2010年代は、過去に埋もれた音源への需要が大きく増加した10年間でもあった。2010年代を代表する最重要リイシュー作品20作をRAスタッフが選出した。
リイシュー文化は2010年代を通してまったく衰える気配を見せず、新たなオーディエンスのために古い音源の発掘と再文脈化へ注力するさまざまなショップやレーベルが登場した。ここに紹介するのは、過去10年間において最も重要と考えられるリイシュー作品の数々だ。
2010年代における最重要リイシュー作品の数々を、Spotify / Apple Music / Buy Music Clubでチェックしながら振り返ってみよう。
もし2010年代の個人的ベスト作品の大半をリイシュー作品が占める人がいるとしたら、それはおそらくRush Hourに負うべき部分が大きい。00年代中盤からリイシューを展開しているこのアムステルダムのレーベル(そして周辺のDJたち)は、リイシュー文化というハイプを生み出す助けとなった。その先駆けとなったのが、シカゴのデュオVirgo Fourによる『Virgo』のリプレスだった。ハウスミュージック史上最高のLPのひとつと考える人々が数多く存在する一方で、この作品は主に作者であるMerwyn SandersとEric Lewisの控え目で露出を避けがちなアティテュードによってごく一部のシカゴハウスマニア以外には知られていなかった。しかし、このリプレスは状況を一変させ、宝石のようにドリーミーな8つのトラックは本来の価値にふさわしい脚光を浴びることになった。
Rush Hourは『Virgo』のリプレスのみにとどまらず、2011年にはSandersとLewisが1984年から1990年の間に残したデモをまとめた15曲入りのコンピレーション『Resurrection』をリリースした。その中に収録された明るいヴォーカルが印象的な"It's A Crime"はCaribouとHuneeのフェイバリットとなり、特にHuneeはビッグなベースラインとキャッチーなフックを加えたふたつのフェス対応リミックスを手がけた。こうして、Virgo Fourは世界中のプロモーターから引っ張りだことなったのだが、これは良い結末を産まなかった。2011年にSandersは人知れずVirgoから脱退し、一説によればLewisのいとこにあたる人物がSandersの許可なくVirgoに加入したのだという。当然だがSandersはこれに承服しなかった。これら一連のリイシューは、すべて価値あるものだったといえるのだろうか? Sandersにとってはそうであったとは言い難い。しかし、ハウスミュージック全体にとっては価値あるリイシューになったことは断言できる。
- Carlos Hawthorn
Glastonbury 2019では特にバイラル化したふたつの瞬間があった。フェス日曜日の夜、Alexという名の15歳(今では"From Glasto"なる事実上のニックネームで呼ばれている)がラッパーのDaveと並んでステージに立ち、DaveがAJ Traceyと共に放ったヒット"Thiago Silva"を一言一句間違うことなくラップしてみせたのだ。その2日前の夜に行われたStormzyの歴史的なヘッドライナー・セットの途中で8万人の観客が彼の大ヒットアンセム"Shut Up"のメロディーをチャントし、Stormzyは思わず言葉を失ったままステージに立ち尽くした。どちらの瞬間も、そのルーツはボウ E3(Bow E3)と呼ばれるイーストロンドンの公営団地に住み、コピー版のFruityLoopsがインストールされた古いWindows PCに群がる騒がしいティーンエイジャーの一団にある。彼らはみずからをRuff Sqwadと名乗った。彼らの音楽は、比類のない形で21世紀のイギリスにおけるカルチャームーブメントの中心を形づくった。
若いクラウドたちが共鳴したのは、"Functions On The Low"("Shut Up"の元となったビート)や"Pied Piper"("Thiago Silva"のサンプルネタ)だけではなかった。Dan Hancox の著書『Inner City Pressure』においてSlackkが語ったところの「サッド・スペースシップ・ミュージック」はパイレーツラジオから生まれ、公正なダンスの復権を数限りなく生み出したグライムの歴史の一部だ。Ruff Sqwadが2003年から2006年の間に制作したレアなレコードを一挙にまとめた『White Label Classics』はこのグループのアウトプットがいかに多様性に満ちたものであったかを示している。Rapidの手による"Clio"や"Lethal Injection"などのトラックはファットかつパワフルで、そのラフなエッジは挑戦的なまでに荒さを残している。Dirty Dangerは"Died In Your Arms"や"Together"でまた異なる方向性を示し、Cutting CrewやThe Policeなどのロックアンセムを切り刻んでシーン胎動期における驚くほどの脆弱さを感じさせてくれる。
今もRuff Sqwadのサウンドが深夜バスの後部座席で携帯電話から爆音で流されるのと同じくらいに、イギリス国内のTVでも頻繁に流れているのはどう受け止めるべきだろう? 根本的に、Ruff Sqwadは人間的な感情の痛切さや複雑さ、そして生々しさをすべてさらけ出す点において比類のない存在だ。ベースはタールのように重苦しく、人工的なホーンは切実な響きで鳴らされ、矩形波シンセは50フィートもの高さから鳴り響いているように思える。『White Label Classics』に耳を傾けていると、機材の制限はけして野心を妨げないのだということが明白になる。これらチープな機材との深い結びつきは、ひとつの世代における記憶でもある。解像度はラフでありながら創造性は驚嘆に値し、その音楽はタイムレスだ。
- Gabriel Szatan
1996年の『Biokinetic』オリジナル・リリースを迎える前の段階で、Basic ChannelとそのサブレーベルであるChain Reactionはすでにダブテクノの雛形を提示していた。しかし、Andy MellwigとThomas KönerによるデビューLPはDJユースの12インチという範疇外におけるダブテクノの可能性を初めて明らかにした作品だった。この作品はまた、Chain Reactionから届けられた中でも最良といえるフルレングスのステートメントだった。
