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元首相は映画『Fukushima 50』をどう見たか 菅直人インタビュー【1】 

事故のリアリティはよく出ている。ただし描かれていないことも多い

中川右介 編集者、作家

「撤退はあり得ない。撤退したら、東電は必ずつぶれる」

 火力発電所の事故で、火の勢いが止まらないので一時撤退することはありえます。極端に言えば、燃えるものがなくなれば火は消えるわけですから。でも、原発はそうはいかない。一度、撤退してしまうと、放射線量がどんどん高くなり、近寄れなくなります。

拡大朝、厳しい表情で官邸に入る菅直人首相(当時)=2011年3月15日

 いったん撤退したら、第一原発の6機、近くの第二原発の4機、合計10機が放置されることになり、それぞれが暴走し、放射性物質を撒き散らし、制御できなくなります。それが「最悪のシナリオ」と呼ばれるもので、福島第一原発から半径250キロ圏内が「移転希望を認める区域」となります。そこには東京も含まれます。

 ですから、命の危険があるのは分かった上で、東電には撤退せずに対応してくれと求めなければならなかったんです。そこで午前4時頃に、東電の清水社長を呼びました。会ってすぐに、「撤退はありえません」と伝えると、「はい、わかりました」と、こちらが拍子抜けするように、あっさりと答えました。「撤退させてくれ」と言われていた、海江田大臣たちもびっくりしていました。

――清水社長は、「社員を殺すわけにはいきませせん」とか、「社員が亡くなったら政府が責任をとってくれるのですか」とか、何も言わなかったのですか。

 何も言いませんでしたね。話し合いも議論もなく、「わかりました」で終わりました。この間、政府と東電の間の意思の疎通がうまくいっていないので、「東電本店のなかに、統合対策本部を作りたい」と提案し、了承してもらいました。

 本部長が総理である私、副本部長に海江田大臣と清水社長、それから細野豪志・総理大臣補佐官が事務局長として東電本店に常駐すると決めました。1時間後に、私たちが大手町の東電本店へ行き、統合対策本部を立ち上げることになりました。本店へ行ったのは、そのためです。

 清水社長だけでなく、真の実力者である勝俣会長や他の役員、社員の人に対しても、理解してもらう必要があると思ったので、乗り込みました。

――映画では、統合対策本部の説明はなく、総理がいきなり、「撤退などありえない」と、叫んだようになっていました。

 激しい口調になっていたのかもしれませんが、その時の発言は、こんな内容です。

 「皆さんは当事者です。命を懸けてください。逃げても逃げ切れない。情報伝達は遅いし、不正確だ。しかも間違っている。皆さん、萎縮しないでくれ。必要な情報を上げてくれ。目の前のこととともに、10時間先、1日先、1週間先を読み、行動することが大切だ。 金がいくらかかっても構わない。東電がやるしかない。日本がつぶれるかもしれない時に撤退はあり得ない。会長、社長も覚悟を決めてくれ。60歳以上が現地へ行けばいい。自分はその覚悟でやる。撤退はあり得ない。撤退したら、東電は必ずつぶれる」

 こういうことを言ったのは、その前段階として、清水社長から「撤退したい」という要請があったからです。

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筆者

中川右介

中川右介(なかがわ・ゆうすけ) 編集者、作家

1960年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2014年まで出版社「アルファベータ」代表取締役として、専門誌「クラシックジャーナル」、音楽書、人文書を編集・発行。そのかたわら、クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲などについて、膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、歴史に新しい光を当てる独自のスタイルで執筆。著書は『カラヤンとフルトヴェングラー』『十一代目團十郎と六代目歌右衛門――悲劇の「神」と孤高の「女帝」』『月9――101のラブストーリー』(いずれも幻冬舎新書)、『山口百恵――赤と青とイミテイション・ゴールドと』『松田聖子と中森明菜――一九八〇年代の革命』(ともに朝日文庫)、『戦争交響楽――音楽家たちの第二次世界大戦』『SMAPと平成』(ともに朝日新書)、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『角川映画 1976-1986(増補版) 』(角川文庫)、『怖いクラシック』(NHK出版新書)など50点を超える。

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