔵の曾孫でしょう。
【高山】 親子三代大使一家だ。大使の息子が大使になれたのはまさに外交官試験のおかげだった。それから、平成14年(2002)年の中国瀋陽の事件、脱北者の家族が亡命するために日本領事館に逃げ込んできた。支那官憲が領事館内に入り込んで引きずり出す際に、一切関わろうとしなかった。外交官の務めも忘れている。目の前でどんなに泣き叫ぼうが殺されようが関係ない。
この事件の時にわかったんだけど、外務省には危機に陥った時、「逃げろ」「対応するな」「抗議は後でする」という行動指針が伝授されているらしい。
【宮崎】 本当なの? それでは外交の役割は果たせない。
【高山】 そうだ。これも言っておかなければならない。
平成4(1992)年。モロッコの首都ラバトで岡本治男公使が酔っ払って自動車を運転し、タクシーに追突し、その事故で現地住民を死なせた。当然懲戒免職だよね。
だけど、驚いたことに停職1か月。そして、最後にはドミニカ共和国の特命全権大使になっているんだ。これなんか、省内によほど強い姻戚関係があったんだろうと考える。
これでは外交官のための外交官であって、到底、日本のための外交官だとは言えない。
【宮崎】 外交官試験は廃止となったけど、その外交官試験制度のもとで何がなされていたか、外交官の在り方は根本的に検討がいる。そうした負の遺伝子が外交官試験によって親から子へ伝えられていた。
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◆お勧め情報【 拡散希望 】
日本が東京裁判史観の呪縛から解き放たれるために
★「東京裁判史観」
★「WGIPの洗脳にかかったままの日本」
★「今も生きているプレス・コード」
★「GHQ焚書図書」
★「公職追放が『敗戦利得者』を生み出した」
★「『進歩的文化人』という名の国賊12人」
★「真珠湾攻撃の真実」
★「南京大虐殺というプロパガンダ」
★「歴史教科書問題から生まれた近隣諸国条項」
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外務省は日本のために外交をやっているんじゃないんだ。外務省には危機に陥った時、「逃げろ」「対応するな」「抗議は後でする」という行動指針が伝授されているらしい。
◆国より閨閥が大切な外交官たち
『世界を震撼させた歴史の国日本』
【 高山正之&宮崎正弘、徳間書店 (2020/2/28)、p182 】
【高山】 外交官試験は平成12(2000)年実施を最後にして廃止されたけれど、先の日米開戦で「最後通告」をキャリア組でタイプできるのは1人しかいなかったということなどを見ると、外交官試験もさりながら、以後の育成教育がまったくなっていない。
森喜朗内閣の時じゃないかな。外交官試験というのが国家公務員試験に吸収された。
それまでの外交官試験は、大使が受験生を審査した。しかし、受験生の中にかなりの人数の大使の息子がいる。だいたい1回に25人くらいが採用された。後に英米とかの一流国大使になる上級職に当たる人たちだ。ところがその25人のうちの5人は確実に大使の息子枠なんだよ。
それで残りの20人はどうするかといったら入省後、大方が大使の娘を嫁さんにする。だから外務省の上の方は、学問でも門閥でもなくて、閨閥つながりと言ってもいい。これは冗談みたいな話だけど、外交官が死にましたという葬式で、全部親族席に座るっていうんだ。
【宮崎】 となると一般席はほんのちょっと。
【高山】 一般席はなし。ないんだよ。つまり外交問題は常に息子の職場であり、女婿の問題になる。だから事を荒立ててはいけないわけ。相手国と事を構えたりしたら、息子はそこに駐箚(ちゅうさつ)大使として行けないから。
【宮崎】 私、前から言ってるんだけど、外務省と防衛省を入れ替えたらいい。国を思う人たちと、国よりも自分たちの血族関係が大事な人たちを入れ替える。
【高山】 なるほどいいアイデアだ。感覚が全然違うんですね。普通の国民と。