それでも、Typeが2012年に『Biokinetics』をリイシューする以前まで、Porter Ricksは見落とされたカルト的存在であり、Chain Reactionと結びつけられる機会が多いのはやはりMonolakeやVladislav Delay、DJ Peteといったアーティストたちだった。しかし、Basic Channel本体は別として、他のChain Reactionアーティストの誰よりもダブテクノの広大なスタジオテクニックを示してみせた存在こそPorter Ricksであり、彼らはダンスミュージックの解体へ向けたドアを開いた。
スタジオのノイズから繊細な世界を引き出す技巧にかけてPorter Ricksは達人であり、自然の力と不変性を同時に提示する暴風雨や北極風の鮮明なイメージの世界を想起させる。そのテクスチャーをベルリンテクノ特有の鼓動のようなリズムに重ねることで、これらのイメージは躍動しはじめる。Porter Ricksの音楽は遥か昔に存在したかのように思え、しばし我々の目の前に現れ、トラックは終わるとやがてはるか彼方へと遠ざかっていく。『Biokinetic』がリイシューされた同じ年にActress『R.I.P』ならびにLee Gamble『Diversions 1994-1996』などの2010年代を決定づけるアルバム群がリリースされたという事実は、他の錚々たるChain Reactionアーティストの大半よりも『Biokinetics』こそがより明確にこれらのモダンなサウンドを暗示していたからに他ならない。
- Mark Smith
- 2012 / 2015
Various Artists: Trevor Jackson Presents
Metal Dance / Metal Dance 2 / Science Fiction Dancehall
Strut / On-U Sound
『Metal Dance』: Bandcamp / Apple Music / Spotify
『Metal Dance 2』: Bandcamp / Spotify
『Science Fiction』: Bandcamp / Apple Music / Spotify
- Trevor Jacksonは過去10年間の大半をアーカイブの発掘に費やし、みずからが成人しアシッドハウスのレコードスリーブデザインで名を成した1980年代に対する独自のオルタナティブな歴史を確立した。そのオルタナティブな歴史が最初に刻まれたのは、2012年の『Metal Dance』(同年には『Metal Dance 2』が続いてリリースされた)であり、すでにただでさえクレイジーで異端だったインダストリアル / EBM / ポストパンクの中でも特に奇怪で異形な作品が網羅されていた。このタイトルも示唆に富むもので、1作目のコンピレーションに収められた28曲は鋼鉄のように冷ややかであり、ほとんどが人間的な温かみを最小限にすべくアレンジされていた。ドラムは騒々しく、メロディーは金属質で甲高く、ヴォイスは陰鬱なモノトーンさを帯びる。これは冷戦期のデス・ディスコのための疎外された音楽だ。それでも、『Metal Dance』のテンプレートは弾性があるしなやかなものだ。D.A.F.の手にかかれば不吉なグルーヴも楽しげでポップなものに感じられ、Alien Sex Fiendはバレアリックと血なまぐさいロックンロールがないまぜになったリチュアル・ダンスを展開する。これらの楽曲はインダストリアルミュージックの根幹にあった挑発性を思い出させ、臆面もない表現はあらゆるSMテイストや激しさを伴いながら変態的なセックスや全体主義的美学へと向けられていく。
Jacksonが手がけたアーカイブ作業のもうひとつの功績が、1980年代の様々な非ジャマイカ系アーティストが遺したダブのパラレル宇宙に脚光を当てたコンピレーション『Science Fiction Dancehall』(2015年)だ。Adrian Sherwood率いるOn-U Soundの音源を中心とした27曲では、African Head ChargeをはじめTackhead、Little Annie 、Steve Beresfordといったアーティストたちがダブのロジック — そしてスタジオそのものをひとつの楽器として扱うアイディア — を適用しながらニューウェーブ / ディスコ / ヒップホップといったエレクトロニック・ユニバースへと拡大させていった過程が確認できる。さらには、Yellow Magic Orchestraからのかすかな影響や黎明期のエレクトロ(The Missing Brazilians)、パンク / ファンク的なダブワイズ・グルーヴ(Ari Up率いるNew Age Steppers)、初期ヒップホップ的スクラッチ(The Pop GroupのMark Stewart)なども窺い知ることができる。On-Uの過去音源の中でもとりわけダンサブルなトラックに脚光を当てることで、Jacksonは彼のレーベルであるOutputにとってのインスピレーションとなったサウンド面での未来主義を提示してみせている。2010年代の間に、“キュレーター” という言葉は過使用によって事実上意味のないものに成り下がってしまったが、Jacksonは自身の深くパーソナルな音楽遍歴へ忠実に従った仕事を成し遂げた。
- Chal Ravens
稀に — ごく稀に — ではあるが、音楽の世界を根本から覆し、固定観念に挑戦するリイシューが存在する。Charanjit Singhが1982年の時点でRoland TB-303からアシッド的なサウンドを引き出していたことを思い返してみよう。あるいは、Sixto Rodriguezのキャリア再評価のことを。このデトロイトのオブスキュアなミュージシャンが作った歌は、南アフリカにおける反アパルトヘイト運動のアンセムになった。ベスト的コンピレーション『Who Is William Onyeabor?』に端を発する、1970年代から1980年代に遺したWilliam Onyeabor作品を網羅した一連のリイシューもこのようなパラダイムシフトのひとつだった。
