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【社説】

3・11から9年 千年先の郷土を守る

 牡鹿半島の付け根に位置する宮城県女川町は、東北電力女川原発のある町です。

 リアス海岸の岬を巡るとあちこちで、高さ二メートル、幅一メートルほどの平たい石碑に出合います。「女川いのちの石碑」です。

 建てているのは、女川中学校卒業生の有志でつくる「女川1000年後のいのちを守る会」。今月一日、十八基目ができました。

 あの日女川町は、最大一四・八メートルの津波に襲われました。

 人口約一万人のうち、死者・行方不明者は八百二十七人に上り、全住宅の九割に当たる約三千九百棟が被害に遭いました。

 東日本大震災の被災市町村の中で、最も被災率の高かった町だと言われています。

◆大震災を記録に残す

 震災翌月、当時の女川第一中(二〇一三年に女川第二中と統合して女川中)に入学した一年生は、社会科の授業で「ふるさとのために何ができるか」を話し合いました。そして「震災を記録に残す」活動の実践に乗り出すことを決めたのです。

 町内に二十一ある浜の集落すべてに津波は押し寄せました。

 それぞれの津波到達点に石碑を建てておこう、ふるさとの風景に震災の記憶を刻みつけ、千年先まで命を守る避難の目安にしてもらおう-。

 街頭やSNSで寄付を募ると、半年で目標額の一千万円が集まりました。

 石碑には、警告が刻まれます。

 <ここは、津波が到達した地点なので、絶対に移動させないでください。もし、大きな地震が来たら、この石碑よりも上へ逃げてください。逃げない人がいても、無理矢理にでも連れ出してください。家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください>

◆津波わずかに高ければ

 末尾には、卒業生から未来へ贈るメッセージも添えました。

 <今、女川町は、どうなっていますか? 悲しみで涙を流す人が少しでも減り、笑顔あふれる町になっていることを祈り、そして信じています>と。

 第一号は一三年十一月、女川浜を見下ろす母校の校庭に建ちました。今年中には二十一基目が完成し、プロジェクトは完了する予定です。

 そんな女川町でも、原発再稼働の手続きが最終段階を迎えています。

 女川原発は、震源に最も近い原発です。福島同様、激しい揺れと津波に襲われました。到達点よりわずかに高い所にあったため、辛うじて難を逃れたにすぎません。

 原発の敷地は、大地震の影響で一メートルも沈下しました。原子炉建屋の壁からは、千百三十カ所ものひび割れが見つかりました。

 震災で、満身創痍(そうい)にされた原発です。原子力規制委員会の審査を終えて、規制基準に「適合」と判断されはしたものの、とても安心とは言えません。規制委も安全だとは言いません。

 「あと三十センチ津波が高ければ、福島と同じになったと思います。原発に絶対の安全はなく、ふるさと喪失のリスクが付きまとう。福島の教訓です。再稼働を許すとすれば、これからも多大なリスクを、しょっていかねばならんのです。住民の命を預かるものとして、そんなことはできません」

 原発から三十キロ圏内にある宮城県美里町の相沢清一町長は、再稼働にきっぱりと「ノー」を突きつけます。

 「目の前に、現実の課題が山積みです。風化だなんてとんでもない。(放射性物質をかぶった)稲わらひとつ、処分できない。避難計画をつくれと言われても、なかなか答えが見つからない。高齢者はどうなるか? 複合災害が起こったときは? 途中で風向きが変わったら? 隣町から逃げて来る人たちは?…。(国や東北電力は)何をそう急ぐのか」

 東北の被災原発を再稼働に導いて、「復興原発」にしたいのか。原発は安全です、ちゃんと制御(アンダー・コントロール)できていますと、五輪を前に世界へアピールしたいのか。

 いずれにしても、原発のある風景や暮らしの中に刻み込まれた震災の痕跡を、見過ごすことはできません。風化を許してはいけません。

 その一つ一つが、未来ではなく、今を生きる私たちへの「警告」になるはずだから。

◆ふるさとを奪わないで

 女川いのちの石碑には、震災直後に生徒たちが詠んだ句を一句ずつ刻んでいます。

 原発に近い塚浜の公園に立つ十三番目の石碑には、こんな句が添えられました。

 <故郷を 奪わないでと 手を伸ばす>

 この痛切な願い、忘れるわけにはいきません。

 

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