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元首相は映画『Fukushima 50』をどう見たか 菅直人インタビュー【1】 

事故のリアリティはよく出ている。ただし描かれていないことも多い

中川右介 編集者、作家

東電と官邸は意思の疎通ができていなかった

――しかし、清水社長が政府に「撤退したい」と要請していたことを知らない吉田所長としては、「さあ、がんばろう」と思っていたのに、いきなり総理が、「撤退はできない」と言い出したので、「何、言ってるんだ、このひとは」という気持ちになったように描かれています。

 吉田所長としては、そうだったかもしれません。とにかく、東電と官邸は意思の疎通ができていなかった。おそらく、現場と本店も意思の疎通ができていなかったのではないでしょうか。

 統合対策本部を作ってからは、現場がどうなっているか、ストレートに情報として入ってくるようになったので、スムーズに対応できるようになりました。

 そして偶然ではありますが、私が東電本店にいる間に、状況が大きく変わりました。

拡大建屋側面から水蒸気が上がる2号機=2011年3月24日

 爆発音がしたんです。危機的状態だった2号機が爆発していたら、日本は終わっていたのですが、そうではなく、4号機の建屋が爆発し、ほぼ同時に2号機のどこかに穴があき、圧力が低下しました。放射性物質は大量に出てしまいましたが、2号機の格納容器そのものが爆発していたら、手がつけられなくなっていました。

 つまり、ゴム風船に空気を入れすぎて破裂した場合は、風船が粉々になります。これが最悪の事態です。ところが、2号機は紙風船に穴があいたようなかたちとなり、空気が抜けていったのです。それで大爆発は免れました。

 私が「神の御加護」と言うのは、具体的には、この2号機の圧力低下です。もうひとつが4号機の使用済み核燃料プールに水が残っていたことです。とくに2号機については、あけようと思って何かをして穴があいたわけではなく、本当に人の力をこえた何かのおかげだったのです。

 しかし、そういう奇跡が、次の事故のときも起きるわけがありません。アメリカの合衆国原子力規制委員会(NRC)の委員長だったグレゴリー・ヤツコさんは、福島の事故の後、「原発事故は、いつ、どこで起きるかは分からないが、いつか、どこかで必ず起きる」と言っています。その通りだと思います。

 ヤツコさんは、「原発を止めろ」とは言わないんです。「原発を作っていいのは、事故が起きても住民に被害が及ばないところだけだ」という言い方をします。つまり、半径250キロ以内に人が住んでいないところです。アメリカやロシアにはそういう条件を満たすところがあるかもしれませんが、日本にはありません。(つづく)

※菅直人インタビュー【2】は3月12日午後5時に公開予定です

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筆者

中川右介

中川右介(なかがわ・ゆうすけ) 編集者、作家

1960年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2014年まで出版社「アルファベータ」代表取締役として、専門誌「クラシックジャーナル」、音楽書、人文書を編集・発行。そのかたわら、クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲などについて、膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、歴史に新しい光を当てる独自のスタイルで執筆。著書は『カラヤンとフルトヴェングラー』『十一代目團十郎と六代目歌右衛門――悲劇の「神」と孤高の「女帝」』『月9――101のラブストーリー』(いずれも幻冬舎新書)、『山口百恵――赤と青とイミテイション・ゴールドと』『松田聖子と中森明菜――一九八〇年代の革命』(ともに朝日文庫)、『戦争交響楽――音楽家たちの第二次世界大戦』『SMAPと平成』(ともに朝日新書)、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『角川映画 1976-1986(増補版) 』(角川文庫)、『怖いクラシック』(NHK出版新書)など50点を超える。

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