ナイジェリア南東部のエヌグという街で映画会社・プレス工場・レコーディングスタジオを経営していたOnyeaborがモスクワへの留学を経て、ロシアの支援を受けてシンセを導入したかどうかについては定かではない。それは我々にとって知る由もないことだ。なぜなら、Luaka Bopが彼を見出し2017年に彼が他界するまで、Onyeaborが語ることといえば神に関する話題だけだった。どちらにせよ、Onyeaborの作品が極めてグルーヴィーであることに違いはないのだ。Onyeaborはある種の予見的なフューチャーファンクを身につけ、地元ナイジェリアのリズムをシーケンサー&シンセサイザーと融合させた。みずからが運営していたWilfilms Recordsからは"Why Go To War"、"Fantastic Man"、"When The Going Is Smooth & Good"といったオールタイム・クラシックが売り出されたが、Luaka Bopがリイシューするまでこれらのレコードは極めてレアであり、信じられないほど非凡だった。
- Matt McDermott
『School Daze』: Bandcamp / Apple Music / Spotify
『Muscle Up』: Bandcamp / Apple Music / Spotify
『Afternooners』: Bandcamp / Apple Music / Spotify
Patrick Cowleyはエレクトロニックミュージックにおける最重要アーティストのひとりだが、Dark Entriesが発掘するまで彼のレガシーは断片的なままになっていた。数々のハイエナジー・ヒットやSylvesterのプロデュース、Donna Summerのリミックスなどが広く知られるCowleyだが、彼の音楽性の核心はそれらの代表作よりもはるかに深いものだった。Dark Entriesは1970年代初頭から彼がエイズで他界する1982年までの間に残された不穏なシンセミュージックに焦点を当てた。その作品の大半は、ロサンゼルスのゲイ向けポルノフィルム制作会社Fox Studioに提供されたものだった。
これらのアーカイブから発掘された3作のアルバムは、我々の中のポルノミュージックに対する既成概念、ヴィンテージなゲイポルノにまつわるファンク性とメロドラマ性の獲得に挑戦している。最も重要なことに、これらのアルバムはCowleyが鋭いセンスを持つダンス&ポップ・プロデューサーであるだけでなく、当時ほとんどの人々が使いこなせなかった最新マシンを操るシンセの巨匠であったことも示している。さらに印象的なのは、この作品群で網羅されている多様な音楽性だ。"Seven Sacred Pools"はニューエイジ・リイシューの最新プライベートプレスだと言われても不思議ではないし、また"The Jungle Dream"はEmeraldsの初期テープに入っていてもおかしくないサウンドだ。テイストは楽しげなものから愁いを帯びたものまでと幅広く、ダンスフロアー外におけるCowleyを垣間見ることができる。Dark Entriesは過去10年間で最も多作なリイシューレーベルとなったが、この3作ほど重要で驚きに満ちた作品は他にない。
- Andrew Ryce
時間の経過を記録するにあたり、これまで歴史の片隅に追いやられていた文化的作品に対する批評的な再評価より優れた方法はあるだろうか? 21世紀を迎えた前後、レコードショップにおけるニューエイジコーナーは最も無視される場所であり、優れた作品(Mark IshamやSteve Roach)とそうでない作品(喜多郎やMannheim Steamroller)を見分けることができたのは、ごくひと握りの献身的なリスナーだけだった。それから15年後、レコードショップにおけるニューエイジコーナーはさまざまなリイシュー作品でにぎわっているが、それは『I Am The Center』のような愛情をもってキュレートされたコンピレーションの存在のおかげによる部分が少なくない。
夢想的な絵画と詳細なブックレットを添えてパッケージングされたこの膨大なボックスセットが意図していたのは、イメージの復権に他ならなかった。具体的に言うなら、Douglas Mcgowanが編纂したこのコンピレーションはニューエイジにつきまとっていたネガティブなイメージを払拭し、超越を目指すDIYコミュニティの産物として再文脈化することを主眼に置いていたのだ。この穏やかなアンビエンスに満ちた作品はまさにこの点を成し遂げ、それまでほとんど知られていなかったMaster Wilburn BurchetteやJoanna Broukといった作家たちの名を世界に知らしめ、またMichael StearnsやSteven Halpernなどの著名な実践者たちのバックカタログから選りすぐった楽曲を収録した。この素晴らしい楽曲の数々は、あらゆる重要ジャンルの起源と周縁に共通した伝染性のあるエナジーに満ちている。
- Matt McDermott
- 2013 / 2015
Hailu Mergia & His Classical Instrument: Shemonmuanaye / Ata Kak: Obaa Sima
Awesome Tapes from Africa
『Shemonmuanaye』: Bandcamp / Apple Music / Spotify
『Obaa Sima』: Bandcamp / Apple Music / Spotify
Brian Shimkovitzという名の男が自身のブログに「私はガーナ・ケープコーストの垂直に延びる巨大木製ラックがある道端のテープ屋で、店の男からこれを買った」と記した投稿の日時は、2006年のある土曜日の午前5時43分だった。「このトチ狂ったレフトフィールドなラップを聴いているガーナ人の知り合いはひとりもいなかった」と続くこのブログはAwesome Tapes From Africa(アフリカ発の素晴らしいテープ)と題され、記事の冒頭にはいかにも風変わりなカセットのカバーがあり、"Moma Yendodo"なるアップロードファイルにリンクされていた。サングラスをして叫ぶような男の顔があり、そこには鮮やかなイエローとレッドと共に"ATA KAK"と記されていた。やがて9年を経て、この音源はShimkovitzのブログと同名のレーベルからリリースされることになる。
