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【社説】

3・11から9年 命の山を築いた心

 メロン栽培で知られ、稲作も盛んな静岡県袋井市。遠州灘に面した市域の南半分は、海抜の低い平たんな地形です。

 田園とビニールハウスが広がり住宅が点在する一帯に、古びた人工の小山が二カ所残っています。江戸時代の人たちが水害から身を守るために造った「命山」です。

◆江戸時代の知恵残る

 古文書によると、一六八〇(延宝八)年に強い台風による高潮が一帯に押し寄せ、現在の同市周辺で三百人が死亡したといいます。

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 生きのびた村人たちが、水害を教訓に「中新田命山」=写真(上)=と「大野命山」を築きました。一辺約三十メートル、高さは五メートル前後。「命塚」「助け山」とも呼ばれていたようです。古文書には「その後の高潮では村人全員がこの山に登り、潮が引くのを待った」とも書かれています。

 この言い伝えを住民は知っています。一方で子どもたちには格好の遊び場。地元コミュニティーセンター館長松下雅由さんも「小さいころは毎日のように登って遊んだ」と懐かしみます。

 住民にとっては地域のよりどころ。「守り神のような存在」と前自治会連合会長の近藤五郎さんは言います。命山には桜の木などが植えられ、住民は定期的に草取りをして手入れしています。二〇〇七年には県文化財(史跡)に指定されました。

 古くはたびたび水害にあったこの一帯も、二十世紀以降は命山に避難しなければならないほどの災害は起きていないようです。

◆3・11と「南海トラフ」

 そんな中、命山の重要性を再認識させたのが、二〇一一年三月十一日の東日本大震災でした。

 袋井は震度4。津波はありませんでしたが、結構揺れました。当時の自治会連合会長安間登さんはあの午後、テレビの映像を見ながら「大津波が来れば、ここも同じになる」と震えました。東海地震(後の「南海トラフ地震」の一部)の予想震源域に近いこともありとっさに思い浮かんだのは、地元に残る命山のことだったそうです。

 「大津波に備えるには江戸時代の命山は小さくて低い。袋井ならではの『平成の命山』を造ろう」。安間さんは早くも翌四月、命山建設の要望書を市長に提出。五月には自治会や企業、学校関係者らで津波対策の住民組織をつくり、行政と一緒に動きだしました。

 新しい命山は一七年度までに市の事業で大小四基完成しました。高さ(海抜)十メートル、頂上の避難スペースはそれぞれ三百~千三百平方メートルあり、合計で二千三百人余を収容できます。総事業費は約十三億円。一部は市民の寄付です。

 階段のほか、緩いスロープで登ることもできます=写真(下)、袋井市提供。同市の南海トラフ地震の最大津波高の予測は一〇メートルですが、海岸から一キロ前後の各命山での浸水高は一~二メートルに減衰される予測です。二階建ての家が流されてきてぶつかっても頂上には影響がないといいます。用地は比較的容易に市が入手できました。市民の防災意識の高さゆえでしょう。

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 むろん、命山は造っておしまいではありません。予測では、同市の海岸線には地震から十九分で津波が到達します。住民は、それ以前に命山に到着しなければならず、年三回の避難訓練で防災意識を養っています。現自治会連合会長鈴木敬徳さんは「住民の心には『水害には命山』の底流があります」と話します。

◆共助と伝承の力

 名古屋大減災連携研究センター長の福和伸夫教授は「維持管理が

安価に済みます。江戸時代の命山が残っており、長持ちでもあります」と、津波対策として太鼓判を押します。静岡市や浜松市、愛知県田原市など、海岸に沿う他の自治体にも広がりつつあります。

 ただ、命山がすべてではありません。平たんな海岸部ならば津波避難タワー、山地が迫っていれば山への避難階段など、地形に合った施設の整備が望まれます。

 災害時、一番重要なのは地元の力です。核心は、先人の知恵への敬意と共助の心でしょうか。命山はその象徴のように思います。

 

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