豚肉は生産者の努力のお陰で、昔よりもずっとおいしくなった素材の一つ。豚の品種改良の結果、肉質は緻密になり、脂肪のバランスもよくなりました。また、昭和60年頃からSPF豚(日本SPF豚協会が定めた基準に基づき飼育された、特定の病原体を持たない健康な豚)が普及したことも大きかったと思います。SPFの目的は豚を健康に育てることでしたが、豚を衛生的な環境で育てることで、特有の臭みが減ることがわかったからです。
おいしい肉はただ焼くだけで立派な料理。昔の豚なら唐揚げや生姜焼きなど味付けが立った肉料理がいいですが、今日はシンプルな調理で今時のおいしい豚肉を味わいましょう。
ポークソテー
材料(2人前)
豚ロース肉 2枚(厚さ1cm〜1.5cm/1枚120g〜150g)
塩 肉の重量の1%
植物油 小さじ1
(市販のガーリックチップス) 適量
まずは豚の部位の選択から。ポークソテーに使われる部位は一般的にヒレ、豚肩ロース、ロースの3種類。
ヒレ肉はやわらかいですが内臓に近いので特有の匂いがあり、味も淡泊なので今回は除外。豚肩ロースは安価で味も濃いのですが、硬めなのでやはり除外します。今回はスーパーでトンカツ用として販売されているやわらかさと味のバランスが一番いい、豚ロース肉を選びました。
目指すべきは〈表面はカリッとして、なかはしっとり〉という仕上がり。
「豚肉にはしっかり火を通すべき」
とよく言いますが、実際には焼き過ぎると身が硬くなり、パサパサになってしまうので、火の通しすぎには注意する必要があります。
1.肉は脂身と肉の部分の境目に三カ所程度、包丁を入れる。
*筋切りは最小限に
筋を切らないと肉が反ってしまい、上手に焼けません。そこで筋を切る必要がありますが、切れ目を入れるとそこから肉汁が流出するので、最小限に抑えるのがベター。包丁で切れない場合は先が尖った調理用のはさみを使うと簡単です。
肉をやわらかくしたいのか、フォークで穴を開けている人を見かけますが、おすすめしません。加熱をすると穴が広がり、そこから肉汁がどんどん流出してしまうからです。しっとりとした仕上がりのためには肉汁を逃さないのが大事。したがって肉を叩くのも、細胞や繊維が潰れ、そこから水分が出てしまうのでやめましょう。そんなことをしなくても今の肉はやわらかいので大丈夫です。
2.1%重量目安の塩を両面に振る。
*塩を振ってから焼くまでの時間
塩を振った後の選択肢は以下の2つ。それぞれにメリット、デメリットがあります。
① 塩を振ったらすぐに焼く方法
塩を振ってすぐに焼きはじめると、きれいな焼き色がつきます。デメリットは内部まで塩気が浸透しないこと。
② 塩を振って30分以上置いてから、表面の水気を軽くふきとってから焼く。
塩を振ってから時間を置くと表面に浮いてくる水分の影響で、焼き色がきれいにつかなくなります。塩によって肉の筋繊維から引き出された水分が蒸発するまでは、フライパンのなかで肉が茹でられた状態になってしまうからです。
しかし、その状態で30分以上待つと、表面に浮いた水分が次第に肉に再吸収されます。塩を含んだ水分が肉に戻ったこの状態で焼きはじめれば、しっとりとした仕上がりになります。塩気が浸透するのもメリット。
デメリットは①よりも時間がかかることと、焼き色がやや薄くなること。今回は焼き色を優先し、①の方法を採用しました。
3.植物油小さじ1を敷いた冷たいフライパンに脂身を下にした豚肉を置き、弱火にかける。脂身を焼く目安は5分。
*脂身は火の通りが遅い
脂身の部分は肉よりも調理に時間がかかるので、先に焼くのがポイント。脂を落とすことで、仕上がりもさっぱりします。また、溶け出した脂がフライパンと肉のあいだに入り、焼き色も均一になります。
火加減は弱火。強い火で加熱すると脂の内部まで火が通る前に、表面が焼けてしまうからです。
4.脂身に焦げ目がついたら最終的に表になる側から焼きはじめる。ここで火を中火に強める。
*メイラード反応が進む温度がポイント
肉の部分を焼きはじめるとフライパンの表面温度が下がります。豚肉からパチパチと音がするのは水分が蒸発している証拠ですが、水分は蒸発する際に周りの熱を奪っていく(気化熱=夏場の道路に打ち水をすると涼しくなる原理です)からです。