Ata Kakのトウィ語(Twi:ガーナ国内の3分の2で話されている言語)でのハイテンションなラップは、ディアスポラ的嗜好を持つレコードコレクターや異形のサウンドに関心を寄せる敏感なファンたちの間にガーナ音楽に対する熱狂を生んだ。それ以前にも、もうひとつの素晴らしいリリースがあった。Hailu Mergiaという名のタクシードライバーが作った『Shemonmuanaye』なるタイトルのテープは巧妙なオルガンや物悲しい3拍子で満たされ、多くのリスナーにとってエチオピアン・ジャズの世界への入口となった。だが、それだけではAwesome Tapes From Africaの表層をなぞっているに過ぎない。音楽の共有に関してこのブログが持つ興奮に満ちつつも紳士的なアプローチは、レコードをディグする人々とディグされるレコードとの間に横たわる隔たりをどのように解決すべきかというより大きな課題を生んだ。そのため、MergiaとAta Kak両者の作品に対する需要、そして権力と利益の不均衡に対する若干の自己認識をふまえ、Shimkovitzはこのふたりのアーティストと直接コンタクトするために数年に渡って世界中を巡った。今では、この両者は世界各地をツアーするまでになっている。2006年のある早朝に彼が断言したように、このような音楽を我々は他のどこでも聴くことはできないだろう。
- Mina Tavakoli
2010年代はいわゆる「ドリームハウス」と称する一連のコンピレーションが市場に登場し、これまで滑稽なほど高価だったレコードが幅広いオーディエンスにも届けられ、イタリア産エレクトロニックミュージックの歴史というこれまでほぼ未開拓だった領域が明らかにされることとなった。そのサウンドは、パンピンかつ輝きに満ちたものだった。Daniele Baldelliのセクシーなコズミックを引き継ぐと同時に、Vincent FloydやLarry Heardなどのしなやかなシカゴハウスとも共通点を有し、Robert Milesに代表されるドラマティックなメジャー系トランスからの影響も明らかに感じられる。このようなドリームハウスの中でもとりわけ際立っていたのはローマのVibraphone Recordsで、その特徴的で爽やかなグルーヴの渦は浮遊感と優雅さに満ちた音楽性とマッチしていた。
Vibraphoneでリリースしていたアーティストたちはほぼ毎回のリリースごとに新たな名義を名乗っていたため、レーベルの全体像を把握するのは厄介な作業だが、このレーベルのプロダクションチームは1992年から1993年にかけて多数のドリームハウス・クラシックを生み出した。中でも傑出しているのはMinimal Vision「2」と「The Bermuda Triangle」と題されたセルフタイトルEPであり、後者は2015年にタイトルを改められてリイシューされ、このマイクロシーンへの格好の入口となった。"After Glow"そして"Marine Sulphur Queen"のようなトラックは、長年にわたって日中のフェスや朝方のダンスフロアーでおなじみとなった。Vibraphoneにおける実質上の中心人物であるMauro Tanninoは事故により若くして他界しており、自身の作品が再評価されるのを見ることはなかった。それだけに、彼と活動を共にしたアーティストたちがTanninoを偲んで製作した新曲("Tanna"および"Star Ariel")はひときわ感動的なものになっている。この10年でイタリア産ドリームハウスが注目を浴びることになったのは、ひとえにこれらのトラックが正しく心を動かしてくれるからだ。これらのレコードに針を置き、魅力的で穏やかで、なおかつアップリフティングなフィーリングをもたらす強烈な日差しを浴びてみてほしい。
- Gabriel Szatan
この作品にはリイシューの威力が最大限に反映されている。アイルランドやスコットランドのクラブシーンの一部で10年間にわたって親しまれてきた"What's A Girl To Do?"をDekmantelが再リリースした際、他の地域ではこのジェントルなエレクトロアンセムはほとんど知られていなかった。もともとは2004年にアイルランドのD1 Recordingsからリリースされた"What's A Girl To Do?"は、同様にシンセ全開のエレクトロ&ハウストラック3曲に混ざってBサイドの2曲目に収録されていた。それから10年以上が経った2015年末、これは筆者の個人的な思い出なのだが、ほろ酔いになったGeorge FitzGeraldがBBC Radio 1のスタジオの向こう側に立ち、放送中にこの曲のメロディーに合わせて鼻歌を歌っていたのだ。この時点になると、この曲は鼻歌せずにはいられないものになっており、ダンスミュージックに関心のある人ならこの曲の正体をはっきりと認識していた。"What's A Girl To Do?"が秘めた潜在的な魅力がついに解き放たれたというわけだ。
このトラックを手がけた張本人であるオランダ人アーティストBas Bronはメディアへの露出を避けてきたが、2015年8月にBoiler RoomのDekmantelステージに登場たことでこのハイプはさらに加速した。Boiler Roomのショートドキュメンタリーによれば、当初はBronではなくある女性ミュージシャンが登場する予定となっていたが、これはふさわしくないアイディアとして却下された。結果的に姿を現したBronは熟練したキーボードプレイヤーであることが判明し、"What's A Girl To Do?"ほど中毒性のあるトラックを作曲できた経緯も容易く納得できた。現在の彼は人気の高いライブパフォーマーとなったが、ダンスミュージックにおける彼の永続的な貢献は彼がシンセの前に座ってこのメロディーを書き上げた時点で形成されていたのだ。
