一球一球のつみかさね、一打一打のつみかさね
一歩一歩のつみかさね、一坐一坐のつみかさね
一作一作のつみかさね、一念一念のつみかさね
つみかさねの上に咲く花
つみかさねの果てに熟する美
それは美しく、真の光を放つ
坂村 真民
何気なく見ていた本の中で、目に飛び込んできたのが坂村先生の詩であった。
ただ美しいと感じたのを覚えている。
言葉の通りにはなかなか行かないが、少しずつでも続ける事で何らかの展望が
開けてくると思っている。
差し出がましくすみませんが、同学の方が去ってしまわれるのをとても寂しく思います。
最後に残されたコメントは、私が自分に対していつも思っていた事でした。
12月2日、私の日記における返信のコメントは、謙遜ではございません。
本日の実修では発声数に集中致しました。またぼんやりとした風景など見えましたが
とらわれないように致しました。
馬公は、人間としてあまりに未成熟であった。
彼は神仙を目指す前に、普通に生きることを目指すべき人間だ。
彼は京都で再会した時も、挨拶もせず、
いきなりビニール袋を私の眼前に出し、
「これで持って帰れます」
などと、意味不明なこと言い出した。
後でどういう意味かと聞くと、
何かくれると思って持ってきたらしい。
また、今後は私が教えようとして、
概略を説明したことを、
本を探して、自分で行うつもりだそうだ。
そういう発想の持ち主には、
永久に神仙の道は得られないだろう。
彼のように、
人と目を合わせて話すこともできず、
よそ見をしながら小声でしか、
誰とも話せないようでは仙道は難しい。
だから、これで良いのさ。
私が清書した祝詞などを、
貴殿等に送るつもりである。
時期は未定。
自分に重なってくるような気持ちになりました。
私も本当に未熟な者ですが、それだけに
何も言えず、残念に思います。