弱火のままだと表面の水分が蒸発されずに煮た状態になってしまい、その水分が飛んで焼き色がつく頃には豚肉に火が入りすぎてしまいます。ソテーした豚肉のおいしさはカリッと焼けた部分のメイラード反応。そこで、フライパンの表面温度をメイラード反応が進む177℃前後以上まで上げるために、火を強めます。
きれいな焼き色がつく表面温度の目安は180℃から200℃。温度計がなくてもジュージューと美味しそうな音が出て、きれいな焼き色がつけば適温とわかります。時間の目安は2〜3分程度。
5.焼き色がついたら裏返し、火を弱める。
*裏側はよく焼かなくても大丈夫
裏返したら火を弱めます。火が強いままだと、今度はフライパンの温度が上がりすぎてしまいます。裏側は1分ほど焼くだけで、あまり焦げ色をつけなくても大丈夫。両面に焦げ色がついた頃には豚肉に火が通り過ぎ、水分が飛んでしまってジューシー感がなくなります。
焼き加減の判断は指で触ってみて、生肉とは違う弾力があること。トータルの焼き時間は10分未満のはずです。焼きすぎにはくれぐれも注意してください。
6.バットにうつして、アルミホイルをふんわりとかける。
*予熱を使って中心温度をコントロール
火からおろした後も表面の熱が内部に伝わる(=熱伝導)ので、加熱は続きます。予熱を使ってゆっくりと温度を上げるのも火を通しすぎないコツ。
ただ、アルミホイルで完全に包んでしまうと蒸らされた状態になってしまい、表面のカリッとした感じがなくなるので注意。あくまでふんわりとかけて、蒸気は逃がすようにしましょう。
焼き上がったばかりの肉を落ち着かせることで肉の保水力が上がり、切り分ける時の肉汁の損失量も減ります。
7.切り分けて、皿に盛り、ガーリックチップスを添える。
今日は包丁で適当な大きさに切り分けました。食べる人が切る形でもいいのですが、豚肉は牛肉と違って肉汁が流れやすいので、包丁で切ってしまったほうが、おいしく食べられると思います。もちろん、よく切れる包丁を使うのがベター。
ちなみに肉を休ませた時に肉汁が出ているはずです。これは極上のソースになるので決して捨てないようにしてください。ソースとしてかけるか、後ほど紹介するトマトソースに入れます。
肉は常温に戻す必要はない?
さて、あらゆる料理本には「肉は焼くまでに常温に戻しておく」と書いてあります。僕自身も色んなところで書いたり、話したりしてきましたが、実は最近、これくらいの豚肉には必要ないのではないか、と思っています。
根拠は以下の通りです。
肉を室温に出しておく目的は『生焼けを防ぎ』『加熱ムラをなくす』の二つ。今回、冷蔵庫から出したての豚肉の中心温度を計ってみると6℃。多くの料理本が「20分前に肉を出しておく」ことを推奨しているので、10分間隔で肉の中心温度を確認しました。
10分経過……中心温度10℃
20分経過……中心温度13℃
30分経過……中心温度16℃
料理本で推奨されている20分では温度の変化は7℃ほど。室温が20℃前後と仮定すれば、これ以上置いても20℃までしか上がりません。20分常温に置くことで、中心温度60℃を目指す場合、加熱時間を10%ほど短くできる計算ですが、逆に言えばトータルの焼き時間が10分だとするとたった1分の違いです。
さらに中心温度6℃の肉と16℃の肉を同時に焼いてみると、「中心温度は両方とも73℃」でした。計算では10%ほど長く焼かなければ同じように焼けないはずですが、差はほとんどないという結果です。
加熱ムラについても差はほとんどなく、同じような仕上がり。最初の室温に戻す温度上昇分よりも、後からの加熱の影響が大きかったから、と考えられます。
結論としては1〜1.5cmの豚ロース肉に限っていえば肉を常温に戻しておく必要は特になく、そのまま焼きはじめても特に影響はないと言っていいと思います。
肉の塩気を和らげるフレッシュトマトソース
今回は肉の重量に対して1%の塩を振りました。塩気がやや強めに感じられる人もいるかもしれませんが、塩味は「ジューシー感」に影響するので控えすぎるのも注意。
食品科学の世界ではジューシーさは2つの段階に定義されます。一つ目は「食べ物を口に入れた瞬間に感じる水分」です。これは肉自体に含まれる自由水の量に影響されます。二つ目は「噛むほどにあふれ出てくる水分」。こちらは肉の脂肪と風味が唾液の分泌を刺激することによって生じます。