- Ryan Keeling
日本産リイシューに向けられた過去10年間にわたる飽くなき需要がおそらく最も分かりやすく要約されているのが、『うたかたの日々』にまつわるストーリーだろう。2010年代初頭にある貪欲なレコードディガーたちの集団が発掘するまで、このレコードは20年以上にもわたって日本国外では事実上誰一人として知る者はいなかった。2015年にPalto Flatsからリイシューされた東京拠点のバンドMariah(マライア)による6作目のアルバムは第四世界というアイディアを具現化した金字塔的作品であり、東アジアと中東のサウンドがポストパンク / アンビエント / ノーウェーブ / シンセポップなどの要素を交えながら融合されていた。
このアルバムが発表された1983年当時のMariahはジャズ・フュージョン・ユニットとして知られ、『うたかたの日々』は彼らのカタログの中でも異質な存在だった。そもそも、日本語とアルメニア語を半分ずつ使い分けながら歌われるヴォーカルからして奇妙だ。これは一時期バンドに在籍したSeta Evanianとオーストラリア人ビジュアルアーティストのJulie Fowellによるもので、アルメニア出身のEvanianはMariahのベーシストである渡辺モリオの妻だった。EvanianとFowellのふたりは詩情豊かなヴォーカルパートを制作するためにコラボレートし、ふたりとも話せない日本語での作詞さえ手がけた。そして、このアルバムにはニューヨーク・ノーウェーブの痩せこけたギター、ブリティッシュ・アートパンクの力強いドラム、ジャパニーズ・シティポップのキラキラと輝くシンセメロディーなど、世界各地から摘み取られた新たな音楽的アイディアがあふれていた。日本国外でカルトなファンを獲得するきっかけとなった"Shinzo No Tobira(心臓の扉)"におけるメランコリーは鋭いギターによる感傷的なメロディーとダビーなベースライン(このベースラインをMetro Areaによる2002年のアンセム"Miura"の不気味な前兆と感じ取ったディスコ系ディガーは少なくないはずだ)の下に潜んでいる。"Shonen(少年)"における騒々しい親指ピアノは、バンドを率いていた清水靖晃のアフリカ伝統音楽への興味が反映されており、明るいトーンが散りばめられた"Shisen(視線)"はいかにも日本的なサウンドだ。
このような楽曲が集まり、時間軸と空間の両方から解放されているように感じられるアルバムに結実した。これはBrian EnoとJon Hassellが “ポッシブル・ミュージック” に関する互いのアイディアを展開したのと同じ時代に生まれたサウンドコラージュの実験だった。2015年にPalto Flatsによる壮麗なリイシューがようやくコレクターたちの欲求を満たしたが、『うたかたの日々』はまだまだ豊富に隠されていた “和物” の名盤を象徴する存在だった。それから5年後、世界中のレコードショップに吉村弘や高田みどりなどのリイシュー盤が多数並ぶことになったが、『うたかたの日々』ほど “カルト・クラシック” と呼ぶにふさわしい作品は少ない。
- Chal Ravens
2016年の夏を境に、多数の著名DJがズーク(zouk)をセットに組み込み始めた。これはJulien AchardとNicolas SklirisのふたりがフランスのレーベルHeavenly Sweetnessのために編集したコンピレーション『Digital Zandoli』のおかげだ。カリブ海のフランス語圏で1980年代に生まれたズークの秘宝を選りすぐったこのコンピレーションは、HuneeやAntal、Palms Traxがプレイするような爽やかなディスコ、ハウス、ジャズファンク、ブギーにすんなりと馴染んだ。それが “ズーク・ラヴ(zouk love)” と呼ばれるスローで色っぽいトラックであろうと、あるいは “ズーク・ベトー(zouk béto)” と呼ばれるアップテンポで陽気なトラックであろうと、これらはビーチサイドでのフェスティバルセット専用に作られた音楽のように思える。
『Digital Zandoli』が登場する以前にも、ズークはクラブでプレイされていた。たとえば、ズークはパリのアフロディアスポラ系クラブでは長い間定番になっていた。しかし、このコンピレーションは新たな興味と賞賛をかき立て、新世代のDJやダンサーたちはズークやその中心人物であるPierre-Edouard Decimusの存在に気づくことになった。ズークほど美しい音楽はいずれより幅広いオーディエンスを獲得するはずだったといえるが、『Digital Zandoli』はまさにこれを実現する助けとなった。
- Aaron Coultate
南アフリカのアパルトヘイト政策末期、この国には極めてポリティカルな音楽がいくつか産み落とされた。1980年代後半における南アフリカの音楽業界では、バブルガムが席巻した。厳しい放送規制が敷かれる中、ポップでディスコ的なシンセと暗号化された歌詞がこのジャンルを受け入れられやすいものにしたのだ。それから10年後の同国ではクワイト(kwaito)が流行し、UKハウスやヒップホップの影響下で社会的に無視されたタウンシップのムードが表現された。このような音楽面の変化の真っ只中で、10代のEddie Magwazaはパンツラ(pantsula)と呼ばれるタウンシップ発祥のポピュラーでハイエナジーなダンスミュージックに沿った小作品『Mashisa』を制作していた。ところが、このプロジェクトが結果的に成功するよりも前に、Magwazaは銃で撃たれて殺されてしまう。
2016年、リードトラックの"Mashisa (Dub Mix)"が世界中で影響力のあるDJたちの関心を得たことをきっかけに『Mashisa』はついに世界でも知られるようになる。同じく2016年、Invisible Cityがこのレコードをピックアップし、オリジナル6曲中4曲をリイシューしたことで、この作品はさらに表舞台での地位を確立した。"Mashisa (Dub Mix)"における息遣いのようなシンセ、スウィングするカウベル、楽しげなチャント、ダビーなベースラインは抗いがたいほど力強いエナジーに満ちていた。他の収録曲は南アフリカ国外のトレンドを参考にしており、"Malunde"ではイタロ・ディスコの、そして"She's My Lady"では初期ハウスミュージックの影響が取り入れられている。Magwazaは自身の存命時にこの成功を目にすることはついぞなかったが、このリイシューは南アフリカの歴史上において重要な時代を垣間見る入口を提供しており、また聴き心地の良い作品となっている。
