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元首相は映画『Fukushima 50』をどう見たか 菅直人インタビュー【1】 

事故のリアリティはよく出ている。ただし描かれていないことも多い

中川右介 編集者、作家

「私はベントが遅れているから行った」

 あとで分かるのですが、武藤副社長は前日のうちに現地に入っていたんですが、現場で指揮をとっているわけではなかった。地元の自治体に説明するためにやって来ていたんです。そういう役割の人で、東電本店からは、現場の指揮をするために役員クラスがひとりも来ていない。そういう状況でした。

拡大福島第一原子力発電所の免震重要棟で、報道陣の質問に答える吉田昌郎所長(当時・中央)。右は細野豪志・原発担当相=2011年11月12日、福島県大熊町

 現場では吉田所長が指揮をとっていたわけです。では、本店では誰が事故対応の責任者だったのか。これもいまだに、よく分からない。有名な話ですが、清水社長と勝俣会長というトップ2人が旅行中で、事故発生から24時間のあいだ、東京にいませんでした。つまり指揮官なしで、事故対応していたわけです。実際には、常務のひとりが指揮をとっていたようですが、はっきりしません。

 というのも、東電は事故が起きてから最初の24時間のテレビ会議の記録を、いまだに公表していないんです。かなりの混乱があり、とても、おもてには出せないということなのでしょう。こういう秘密主義の体質の組織なんです。「分からないから言わないこと」もあれば、「分かっていても伝えないこと」もある。そう感じます。

――着いたのが7時12分で、8時5分に出ていますから、1時間弱、いたことになります。

 吉田所長と話したのは30分もなかったかもしれません。ようやく、ちゃんと話せる人と会えた、と思いました。吉田さんは、遅れている理由をちゃんと説明してくれました。映画でも詳しく描かれているように、電源が喪失しているため、ベントも電動ではできず、手動でやらなければならない。その場所の放射線量が高く、ひとりがいられる時間が短い。そのために遅れている――そんな説明でした。

 それでも、「決死隊を作ってでもやります」ということだったので、私としては、それ以上、何も言うことはありません。責任者である吉田さんと直接会って話せたのは、その後のさまざまな判断にも役立ち、無駄ではなかったと思っています。

――菅さんが視察に来ることになったので、ベントの作業がストップし、帰ってから再開したので、その時間だけベントが遅れ、被害が拡大したという説が、当時から広まっています。

 私の感覚では、「行ったから遅れた」のではなく、「遅れているから行った」わけです。遅れた理由は、作業そのものが困難だったこと、住民の避難が終わっていなかったことなど、いくつも重なっていたと思います。私が帰るまで待っていたので遅れたという認識は、私にはありません。実際、吉田所長は「総理が来ようが、やる時はやる」と言っていたわけですから。

――映画では、総理が15日早朝に東電本店へ行くシーンがありますが、そこに至る経緯が、説明不足なように感じました。

 そうですね。この映画には、描かれていないこともたくさんあります。15日の午前3時頃、海江田経産大臣から、「東電の社長から、現場が危険なので社員を撤退させたいと言ってきています」と伝えられました。これについて、東電の清水社長は、「撤退したいとは言っていない」と発言していますが、清水社長から、海江田大臣や枝野官房長官のもとに、何度も電話で「撤退したい」と言ってきています。

 その電話での会話を聞いていたわけではありませんが、2人の大臣が、作り話をするはずがありません。私としては、海江田大臣と枝野長官の言葉を信じるしかありません。彼らがウソを言う理由がないですからね。

 私はその場にいませんでしたが、海江田大臣以下の官邸にいた政治家と原子力の専門家とが協議し、撤退もやむなしか、ということになり、15日の午前3時頃、総理である私は、最終的な決断を求められました。その前から、こういう事態になることは、チェルノブイリの事故の例などから、十分に予想していました。

 東電の社長の立場として、社員を命の危険にさらすわけにはいかないので撤退させようというのは、考え方としては、間違っているとは思いません。理解できます。しかし、総理である私の立場としては、それを認めるわけにはいかない。

 東電が撤退したら、誰が事故に対応するのか。自衛隊が行っても、プラントのオペレーションの知識はありませんから、何もできません。東電にやってもらうしかないわけです。

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筆者

中川右介

中川右介(なかがわ・ゆうすけ) 編集者、作家

1960年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2014年まで出版社「アルファベータ」代表取締役として、専門誌「クラシックジャーナル」、音楽書、人文書を編集・発行。そのかたわら、クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲などについて、膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、歴史に新しい光を当てる独自のスタイルで執筆。著書は『カラヤンとフルトヴェングラー』『十一代目團十郎と六代目歌右衛門――悲劇の「神」と孤高の「女帝」』『月9――101のラブストーリー』(いずれも幻冬舎新書)、『山口百恵――赤と青とイミテイション・ゴールドと』『松田聖子と中森明菜――一九八〇年代の革命』(ともに朝日文庫)、『戦争交響楽――音楽家たちの第二次世界大戦』『SMAPと平成』(ともに朝日新書)、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『角川映画 1976-1986(増補版) 』(角川文庫)、『怖いクラシック』(NHK出版新書)など50点を超える。

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