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元首相は映画『Fukushima 50』をどう見たか 菅直人インタビュー【1】 

事故のリアリティはよく出ている。ただし描かれていないことも多い

中川右介 編集者、作家

「東電の人は、何も具体的なことを答えられなかった」

――東電本店は、そんなにひどかったんですか。

 東電本店は、私から見て、情報が届かない、伝わるのが遅い、内容が正確でない、という状況でした。はやりの言葉で言えば、どうもあの会社は、政治家に対して「忖度」する体質なんですね。こういうことは言っていいのかどうかとか勝手に判断して、伝えなかったり、曖昧に伝えたりしている、そんなふうに感じます。そのおかげで最初の5日ほどは、非常に苦労しました。

 こちらが知りたいのは、客観的な事実なんです。3月12日早朝に福島までヘリで飛んだのも、見学でも表敬訪問でもなく、状況を知るためでした。

――映画にも描かれていますが、東電本店の緊急対策本部にはモニターが並び、現場とリアルタイムで音声と画像がつながっていました。菅さんは12日早朝に福島まで行きますが、本店へ行けば、吉田所長とも直通電話で話せたと思うのですが。

拡大映画『Fukushima 50』公式サイトから
 そのモニターのことも含めて、情報がなかったんです。事故直後から、東電からは武黒(一郎)フェローが官邸に詰めていました。この人はずっと原発関連の部署にいて元副社長でした(映画では、段田安則演じる「竹丸吾郎」)。ところが、何を聞いても、「本店に確認します」となって、しばらくして「分かりません」という返事なわけです。

 ベントの問題で言えば、12日午前1時頃に、東電からベントをさせてくれと要望がありました。実は原発事故においては、プラントのオペレーションは事業者、この場合は東電に責任があり、権限もあります。原子力災害対策本部長である総理には、住民の避難の責任があり、ベントをしろとかするなと言う権限はないわけです。民間会社の施設ですから。

 ただ、ベントをすれば放射性物質が外部に出るので住民に避難してもらわなければならない。そこで東電は、了解を求めてきて、私は専門家である原子力安全委員会の斑目委員長らとも協議し、それを了解しました。その時点で、「2時間後にはできる」という話でした。決めたのが1時頃でしたので、午前3時にはできるんだなと、考えました。

 夜中でしたが、住民には避難してもらうことにしました。その避難の範囲も、半径何キロ以内の人に避難してもらうかなどは、専門家と協議してもらいました。ところが、予定の3時になっても、ベントが始まらない。武黒さんに理由を聞いても、「分かりません」ばかりなんです。遅れているのか、不可能となったのか、それも分からない。遅れているなら、その理由を説明してくれればいいのですが、理由も分からない。そこで、私は現場の責任者に直接会って話すしかないと判断したわけです。

 本店のテレビ会議のシステムのことは、15日朝に東電本店へ行ったとき、初めて知りました。なんだ、こうなっていたのか、と思いましたよ。そうと知っていたら現地へ行かなかったかどうかは、何とも言えませんが、本店が現地とテレビ会議でリアルタイムでつながっているというのは、行くか行かないかの判断材料のひとつにはなったと思います。

 しかし、私が「現地へ行こうと思う」と言ったとき、東電からは「大手町へ来てくれればテレビ会議のシステムがあります」という説明は何もありませんでした。私としては、現場で何が起きているのか、なぜ午前3時に予定していたはずのベントが5時になってもできないのか、それを知るためには行くしかない、と判断したわけです。

――それで3月12日朝6時14分に首相官邸を出発します。枝野官房長官は、「総理が官邸を留守にするのは政治的に批判される」と、反対だった。実際、当時からこの視察には批判の声も多かったわけですが、それとは別に、ベントが遅れている状態で、もし現地に着いた時に爆発したら、菅さん自身も被爆する可能性があったと思うのですが、そういう危険は考えなかったのですか。

 当時は、そういう危険は認識していませんでした。いまでは11日の20時前後にはメルトダウンが始まっていたことが分かっていますが、当時は水位計が壊れていたので、水がなくなっていることが分からなかった。東電の報告からは、メルトダウンしていないという認識でした。

 現地へ着くと、東電の武藤副社長が出迎えました。初対面でしたので、名前も顔も知りません。責任者のようなので、「ベントはどうなってますか」と訊くと、何も答えられない。東電の人は、みんな何も具体的なことを答えられないんですよ。

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筆者

中川右介

中川右介(なかがわ・ゆうすけ) 編集者、作家

1960年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2014年まで出版社「アルファベータ」代表取締役として、専門誌「クラシックジャーナル」、音楽書、人文書を編集・発行。そのかたわら、クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲などについて、膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、歴史に新しい光を当てる独自のスタイルで執筆。著書は『カラヤンとフルトヴェングラー』『十一代目團十郎と六代目歌右衛門――悲劇の「神」と孤高の「女帝」』『月9――101のラブストーリー』(いずれも幻冬舎新書)、『山口百恵――赤と青とイミテイション・ゴールドと』『松田聖子と中森明菜――一九八〇年代の革命』(ともに朝日文庫)、『戦争交響楽――音楽家たちの第二次世界大戦』『SMAPと平成』(ともに朝日新書)、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『角川映画 1976-1986(増補版) 』(角川文庫)、『怖いクラシック』(NHK出版新書)など50点を超える。

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