- Kiana Mickles
Alice Coltraneというアーティストの才能とその影響は、たった1枚のリイシューに体裁よく収まりきれるものではない(また、短いレビューで語りきれるものでもない)。過去10年間、新世代のリスナーに向けて彼女のほぼすべてのアルバムがリプレスされてきたのはそれが理由だ。中でも最も強烈だったリイシューは、David Byrneが設立したニューヨークのレーベルLuaka Bopから届けられた『World Spirituality Classics 1: The Ecstatic Music of Alice Coltrane Turiyasangitananda』だ。このコンピレーションは彼女が1980年代から1990年代にかけて制作した4作のカセットアルバムをまとめたもので、これら4作は本来Sai Anantam Ashram — Alice自身によって1983年に設立され、2007年に彼女が没するまで存続したヒンドゥ・コミュニティ — のために制作されていた。このコンピレーションはAliceの没後10周年にあたる2017年にリリースされた — ただし、Sai Anantam Ashramのメンバーたちは「死没(passing)」よりも「昇天(ascension)」という言葉が好ましいと考えるはずだ(ちなみに、このリイシューがリリースされてまもなく、Sai Anantam Ashramは2018年のカリフォルニア州ウールジーの山火事によって消失した。このコミュニティはその前年に閉鎖されていた)。これら4作のカセットの中のひとつ、『Turiya Sings』はAliceが初めて自身の声を作品として録音した初めての作品であり、Sai Anantam Ashramのメンバーもこの作品を通して初めてAliceの肉声を耳にすることになった。なぜなら、神が彼女に歌うことを要請したからだという。
1968年に発表されたAlice Coltraneのソロデビュー作『A Monastic Trio』は彼女の夫であるJohn Coltraneの急逝後に制作され、彼女の悲しみが込められた作品となった。まだ始まったばかりのスピリチュアリティへの旅路には、Johnが彼女に残したハープの音色と彼女の故郷デトロイトの影響が同居していた(彼女はこの作品で同じく夢想家だったPharoah Sandersと共演している)。1971年に発表されたスピリチュアル・ジャズの傑作『Journey In Satchidananda』ではまだJohnの死への悲しみが窺い知れるものの、このジャンルに反抗するアルバムでもSandersと共演し、さらに浮世離れした世界に到達している。その後10年以上にわたり、彼女はSwamini A.C. Turiyasangitanandaと改名し、よりスピリチュアルな世界への傾倒を深めていく。彼女はSai Anantam Ashramで作曲を行い、このコミュニティーのためだけの音楽を作り続けてきたが、その作品に込められたとてつもない喜びはここにきてようやく我々も聴くことができる。『World Spirituality Classics』が適切に届けられるべきリスナーは、彼女のコミュニティ内に属している人だ。Sai Anantam Ashramのメンバーたちのチャントによるリズミックなコール&レスポンス、降り注ぐようなオルガンのコード、感動的なストリングスのオーケストレーション、そしてAlice自身のハープ — これらはすべて彼女の威厳に満ちながらもジェントルで思慮深い声に支えられている。あたかも、コミュニティのメンバーたちが安心して彼女に信頼を託せるように。コミュニティ外の人々も彼女への信頼を託せるようになったのは、Luaka Bopの素晴らしいリイシューのおかげだ。
- Marissa Cetin
2013年にアムステルダムで設立したMusic From Memoryは、リイシュー界の中でも特に優れたテイストを誇るレーベルだ。レーベルを率いるTakoとJamie TillerはレコードディガーそしてDJとして世界を股にかけて活躍しており、歴史の隙間やニューエイジ / アンビエント / ポストパンク / ウェーブ、そして自宅でシンセサイザーを使って作られたあらゆる音楽の隙間にこぼれ落ちたレコードの発掘に驚くほど卓越している。このレーベルによる最も輝かしい仕事が『Outro Tempo』だ。2017年当時、我々はGaussian Curveのように優れたコンテンポラリー・ニューエイジへの免疫もできていたし、Dip In The Poolのように純粋さに満ちた日本産シンセポップも知っていた。しかし、John Gómezがブラジルで発掘してきた驚くべき音源の数々に対して、ほとんどの人々はまったく心構えできていなかった。
ロンドンを拠点にするDJであるGómezは、TillerやTakoをはじめ他の優れたディガーたちと同様のアプローチをとった。つまり、他の人々に無視されてきた場所に目を向けたのだ。ブラジル国内のレコードショップを数カ月かけて巡り、高価なトロピカリアやMPBの希少盤をやり過ごしながらGómezが最終的に見つけたのは、Priscilla ErmelやFernando Falcãoといったカルトな作家たちが手がけた奇妙で美しい音源だった。このレビューを書いて約1年後、筆者があるポートランドのレコードショップでディグをしていた時に誰かが『Outro Tempo』をかけた。認識するまでにやや間があったものの、Piry Reis "O Sol Na Janela"の酔いどれたかのようなラウンジジャズは他のどれにも似ていない音で、すぐさま筆者の心を掴んだ。これほど異質な音宇宙に誘ってくれるリイシューが、他にどれだけ存在するというのだろう?