二つ目の段階で鍵になるのがメイラード反応と塩の量です。低温で焼いた肉よりも高温で焼いた肉は、水分蒸発量が多くなりますが、それでも高温で焼いた方がジューシーに感じられるのはメイラード反応がより起きているからですし、塩は唾液の分泌をうながすので、よりジューシーに感じられます。
肉の塩気が強いと思ったら、塩気を控えるよりもそれを和らげるソースを添えるのがおすすめ。次に紹介するのは今の時期にぴったりのフレッシュトマトソース。
フレッシュトマトソース
材料(二皿分)
トマト 2個
酢(ワインビネガー又は米酢) 小さじ1
パセリのみじん切り 適量(又はバジルのみじん切りや大葉のみじん切りでもOK)
作り方は簡単。まずはトマトのへたをとります。トマトのへたを取るときは、包丁の先を差し込み、トマトを回すようにします。
へたをとったトマトを8等分の櫛形に切ります。
さきほどの肉を焼いたフライパンの脂を捨て、中火で温めます。
あまり長く火にかけると崩れるので注意。トマトが温まり、表面が少し溶けるくらいが目安です。トマトが甘いので酢の酸味を少し加えてバランスをとります。肉に塩気があるので、塩は不要。
仕上がりにパセリかバジル、大葉のみじん切りで、緑の香りと色を添えます。できたらさきほどの肉を休ませている時に出てきた肉汁も加えます。
肉にかければ出来上がり。夏の時期ならではのフレッシュ感がうれしいソースです。
さて、豚肉を加熱するとかならず〈よく火を通さないとダメなのでは?〉という話になります。今回は中心温度71℃を目指し、結果として73℃で仕上げましたが、おいしさを優先するなら中心温度65℃程度だと極上のポークソテーになります。
65℃の肉は危険なのでしょうか? 必ずしもそうとは言えません。たしかに豚肉には寄生虫や肝炎ウイルスのリスクがあります。厚生労働省は2015年6月に食品衛生法に基づき、豚肉や内臓を生食用として販売、提供することを禁止しました。この施策の目的は豚レバーによる健康被害のリスクを抑えるためで、現在スーパーに行くと〈お肉や内臓は中心部まで十分に加熱して食べましょう〉という注意喚起が表示されています。
生食禁止は当然で、例えば豚レバーはE型肝炎の原因として確認されている食材です。豚肉もリスクの高い生食は絶対に避けるべきでしょう。
問題は「中心部まで十分に加熱して食べましょう」の〈十分〉はどれくらいか、という話です。厚生労働省は〈豚の食肉の中心部の温度を 63°Cで 30 分間以上加熱するか、これと同等以上の殺菌効果がある方法で加熱殺菌〉することを推奨しています。同等以上というのは例えば75°C1分間以上の加熱を指しますが、この基準(75°C1分間以上)を守って調理すると、肉はパサパサで、まったくおいしくありません。
実はこの基準を守らなければ絶対に危険か、というとそうではなく、例えばアメリカでは豚肉の加熱調理に際して、62.8℃で3分を推奨しています。(瞬時にこれと同等の安全性を得るための中心温度は71°Cになるので、今回はその温度を目指しています)味を考えるならこちらの基準が適正だと思います。
これらの数字にはそれぞれたしかな根拠がありますが、レバーはともかく豚肉の場合は必要以上に怖がる必要はなく、今回のようにきちんと加熱し、普通に調理された肉であれば肝炎ウイルスや食中毒の心配はありません。
大事なのはこの「普通」という部分。暑いところに食材を放置しない、調理に使う道具とその後の食器を使い分ける、できあがった料理はすぐに食べる、など危険を避けるには基本的な部分を守る必要があります。(食中毒を防ぐ3つの原則と6つのポイントについては政府広報などが参考になるでしょう)
参考文献
マギー キッチンサイエンス -食材から食卓まで- ハロルド・マギー著 香西みどり他訳 共立出版
『豚の改良増殖をめぐる情勢』(農林水産省生産局畜産部畜産振興課)
食品健康影響評価のためのリスクプロファイル〜ブタ肉におけるE型肝炎ウイルス〜 食品安全委員会
お肉はしっかり火を通してから食べましょう (農林水産省)
USDA Safe Minimum Internal Temperature Chart