日本式ものづくりの敗北
第3次産業革命は1960年代から2000年までの20世紀終末の40年間である。その間、日本式のものづくりは成功を享受してきた。ところが、第4次産業革命の時代が始まった21世紀初頭の20年間を見る限り、日本式ものづくりは通用しないことが白日の下にさらされている。 前世紀では世界第二位の「銀メダル」の経済大国であった日本は、今世紀、メダルなしになった。量より質だと言い換えたところで、生産性は世界20番目当たりをうろうろしている。どう見ても日本式ものづくりは完敗したと言わざるを得ない。 日本の戦後の復興は敗北を国民全員で認め受け入れたからこそ成し遂げられた。敗北を受け入れその敗因を分析し再挑戦すべき時に来ている。
日本式ものづくりの課題
日本式ものづくりは「もの」しか見ず、データからは見てこなかった。日本式ものづくりは熟練工と「現場」「現物」「現実」の三現主義によるカイゼンに支えられてきた。 三現主義とはご存じのとおり、「現場」に足を運び、「現物」を手に取り、「現実」を自分の目で見て確認することである。現実=現物でありそれが置かれた現場を指している。目で見る対象は「もの」が前提となっている。 これがいけなかったと私は思っている。「いちばんたいせつなことは、目に見えない」(『星の王子さま』サン=テグジュペリ)のである。ものづくりがコンピュータを駆使し、CAD/CAMとCNC工作機械やロボットを中心に行われる時代になったにも関わらず「もの」だけを見てきてしまった事が問題なのである。 それでも上手くやってこられたのはコンピュータ化される以前から経験を積んできた熟練工が現場に残っていたからである。でも、その大事な「熟練工」は今もういない。バブル崩壊後、人員削減に努めたおかげで熟練工の後継者がどこの現場に行ってもいない。慌てて補充しても、経験が浅く年齢が離れ過ぎており、頭数だけの帳尻合わせとなっている。
解決策はデータにある
コンピュータはコードで書かれデータを入れると動く機械である。この本質は携帯電話から工作機械まで変わらない。 1982年に日立製作所と三菱電機の社員が米国FBIに逮捕されるというIBM産業スパイ事件があった。第3次産業革命期おいてはコンピュータにとってコード/プログラムが重要であったことを象徴する事件である。 第4次産業革命期においてはコードよりもデータが重要な価値を生む時代になっている。Apple、GoogleやAmazonの成功がそれを示してくれている。 しかし、日本のものづくりの現場はその恩恵を被っていない。それどころか拒絶している風景ばかりが目に付く。データからものごとを見ることをものづくりの現場に取り入れることこそが唯一の解決策であることに気づくべき時期に来ている
データを取ることから始まるIoT化
熟練工なき後の断絶した世代がものづくりの現場を担うためには、データからものごとを見られるデータサイエンティストになっていくしか道はない。 幸いにも今や生産現場はCAD/CAMやCNC工作機械などコンピュータだらけで構成されている。ここはデータの宝庫でもある。もしそれでも足りなければセンサーを付けて、更なるデータを収集してくれば事は解決する。 日本式ものづくりの敗北を認め、熟練工なき時代のものづくりの現場を考える時に従来の延長線でなく、様相の変わった未来の現場を想像してほしい。 未来から逆算すればIoTの重要性も必然性も理解できるであろう。あとはチョッピリの勇気があれば新しい道に向かって歩き始めることができると私は信じている。
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