- Matt McDermott
Pauline Anna StromからRVNG Intl.を取り仕切るMatt Werthの元に電話がかかってきた時、私はロウアー・イースト・サイドにあるRVNGが運営する店舗兼コミュニティースペースのCommendにいた。彼女の過去作品のリイシューをRVNGからリリースする承諾を伝える電話だった。少なくともその様に私の記憶の中に残っているのは、電話口を離れるやStromの素晴らしさを興奮気味にWerthが話していたからだ。彼女の70年代のニューエイジ・ムーヴメント関連のプロジェクト(その後、彼女はこのプロジェクトをプロパガンダのクソだと言いのけて放棄するのだが)、それから市場にほとんど出回ること無く探し当てるのが至難だった彼女のレコードや、さらにはブートレグもののリリースなどについての話題。また、彼女が生まれつき盲目であったにも関わらず点字を嫌い、習うことを拒否し続けた話など。そんな熱意があってこそ、彼女のリリースがRVNGから(この作品の場合はリイシュー特化したReRVNGからであるが)出されることに、真心を感じた。「こんなレコードがあるんだ、聴いてもらいたくて仕方ないよ、気に入るといいけれど」と。
2017年にリリースされた『Trans-Millenia Music 』はStromの7枚のアルバムのうち6枚を、年代順に関係なくコンパイルしたものだ。このコンセプトは、Stromの作品の過去と未来を行き来しながら、どの時代にも支配されることを拒んだその作風に良く馴染む。彼女の初LPだった『Trans-Millenia Consort』に、「時代を超えて寄り添う音」といった意味が込められているのも頷ける。きらびやかなアルペジオ、豊かなフィールド・レコーディングやサンプリングのテクスチャー、そしてこの世のものと思えぬシンセ音は、コズミックなんていう一言では語り尽くせない。彼女が最初の電子オルガンを購入するきかっけとなったサンフランシスコのニューエイジ・シーンからの影響が見られるものの、それを彼女らしく昇華している。丹精込めてRVNGがリリースしたリイシューは他にもたくさんある(サブレーベルであるFreedom To Spendによる2019年のErnest Hoodの『Neighborhoods』のリリースもまた痛恨の美しさだった)し、2010年代にかけてその後も素晴らしいリリースが続いたが、RVNGの音楽愛とPauline Anna Stromのタイムレスな癒しのコンポジションが出会ったタイミングは、記憶に残る瞬間だった。
- Marissa Cetin
従来、テクノとドラム&ベースのシーンは異なる軌道を進んでいるが、時に一直線に並ぶことがある。2010年代の特徴として、ドラム&ベースのプロデューサーによるテクノの領域への進出と、そのまた逆の現象が往々にして見られた。90年代と00年代にもそれなりに両シーンの交配は見られたが、Photekの1996年のEP「T'Raenon」は、ドラム&ベース界の重要人物が初めてテクノに挑戦したという意味で、最も異彩を放つクロスオーバーであった。
2017年のリイシューは、この作品の先見性を強調する結果となった。それは、この作品のレトロ・フューチャーな雰囲気とは相反するようにも受け取れる。"T'Raenon (Version)"の無重力な空気感と、かすかにシンコペーションされたパーカッションは、テクノ的な四つ打ちよりもジャジーな流動性を持ち合わせ、SUEDのクルーやActressといった2010年代のアーティストによる没入型の作風を思い起こさせる。だが、当時Parkesが影響を受けたのは、90年代初頭のいわゆるインテリジェントUKサウンドであり、更に元をたどるとデトロイトで生まれたテクノの発展に辿り着く。これらのサウンドは、2010年代後期にB12やStasisといったアクトによって再評価を受けた。「T'Raenon 」が元はKirk DegiorgioのOp-ARTからリリースされたのも納得だ。Degiorgio本人のAs One名義による初期のテクノ作品のリリースもまた、「T'Raenon」の再リリースに先立って新しいリスナーを惹きつけてきたのだから。
そのような経緯もあって、このリイシューのタイミングは絶好だった。一発のリリースで、ジャンル交配の影響が過去から未来を紡ぎ出す可能性を示したからだ。ハウスとテクノのオーディエンスが、ジャングルやドラム&ベースに未だかつてない興味を示し、シーン間の交差が見られつつ、やはり両シーンは独立性を保ってきたと言える。「T'Raenon 」はParkesのリイシューの中でもハウス / テクノファンにとっては10年代を代表する作品と言えるが、ドラム&ベース・ヘッズによっては、Basement RecordからリリースされたThe Sentinel and The Truper名義でのParkesの汚点ひとつない教則本的なコンピレーションの方が必聴という意見もあるかもしれない。
- Mark Smith
90年代の初期から中盤にかけて、エレクトロ・テクノ・クルーのDrexciyaほど超馬力のクリエイティブ・パワーで作品を輩出してきたデトロイトのプロデューサーは他に類を見ない。この覆面ユニットの正体は、後にGerald DonaldとJames Stinsonという名の二人組である事が明かされる。彼らはモーター・シティー、デトロイトの音楽シーンの核であったアフロ・フューチャリズムの宇宙的な音から一歩離れ、ディープで深海を漂うような音を追求したのだ。彼らの音楽は"Black Atlantis"という伝説をモチーフに、奴隷貿易の航海中に海に投げ出された妊娠中の黒人女性の子孫が紡ぐ物語という設定のSF大全をテクノに落とし込んでいる。その世界観を描き上げた時から10年の時を経て、Stinsonは陸に上がるとスターバックスに辿り着いた。
