備忘録 化学療法
テーマ:夫 備忘録
(備忘録 診断から治療へ のつづき)
3週間ごとの化学療法を7回行って、約半年が過ぎた。
彼女は相変わらず尼僧のような頭で、少しやつれていたが、意外にも元気そうに過ごしていた。
彼女は吐き気や倦怠感に耐えながら一生懸命頑張った。
体調のいい日は遠出もしたし、横浜で行われた僕の弟の結婚式にもウィッグをつけて出席したりした。
相変わらず料理を作るのが好きで、葵の離乳食を一生懸命こしらえては、冷凍して保存する。おかげで冷凍庫は離乳食だらけだ。
4月には葵が一歳の誕生日を迎えた。
水切りヨーグルトで作った彼女特製ケーキでお祝いをした。
葵は顔中をヨーグルトまみれにしながら美味しそうにケーキを頬張っていた。少しずつ歩けるようになってきたし、言葉も喋るようになってきた。
ちなみに初めて喋った言葉は、ママともパパともとれる『ワワ』というような言葉だったが、僕はパパだったと言い張った。
(妻の行なっていた化学療法はTC療法+アバスチンです。カルボプラチン、パクリタキセル、アバスチンを3週ごとに投与します。
初回のみ入院で、それからは外来通院していました。
幸い、化学療法をする事を見越して、腹腔鏡手術の後に埋め込み式ポートを左鎖骨下に入れてもらってありましたので、点滴をするのはずいぶん楽でした。
お薬は一日で入れ終わりますが、5-6時間はかかります。
薬の影響で眠くなるみたいで、投与中はよく寝ていました。
投与日と翌日はすごく元気です。
ステロイドも入るので、やけにハイテンションになります。
2日目から吐き気と倦怠感、腹部の張り感、筋肉痛が出てきます。
3-4日後がピークで、動くのも辛そうでしたが、5日目くらいには楽になってきます。
だいたい、ケモ2日後から5日後までは葵を実家に預かってもらい、6日後からは妻がお母さんに手伝ってもらいながら育児をしていました。
ケモ後14日ごろが血球減少がピークになるので、病院で採血し確認します。
そこから血球は回復傾向に向かいます。
それから次のケモまでは元気なので、遠出したりする楽しみweekとなります。
このタイミングで、ここぞとばかりに楽しみます!美味しいものを食べたり、旅行したり。
このように3週間毎のサイクルを7回繰り返していきます。
初回化学療法の2週間後ごろから髪が抜け始め、4-5日で髪は全くなくなりました。
眉は残っていましたが、回数を重ねると眉や全身の毛がなくなります。
妻は化学療法中はよく膀胱炎の症状に悩まされていました。
これは薬の影響なのか、病気の影響なのか、よく分かりませんでしたが、血尿がでたり、排尿時痛があったようです。
だいたいTC-BV療法は6クールが基本みたいです。
妻は若いですし、もともと元気だったので、7クールまでいきましたが、まぁ当然、回を重ねる毎にしんどさはましていきます。
7クールの前後で二回腎盂腎炎になり入院しました。
もともと尿管がつまり発見された病気で、最初から尿管カテーテルを入れざるを得なかったところにケモで免疫力が落ちてきたため発症したのだと思います。
血球減少も限界がきていたので、化学療法は7クールで終了となりました。)