【宮崎】 そのうえ、自虐史観にどっぷりつかっていて話にならない。
【高山】 そうそう。だから、気迫に満ちた交渉を行った外交官がほとんどいない。あれは1973年3月だ。PLOのテロ組織「黒い9月」がスーダンでサウジアラビア大使主催のパーティを襲った。彼らはイスラエルに捕らえられた仲間の釈放を要求し、パーティに来ていた米大使クリオ・ノエル・ジュニアに同顧問ジョージ・ムア、ベルギー外交官ギー・アイドを次々処刑していった。
ノエル大使は処刑前、妻に別れを言い、息子に「私に代わって母を大切にしてほしい」と告げ、裏庭に向かった。しばらくして数発の銃声が聞こえたと家族は語っていた。
その翌年の2月、「PFLP」は日本赤軍と協力してクェートの日本大使館を襲った。口の軽い日本赤軍兵士が捕まっていた。その釈放を求めてのテロだった。
その時の大使が石川良孝で、彼は女性の更衣室に逃げ込んで震えているところを見つかって、引きずり出される。
外務省に電話してきて「助けてくれ、殺される、殺される」と、もう震える声で命乞いをして、結局、日本はテロリストの言葉を全部飲んで彼は助かる。一方のアメリカ大使は臆することのない態度で処刑されている。石川良孝は戻ってきて出世している。これも外交官試験と縁故の関係。外務省は日本のために外交をやっているんじゃないんだ。
【宮崎】 神経が違うようですね。平成8(1996)年、ペルーの大使公邸が襲われて、青木盛久大使が救出された時に、天皇陛下の写真ではなく、橋本龍太郎の写真を持って出てきた。「おかげさまで事件は解決しました」と。橋本は何をしてたかというと、外務省本部に毎日、アンパンを届けただけじゃない。あいつはあだ名がアンパンマンっていうんだけど。
仮にも大使は、全権駐箚大使というのは、天皇陛下の名代であって、首相の名代ではない。
国家のあり方、外交の基本が外務省はわからなくなっている。青木は確かタンザニアに飛ばされたんだけど、森喜朗が首相の時に何かの仕事でタンザニアに行った。そうしたら酔っ払って絡んできて、ぐちゃぐちゃ言ってたと。彼は青木周蔵の曾孫でしょう。
【高山】 親子三代大使一家だ。大使の息子が大使になれたのはまさに外交官試験のおかげだった。それから、平成14年(2002)年の中国瀋陽の事件、脱北者の家族が亡命するために日本領事館に逃げ込んできた。支那官憲が領事館内に入り込んで引きずり出す際に、一切関わろうとしなかった。外交官の務めも忘れている。目の前でどんなに泣き叫ぼうが殺されようが関係ない。
この事件の時にわかったんだけど、外務省には危機に陥った時、「逃げろ」「対応するな」「抗議は後でする」という行動指針が伝授されているらしい。
【宮崎】 本当なの? それでは外交の役割は果たせない。
【高山】 そうだ。これも言っておかなければならない。
平成4(1992)年。モロッコの首都ラバトで岡本治男公使が酔っ払って自動車を運転し、タクシーに追突し、その事故で現地住民を死なせた。当然懲戒免職だよね。
だけど、驚いたことに停職1か月。そして、最後にはドミニカ共和国の特命全権大使になっているんだ。これなんか、省内によほど強い姻戚関係があったんだろうと考える。
これでは外交官のための外交官であって、到底、日本のための外交官だとは言えない。
【宮崎】 外交官試験は廃止となったけど、その外交官試験制度のもとで何がなされていたか、外交官の在り方は根本的に検討がいる。そうした負の遺伝子が外交官試験によって親から子へ伝えられていた。
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日本が東京裁判史観の呪縛から解き放たれるために
★「東京裁判史観」
★「WGIPの洗脳にかかったままの日本」
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★「歴史教科書問題から生まれた近隣諸国条項」
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