バハルス帝国の都アーウィンタールは現在、最も急速に成長している都市といってよい。6代目皇帝ジルクニフが行った大改革によって過去に類をみない繁栄を謳歌する帝国はその中心部であるこの都市を、驚くべきスピードで整備した。ほぼ全ての道路はレンガや石で舗装され、上下水道がその下を通る。将来への希望により市民たちの顔は明るく、様々な職業に就く人々によって街は活気に満ち溢れていた。
しかし帝都の活気も夜になればある程度収まる。昼間は品物を売買する人でごった返していた市場はすっかり静まり返り、王国での魔皇出現の噂や武王の連勝について熱心に話し込んでいた人々は皆家路に着いた。まだ夜がふけきらない間は出歩いていた仕事帰りの市民や酔っぱらいの姿も真夜中になる頃には見られなくなっていた。
そんな寝静まった夜の帝都を歩く者が二人。夜闇と一体化しそうなほど黒いマントを羽織り、石畳の上を足早に歩いている。フードを目深に被っているため顔かおろか性別さえ判別できない。二人はどこかそわそわと周りを気にしながら歩いている。その姿はいかにも怪しく、後ろ暗い事情を持っていることを感じさせた。
もし巡回の騎士がこの怪しげな二人組を見つければ迷わず声をかけただろう。しかし、彼らを呼び止める者は誰もいない。
不自然なほど通りは静まり返っていた。まるで周りの建物には誰も住んでいないかのように。
だが、二人組はその静けさに違和感を感じることなく歩き続ける。
やがて裏通りに面した廃墟一歩手前のような屋敷の前に着くと、前を歩いていた人物がもう一人に何か囁いた。すると囁かれた方のの人物は軽く頷き、二人はそそくさと屋敷の中へと入って行った。
◇◇◇
「上手くいきましたね」
先にマントを脱いだ男が言う。
「ええ、そうね。誰にも出会わずに到着できたのは幸運だったわ。衛兵に賄賂を渡して顔を覚えられたくないもの」
「これなら予定通り儀式を実行できそうです」
男は女の言葉に返事を返しながらも相手の分別の無さに内心では苛ついていた。女の編み込まれた髪や装飾のついた服などは自分が貴族だと言いふらしているようなものだ。この女なりに下層民になりきろうと質素な服を着て来たようだが誰かに見られれば一目で見破られてしまうだろう。もし本当に衛兵に呼び止められていればローブを脱がざる負えなくなり、正体がバレてしまったはずだ。
だが男は苛立ちを抑え込み、平静を装った。なにせ今回の任務の結果によっては結社内での自分の地位を上昇させることが出来るのだ。それにこの女やこれから
「何回来ても嫌になるわねこの場所は。ジメジメしていてカビ臭いし、屋敷中に汚らしい小動物が住み着いてる。儀式のためでなかったら絶対に来ないわ」
女が不平を漏らす。
「それには全く同意見です。しかし今回は我らズーラーノーンの高弟様をこの世に呼び戻す重要な儀式。そんなことは言っていられません。我々に失敗は許されないのです」
「貴方に言われなくてもわかっているわ。盟主様は高弟様の蘇生という栄誉ある任務をこの私に任せてくれたの。盟主様のご期待には答えなければ!」
この女は盟主に心酔している。自分の利益の為に入信した男とは異なり、多くの結社員が盟主を崇拝しているのだから何も不思議なことではない。しかしさっきの女の目は恋に焦がれる乙女のようだった、と男は思った。
(それにしても嫌な女だ。最初から自分を見下してやがる)
男は心の中で毒づきながらもランタンに火を入れると、廊下の突き当たりにある扉まで女を導いた。扉を開けるとそこには薄暗い地下室へと階段が続いていた。
かなり急な階段であったが、ここ数日儀式の下準備のためにこの地下室に何度も通っていた男には降り慣れたものだった。躓きそうになる女を支えながら段を一歩一歩降りていく。
地下室はもともとそれなりに広かったが、ほとんど物が置かれていないためよけいに広く感じられる。部屋の中央には祭壇が鎮座しておりその上には女性の遺体が横たえられていた。
不思議な遺体であった。肌は蝋のように白く、明らかに死人のそれなのに、何故かまだ生きているかのように、そう、ただ眠っているかのように見えるのだ。腐敗もしないこの遺体が死後2ヶ月以上経過していることや、運び込まれた時には見るも無残な状態であったらしいということは事情を聞いている男にもにわかには信じられなかった。これは盟主が作成したマジックアイテムの効果だという。