『Lifestyles Of The Laptop Café』と題するStinsonのThe Other People Place名義でのソロ・リリースは、儚く憐れみ溢れ、その評価は真っ二つに割れた。覆面でのリリースであったことも影響してか、ある批評家からは「オリジナリティーに欠ける」といった酷評を受けた。808によるリズム・パターンは、確かに単調で、アルバム全体を通じて一定であるし、ボーカルが含まれる曲では、多くて8個くらいの単語しか聞かれない。だが、このアルバムは無視できない切望、たまらぬロマンチズム、心を打つ何かを孕む。
時代がこのアルバムの物悲しさに共感を覚えるのも頷ける。あるファンが2017年にWarpにこの作品の再発を懇願する嘆願書を出した時に、予想に反してWarpは2ヶ月足らずでファンの要望に応えた。そして、方や祈り、方や警告を鳴らす"Let Me Be Me"や、喉元を通らぬ苦しみのような"You Said You Want Me"、呻くような"Eye Contact"の熱い喘ぎが再び多くの人の手に届く運びとなった。どの曲も先見性に満ちながら、恋い焦がれ、そして迷える。だが、Stinson本人はこのリリースに先立つ1年前に、この作品の核にあるテーマである「心の迷いの複雑さ」を理由として既に亡くなってしまっていると言うことが、ただただ残念だ。
- Mina Tavakoli
高田みどりの1983年リリースのカバーが、アンリ・ルソーの失われた作品のひとつかと疑うのもそのはず、フランス人アーティストのフリーキーな作風によく通じる。乳白色で控えめな色合いと、生い茂る花々、ゆったりとした空気感も持ちながら、真ん中には馬のように大きなウサギが居座る。アルバムの最初の4曲は、まさしくアンリ・ルソー氏の夢を再現したかのようで、氏の油絵の中に飛び込んだ時に聴こえてくる音楽を思わせる。オカリナ、鳥の鳴き声、パタパタと小気味良く繊細に奏でられたマリンバ、そして笛のように鳴らされるのはコカ・コーラの瓶だと思う。これらと共にざわめく緑の音は、幻想と脅迫、自然、そしてひとつまみの未知か。
RCAジャパンによる1983年のこのリリースがPalto FlatsとWRWTFWW Recordsの手によって2017年にリリースされると、たちまちDiscogで数千枚(その年Discogで2番目の最多取引アルバム)が取引されることとなった。このアルバム『Through The Looking Glass』は、実にパーソナルで、ミニマルな作品だ。Terry Riley、Steve Reich、それからPhilip Glassに影響を受けたことを想像するのは、そう難しくない。と同時に、Jon Hassellによる第四世界の鼓動、ガーナのギル・ザイロフォンに聴かれるアフリカのポリリズム、それから韓国の弦楽器であるカヤグム(高田は両楽器の師匠の元で勉強した経緯を持つ)の影響も聴き取れる。
実際のアルバム・カバーの原画者である落田洋子と良く似て、高田自身は偶像化するに値する物静かな巨匠だ。リゼルグ酸の如くミニマルでアンビエントな世界に誘い込む彼女の音は、Mood HutやFATi Recordsといったコンテンポラリーなレーベルの立ち上げに影響を与え、アブストラクトな世界観を完成させた。別の言葉を借りるなら、彼女はマスターの名にふさわしい。
- Mina Tavakoli
2010年代の音楽は考古学的な発想を持って発展してきたと言って良いかもしれない。第三世代のレイバー達は、90年代の怒涛の作品の瓦礫の中から、救済に値する作品を拾い上げては、それを再構築した。多くのリリースは、当時のジャングル、ドラム&ベース作品の激しい原動力を再現することの難しさを痛感させるものとなった。特に、ドイツ人プロデューサーのChristoph De Babalonによる1997年のデビューアルバムのリイシューは、博識な教授によるシーンの再教育に例えることが出来るだろう。15分間の真っ白なドローンで幕開ける『If You're Into It I'm Out Of It 』は当時、レイヴ明けの興奮して眠れぬベッドルームに最適のサウンドトラックだった。20年後、このアルバムは未だに先駆的なアウラを発している。ドラム&ベースとノイズと奇妙なアンビエントがフュージョンする作風は、Blackest Ever BlackやModern Loveといったレーベルから2010年代にリリースされたとしてもおかしくない。
オープニングの"Opium"の凍てつくようなツンドラを起点とし、De Babalonは荒涼とした過去と未来のビジョンを描き出している。デトロイト・エレクトロニック・シーンの空想家によるSFの夢物語はもはや打ち砕かれ、我々は荒廃し汚染された瓦礫の中でサバイブすることを強いられる。重厚なレイヴ・トラックの走りと言えるような作品("Nostep"、 "Expressure"、それから "What You Call A Life"等)では、神風のようなブレイク・ビーツが爆裂し、この世の者と思えぬささやきが、引き伸ばされたスネア音の間をいったり来たりする。そうした曲が、このアルバムの中ではまだ明るい方と言えるから可笑しい。次いで、"Water"によって4分間も続くKホールへと誘い込むや、”What if breakcore, but nuclear?"(ブレイク・コアだけど、それが核だけに核融合だとしたら?)といった、考えても仕方のないような次元の質問へと雪崩れ込む。このアルバムが、政治的に尖った主張をテクノ、パンク、インダストリアルを通じてマニフェストするAlec EmpireのDigital Hardcoreレーベルから再発されたのも頷ける。そのようなラディカルな環境に身を置きながらも、『If You're Into It I'm Out Of It 』は救いようもなくオタク臭が漂う、「自信の無い神経症の宅録家」を自称するアーティストによるうつ病の回顧録だ。2010年代の音楽の中で、この作品ほど強烈に異彩を放つ作品はそう無いだろう。
- Chal Ravens