シャルティアになったモモンガ様が魔法学院に入学したり建国したりする話【帝国編】 作:ほとばしるメロン果汁
「皇帝……へい、か……?」
「せ、せん、けつ……てい……」
床に落ちた食器により、まるで悲鳴のような音が食堂内のあちこちで鳴り響く。
だが、誰一人その音に意識を向ける者はいなかった。ジエットもネメルもディモイヤも、そして周囲の生徒達や会長であるフリアーネでさえも。食堂の中央に立つ支配者、そしてその支配者をこともあろうに立たせたまま話す美姫。二人が言葉を交わす姿を呆けた様に見つめていた。
「何しに来たの?
「いや、元々今日は抜き打ちで学院の視察をする予定だったのさ。君には話してもいいと思ったんだが、今日から生徒――つまり君は学院関係者となってしまったからね。規則のために話すことは出来なかったんだ。気を悪くさせてしまったかな?」
「少し驚いたけれど現場を見ないとわからないこともあるし、良い事ではないかしら」
「……そ、そう言って貰えると助かるよ」
にこやかに笑顔を交わす二人。
まるで偶然出会った友人同士が気軽に会話をする様子に、その二人――特に青年の地位を一瞬忘れそうになってしまう。だがその青年の地位と権力を理解できない生徒はこの学院には一人もいない。ただあまりの――あまりの異常事態にすべての人間が凍り付いてしまった。
「皇帝陛下」
伯爵令嬢という地位を持つフリアーネが、二人の会話が途切れたタイミングでいち早く膝を折る。だが数百にも及ぶ視線が集中する中、皇帝ジルクニフは優雅にそれを手で制した。
「バジウッド」
「っは!」
そして隣に立つ帝国が誇る四騎士、その筆頭である大柄な男に合図をする。
「帝国魔法学院生徒諸君、おれ――ゴホンッ、私は帝国四騎士に所属するバジウッド・ペシュメルだ。そして隣に立つ御方を知らない勉強不足な生徒はいないな? 大変……という言葉では足りないくらい驚いただろうが、今はあくまで御友人と会うためにお忍びとしてここにおられる。諸君らは会話の妨げにならない程度に、普段通りに過ごしてくれれば何も問題は無い。どうかそのまま食事を楽しんでくれ」
静まりかえった食堂の隅々まで響く張りのある声。
バジウッドは一息つくと『これで宜しいですか?』と、言いたげな苦笑いをジルクニフへ向けた。
「――ということなんだが、構わないかな? 生徒会長殿」
「……畏まりました。陛下の仰せのままに」
無理だッ!
ニコリと微笑む皇帝に物怖じせず、生徒を代表する生徒会長は笑顔で頭を下げたが、ジエットを含めて固まったままの他の生徒達は嗚咽するような絶叫を上げた。もちろん声は一切発することなく、心の中に必死に押し止めて。
バハルス帝国現皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス
若くして皇帝に即位し、すぐに親族である母親と兄弟たちを次々に粛清、反対勢力の有力貴族達を騎士団を使い一掃。無能な貴族達から地位を剥奪した人物。それ故に鮮血帝と恐れられ、その後様々な改革を行いこの帝国最高位の地位に立つ支配者。そんな人物が普段利用する食堂にいる光景に、全員が信じがたい幻を見るような視線のまま動けなかった。
当然ジエットも。
「ふむ、それが君の用意した制服か……よく似合っているよ」
シャルティアの容姿を一通り確認するように見つめ、まるで美術品のように褒めるジルクニフ。
その視線の中に男としての劣情は一切見られない。他の生徒達の反応とは全く比較にならない、統治者として相応しい余裕の態度に満ちていた。
「少し話しておかなくてはならない事もあってね。もう食事は済ませているようだが、座らせてもらっていいかな? シャルティア嬢」
「もちろん」
(な、な――ななッなななん――!)