男には遺体の女性はまだかなり若いように見えた。20代前後だろうか。12高弟の一人とはとても思えない。まるで彫刻のように滑らかなボディラインを豊かとは言い難い胸のふくらみが完成させていた。艶やかな金髪にどこかネコ科の動物を思わせる端正な顔立ちは死した後もなお魅力的である。生前はさぞたくさんの男を惑わしたのだろう。
祭壇の横には大きな台が置かれ、その上に清潔な服と見慣れない形をした短剣が置かれている。男が指示を受け、事前に用意した物だ。異様に長いその短剣の両側に刃はついておらず、先端が鋭く尖っている。商売で武器を扱うことがある男にもそれがどのような用途のものなのかわからなかった。
「この短剣は一体なんなんです?」
男は尋ねる。儀式に短剣を使うとは聞いていない。
「それは…彼女のものよ」
「彼女?この女性の事ですか?結社の高弟様が剣を扱うとは思えませんがね。護身用なら頷けますが…」
「私にも分からないわ。高弟様たちは皆、強大な力をお持ちになっているの。勿論、盟主様が最も偉大かつ強大だけど高弟様も私たちが足元にも及ばないくらいの力の持ち主だわ。それを隠す為に様々な身分をお持ちなのよ。この短剣もその一環でしょう」
女がまくし立てるように話し始めた。どうやら自分が知らないことがあるのが嫌なようだ。
「そもそも盟主様と高弟様は…少し話し過ぎたわね。……私が知らないことを貴方は知る必要がないの、いい?とにかく言われたことだけをして」
「申し訳ありません。速やかに準備します」
男はそう言うと遺体を清め始めた。
◇◇◇
女は懐から禍々しい色をしたオーブを取り出した。河原にでも転がっていそうな代物だがよく見てみると中で何かが蠢いている。他の結社員とは異なり「死」への好奇心など微塵もない男ですらその物体から目が離せない。
オーブを取り出した女はそれを遺体の顔の上にかざし、詠唱を開始した。それと同時に球の中の蠢きが激しくなり、青白い光が漏れ始めた。ズーラーノーンの儀式にしてはえらく神秘的である。
女の詠唱がだんだんと早まっていく。光もより輝きを増し、地下室全体を明るく照らし始めた。
これ以上見ていたら目が焼かれてしまう。男がそう思い、強烈な光から目を話そうとしたその時、突如として光が消えた。
「成功だわ!偉大なる盟主様と死の力に栄光あれ!」
女が叫んでいるのが聞こえる。男は眩んだ目が回復すると、祭壇に近寄った。
先ほどまで物言わぬ遺体だった女性の目が開いている。真っ白だった肌の色も心なしか色を取り戻している気がする。
儀式は成功したのだ。
「クレマンティーヌ様、聞こえますか。貴方は蘇ったのです!偉大なる盟主様の力によって!」
蘇った女性、クレマンティーヌは何の反応も示さない。しかし興奮した女は盟主を褒め称える言葉を発し続ける。
「お前!クレマンティーヌ様に御召し物を!早く!」
興奮からか男の呼び方がお前に変わっている。
(気狂いめ)
男は再び心の内で毒ずくと、台の上に乗った服に手を伸ばす。ふと違和感を感じた。何かが違う。そんな感覚。
女は頻りに名前を呼び続けている。
「クレマンティーヌ様、聞こえますか?クレマンティーヌ様、クレマンティ……」
女の声が途切れた。
男は違和感を振り払い、女に目を向ける。
ツノが生えている。魔物のような銀色のツノが頭のから飛び出ている。いや、そんなはずはない。あれは…
違和感の正体を理解した男の顔が恐怖に染まる。無くなっていたのだ。奇妙な形をした短剣が。自身が用意して台に置いたあの短剣が。
女が崩れ落ちる。その体で見えなかった祭壇には笑みを浮かべた女性が腰掛けていた。片手には短剣が握られ、その美しい肢体は鮮血で鮮やかに彩られている。赤みを取り戻した肌は健康的で、かつ聖女のように清らかだった。
男は立ちすくんだ。先ほどまで猫を思わせる雰囲気だった女性が今や獰猛な肉食獣に見える。
(こんなところで死ぬわけにはいかない。冷静にならなければ。これは12高弟の一人にとり入るチャンスだ)
男が覚悟を決め口を開こうとした瞬間、鋭い突きが繰り出された。到底、常人には捉えることの出来ない速さで繰り出された刺突は男の眼光を抉り、頭蓋骨をひしゃげさせ、吹き飛ばした。鮮血が地下室の天井にほとばしる。
成り上がりを夢見た男は痛みを感じる間も無く絶命した。
◇◇◇
男たちが蘇らせた女性の名はクレマンティーヌ。元漆黒聖典第九席次であり、英雄の領域に足を踏み入れた戦士であった。
初投稿なので拙い文章だと思います。風呂で考えた妄想を書き出しただけです。