備忘録 診断から治療へ
テーマ:夫 備忘録
(備忘録 診断 のつづき)
年末に入るので、病理検査の詳しい結果と治療方針の説明は年明けとなった。
年末には嫌なことを忘れるために、生後8ヶ月の葵と彼女と3人で車に乗り天橋立まで旅行に行った。
葵は8ヶ月になり、バンボ(子供が座る椅子のことですね)に上手に座れるようになり、ハイハイもするようになっていた。
旅行はとても楽しかったが、心の底にはやはり不安がよぎっていた。
しかし彼女にはそんな不安な気持ちを悟られないように、僕は極めて明るく振る舞った。
彼女も時折不安そうな表情を浮かべるので、最近の化学療法は副作用対策がしっかりしているから、治療しながら仕事をしている人もいるみたいだよ、なんて、なんとか勇気づけようとした。
が、内心では、こんな小さい子がいて、僕は仕事もしないといけないのに、彼女は癌の治療なんてできるのだろうか?と不安で仕方がなかった。
信仰心などとは無縁な人間だったが、帰りにガン封じ寺にも寄ってお参りした。
年が明けた1月に僕たちは病院の産婦人科を訪れた。
病理の結果は子宮頸癌の中でも悪性度の高い腺癌というものであったらしい。
やはり根治治療は不可能で、化学療法が第一選択だと聞かされた。
すぐに化学療法のスケジュールが決められた。
髪が抜けるのかな?吐き気が強いのかな?など、不安だらけだったが、負けてはいられない。
前に進まなくてはと自分を奮い立たせた。
治療が始まる前に、成人の日を利用して、3人でディズニーランドにも行った。
もしかしたら家族3人で行ける最初で最後のディズニーランドかもしれないと思うと、居ても立っても居られなくなり、化学療法が始まる前に無理やり予定をねじ込んだのだ。
8ヶ月の娘とのディズニーランドは予想以上にしんどかったが、それでも、ミッキーの家でミッキーマウスと写真を撮って、カリブの海賊にも乗った。
ミニーちゃんの靴下を娘のために買って帰った。
2人とも何も言わなかったが、お互いが、最後のディズニーランドになるかもしれないと思っていたと思う。
せっかくのディズニーランドも、楽しさと悲しさが入り混じった複雑な気分だった。
彼女の妹の夫は元美容師だ。
今は美容師をやめて警察官をしている。
化学療法が始まってすぐに、彼に頼んで彼女の断髪式をした。
髪が抜けても抜け毛を処理しやすいようにだ。
彼女の両親、家族も一緒に、相撲取りの断髪式さながら、1人ずつハサミをいれていく。
わざと前髪をパッツンにしてみたり、みなでふざけながら髪を切った。
その後、義弟に上手く整えてもらった。
彼女はそれまでのショートボブからベリーショートへと変身したが、意外と似合っており、本人もまんざらではなさそうだった。
僕は、そのとき、妻の命が助かるなら髪なんかいくらでもくれてやる、と思った。
その1週間後には髪は抜け落ち、落ち武者を経て尼僧になった。
僕は尼僧になった彼女も可愛らしく思えたし、彼女もそれほど落ち込んだ様子はなかった。
むしろ頭をからかいふざけあっていた。
僕も、いっそ妻とお揃いでスキンヘッドにしようかとも思ったが、仕事に支障をきたしそうだったのでやめておいた。
化学療法をすると数日して吐き気と倦怠感が襲ってくる。
しばらくは動くのも辛くなるので、その間は葵を僕の実家と彼女の実家に交互に預けることにした。
彼女の実家はうちから30分ほどで行けるところにある。
葵は10ヶ月になり、彼女が化学療法を受けるために断乳を余儀なくされた。
彼女は少し寂しそうだったが、幸い葵はおっぱいを欲しがって泣き出すことも少なく、僕たちは非常に助かった。
むしろ離乳食とミルクを毎日バクバクと平らげていた。
彼女に似て食べるのが好きなようだ。
好き嫌いもまったくない。
まさかこんな小さい子を家族とはいえ別の家に預けることになるとは思ってもいなかったが、葵はどちらの家でも嫌がらずに、いつもニコニコしながら遊んでいた。
その分、休みの日は葵とたくさん遊んだ。
↑癌封じ寺
妻の髪型の変遷