目の前で繰り広げられる会話を前に、ようやく我を取り戻す。
貴族達から鮮血帝と呼ばれ恐れられる皇帝と、同じテーブルを囲む? 誰が? 自分達が?
我に返ったはずがそのまま思考の渦にのみ込まれそうになる。体は硬直したまま椅子から一歩も動けない。だが、僅かに残った冷静な思考も絶対に動くわけにはいかないと告げる。目の前に恐ろしいモンスターが現れたような、今すぐ逃げ出したいという恐怖心。だがその心のまま動いた結果がどうなるか――そんなことを知りたがる蛮勇は持っていない。
そして目の前の皇帝は用意された椅子にゆっくりと腰かけると同時に、ジエット達の方へ初めて視線を投げかけてきた。その瞳には興味の色が漂っており、友好的な笑みを向けてくる。
「友人かな?」
――ちッ違います! 偶然一緒に食事をしているだけのどこにでもいる平民ですッ! どうかお気になさらず!!
危機を訴える本能が首を全力で左右に振りそうになるが、寸前で押し止める。
そんな事をすれば今この場で頭と胴体が別れてしまう。目の前に座った人物は合図一つでそんなことさえできる絶対的な地位を持つ、この国唯一の人間なのだから。
「えぇ、顔を青くしている少年が教室で隣の席になったジエット君。その幼馴染で震えている女の子がネメルさん。ショートヘアで白目をむいているのがお二人の友人のディモイヤさん」
(うわぁああああああああ!)
シャルティアのあまりにも正確な紹介の仕方に、ジエットは獣のような悲鳴をあげそうになる。
その表情に陰険や邪悪なものは一切ない。むしろニコニコと心底楽し気な雰囲気すら放っている。だが、それを聞いた鮮血帝がどのような行動に出るかという恐怖、座っている椅子から後ろが崖に面しているような、そんな死の一歩手前の戦慄が背中を駆け巡る。
思わず助けを求めるように視線を横に向け、ネメルを見た瞬間――恐怖に染まっていた頭が真っ白になった。初めて見る幼馴染の恐怖と戸惑いの表情、そして紹介された通り小刻みに肩が震えている。その姿を見てジエットの心に冷たいモノが降り注いだ。
――気づけば椅子から勢いよく立ち上がり、深々と頭を下げていた。
「おッ! お初にお目にかかります皇帝陛下! ご紹介に与りましたジエット・テスタニアと申します。わ、私たちは三人とも魔法科所属で将来は国の行政機関、自分などは騎士団への所属を目指しております。……い、今は若輩の身ではありますが、将来は騎士団の一員として帝国の……陛下のために尽くしたいと思っております! 」
机を囲う五人に加え、食堂中の視線がジエットに集中した気がする。
ゴクリとつばを飲み込む。緊張のあまり崩れ落ちたい衝動に駆られるが、震える足に気力を注ぎ込む。まだ学生のため敬礼はあえてせず、その代わりゆっくり頭を上げるとまっすぐ相手を――皇帝を見た。容姿端麗という言葉をそのまま体現したような金髪の青年。その口が「ほぅ……」と、小さく動いた気がした。濃い紫色の瞳が観察するようにジエットの全身に視線を走らせている。
「……そうか、君のような向上心のある学生がいる事は私にとっても非常に喜ばしい事だ。その気概があれば今すぐにでも騎士団の訓練に耐えられるんじゃないか? バジウッド、どう思う?」
「えぇ!? ここで俺にフリますか? 度胸はありそうですが、まだ体が出来上がってない年齢ですからね。今の段階で騎士団の訓練施設に連れて行ったら体が壊れちまいますよ」
「そうか……それは残念だ。ジエット・テスタニア――その名前、将来を楽しみに今は覚えておくだけとしよう」
「あ、ありがとうございます! 光栄です」
皇帝が機嫌良さげにニコリと微笑み、ジエットに座るように諭してきた。
心の底から湧き立つ安堵により、全身から力が抜けそうになる。勢いよく座りそうになるのをなんとか押し止め、冷や汗を流しながら静かに、大きな音をたてないようにゆっくりと腰を下ろした。
――た、助かった。
壊れた人形の様に椅子に全身を預ける。
力を抜くと同時にドクンドクンと、心臓が体の中で跳ね回っていたことに今更気づき、なんとかそれを抑え込もうと大きく、静かに息を吐き出した。
♦
(すごいな、もうジエット先輩と呼んだ方がいいんじゃないか? 実際この学院では先輩だし)
ジルクニフに対するジエットの挨拶を見守っていたモモンガは、内心で彼に拍手を送っていた。
少なくとも鈴木悟が彼くらいの年齢だった時、あのように目上の――それも社長や国の権力者相手にまともに挨拶ができただろうか?
(まぁ……たぶん無理だよな)
会社の上役や取引先を相手にプレゼンを成功させたことは何度もある。
ただそれは前提として十分な資料、加えて脳内シミュレーションを何度も何度も重ねた結果成果を出してきたもの。想定外の、いわゆるイレギュラーな質問や事態には鈴木悟はトンと弱かった。
今回もモモンガはあらかじめジルクニフが来ることはわかっていたが、ジエットからすれば突然この国の皇帝が目の前に現れたのだ。鈴木悟が逆の立場だった場合、緊張のあまり言葉がつっかえてしまっただろう。今でこそ『精神の安定化』という体質を手に入れたが、本来の一般人的なサラリーマン気質ではガチガチに緊張してしまい、上手く喋れる自信は皆無だった。
(ジエットといい、フリアーネといい、そしてジルクニフといい、本来みんな俺より年下のハズなんだけどなぁ。なんか才能とか生まれの差を見せつけられてる気分で、少し落ち込むなぁ……ハァ~)
「さて話は戻るがシャルティア嬢、まだ初日だが学院の感想はどうかな? 何か不便なことがあれば優先して対処するが?」
(おっと、いかんいかん落ち着け。ジルクニフには世話になってるんだ。大人げない嫉妬心ではなく、社会人として友好的に接しなければ!)
ジエットを座らせ用意された茶を一口含むと、改めてこちらに向き直ったジルクニフ。
その一連の動きだけでも、彼の支配者としての余裕と威厳を感じさせる。
相変わらずの好青年スマイルに加えて、今回は溢れ出すカリスマ性もその笑顔に含まれている気がした。色んな意味で少し嫉妬を覚えそうになるが、モモンガの唯一の武器と言ってもいい社会人的営業スマイルでそれを隠しつつ、相手を安心させるように首を振った。
「特に問題になりそうなことは……印象に残った事といえばクラス全員が勉強熱心で、休憩時間も雑談を一切せずに自習に励んでいたことかしら」
「ほう、確かジエット・テスタニアも同じクラスだったかな。なるほど、君と彼のいるクラスはみな努力家なのだな。私としても先が楽しみだよ」
モモンガも前の世界ではそれなりに苦労と努力をしてきたつもりだが、今日の教室の様子を見ていると少し頭が下がってしまう。だが、クラスメイトに話しかけづらい状況は、『人脈を作る』というモモンガの目標にはどうしても障害になってしまうだろう。彼らの努力を邪魔せず、それでいて仲良くなるにはどうすればいいのか。フールーダにでも相談するべきかもしれない。
(いや、でもフールーダって友達少なそうだよな……魔法オタクというかなんというか……)
本人に直接訪ねた訳でもないし、ただのモモンガの偏見かもしれないが、ああいった天才は弟子や教え子はいても友達がいない気がした。
ジエット君が頑張ったせいで食堂談話が長くなり過ぎました(まだ助かってないぞ?)というわけで二分割なんじゃ
次話→七日後投稿予定
※読者の方もほぼ同じ心境かと思いますが、あと四時間で約二年ぶりの新刊発売です。私も一週間ほど賢者モードになり社畜と読書以外手につかないと思いますので、ちょっとだけ更新はお待ち下さい。五回は読み直したい。