東日本大震災時、たった三人で被災地救援に向かった安倍総理
トップの写真は、東日本大震災時(2011年3月26日)、自ら物資を満載したトラック2台を率いて被災地に駆けつけた安倍総理(当時は一野党議員)だ。撮影したのは、駐車場を提供した人物だという。
いったいどういうことなのか。同行した世耕弘成議員(現在は経済産業大臣)が当時、詳細な報告をしていたので、ご紹介する。
軽装で屋内避難地域にもいち早く救援に向かった安倍総理
昨日(3月26日(土))、安倍晋三元総理と私とで被災地の避難所に救援物資を届けた。運送会社の協力で10トントラックと4トントラックを用意し、安倍さんと私以外には安倍事務所の秘書一人とトラックの運転スタッフのみ。警護のSPも同行させず、事前告知も行わず、あくまでも個人として救援物資を届けるという目的で訪問した。
訪問先は地震、津波、原発事故の三重苦に見舞われている福島県南相馬市、相馬市、新地町。20キロ〜30キロ圏内の屋内退避地域にも足を踏み入れた。地元で活動する現在落選中の亀岡偉民・前衆議院議員が案内役を買って出てくれた。
物資は安倍事務所と世耕事務所が手分けをして企業等に依頼して集めた物や、安倍さんが地元下関で行った募金活動で集まった義援金で購入した物だ。事前に入念に調査を行い、避難所で真に必要とされている物を用意した。
主な物資はおむつ、女性用ナプキン、トイレットペーパー、ウェットティッシュといった紙製品。靴下、下着、トレーナーといった衣類。ミネラルウォーター、あられ、菓子パン、カップ麺といった食品。マスク、タオル、歯ブラシセット、綿棒といった衛生関連用品、等々だ。
元総理であるにもかかわらず、SPもつれず、秘書一名だけで、何時間もトラックの助手席で現地に物資を満載して向かう。そして、軽装で屋内退避地域にも足を踏み入れる。このようなことは前代未聞である。
2011年3月26日、福島県にいち早く入った安倍総理。
2011年4月17日、初めて福島に入った枝野立憲民主党代表。
なお、枝野代表は三週間以上も遅れて、しかも、重装備で福島入りしている。
自衛隊の物資配布作業を手伝い、被災者を激励し、要望を聞く安倍総理
南相馬市の避難所で亀岡前議員と合流。避難所にはちょうど自衛隊の物資が届いたばかりで、その物資を避難者に配布する人手が必要だったため、急遽安倍さんとともに手伝った。行列する避難者の皆さんに家族の人数を確認して、カップ麺を渡すという作業だ。行列していた皆さんは安倍さんに気づいて一様にびっくりしていた。物資を手渡した後、体育館に設けられた避難所内に入って皆さんを激励し要望等を聴かせてもらった。この避難所には原発事故に伴う避難勧告で20キロ圏内から避難してきた人が多い。
その後相馬市に移動。市内の避難所を訪問。歯ブラシが足りないとのことだったので、持参の歯ブラシをお渡しした。この避難所は津波で家を失った家族の方が多数入っておられる。子どもの姿も目立った。安倍さんは各部屋を訪問して被災者の皆さんを激励した。
(中略)
その後町内2カ所の避難所を慰問。救援物資を届けた。
(中略)
新地町を後にして再度福島市内へ移動。福島市内にある、南相馬市から避難している方々の避難所を訪問、激励。
(中略)
最後はボランティア活動で頑張っている亀岡事務所を訪問し、スタッフの皆さんを激励した後、福島県を後にした。東京に着いたのが午前2時だった。
(中略)
今回の訪問で安倍さんは訪問した避難所にいる被災者一人一人に膝を付いて激励の言葉をかけ握手をしていた。安倍さんに対して厳しい言葉をぶつける人もいたが、要望や苦情を述べる被災者の前では正座をしてじっくりと話に耳を傾けていた。親族の火葬の手続きのために距離が離れている役場や警察を歩いて回らなければならない実情を訴えられたりもした。亡くなった息子さんの遺体の写真と火葬の通知書を握りしめているお母さんからも痛切な話を聞かせてもらった。一方で多くの被災者から「よく来てくれた」との声もかけてもらった。携帯で安倍さんとの記念撮影を求める人も多かったが安倍さんは積極的に応じていた。
元内閣総理大臣の突然の訪問が被災者の皆さんを少しでも勇気づけ、希望を持ってもらう機会になったならばと念じている。また今回の訪問で聴かせていただた要望、苦情はきちっと政府に伝え、自民党の活動にもフィードバックして、一日も早い生活再建につなげていきたい。
引用元 安倍元総理と被災地に救援物資を輸送:南相馬市、相馬市、新地町を激励訪問
東京への帰還が午前2時になるほど、各地を回り、厳しい言葉を受けても星座で丁寧に対応し、自衛隊の物資配布作業を手伝い、一人一人を励まし、支援物資を配りに行く元総理がいただろうか。
被災者に物資を配布する安倍総理(当時は野党議員)
民主党の鳩山・菅・野田元首相がこのようなふるまいをしたという事例もなく、まさに前代未聞。
優雅な民主党政権(現立憲民主党議員・応援団)のみなさま
そして、その時、民主党議員は何をしていたのか。最後に少し振り返ろう。
・菅直人首相(現在は、立憲民主党最高顧問)
説明不要の事態を悪化させた最高責任者。万死に値するとはこのこと。
・枝野幸男(現在は、立憲民主党代表)
説明不要のNO2。「直ちに影響はない」と繰り返し、ネット上の噂について言論弾圧をほのめかした。
・辻元清美・災害ボランティア担当首相補佐官(現在は、立憲民主党国対委員長)
「「部屋と秘書官がいないと仕事ができひん」と要求して、内閣府に震災ボランティア連携室を設置させた」「3月26日、大阪ボランティア協会などが大阪市内で開いた勉強会に出席」(参考記事)
・蓮舫参議院議員(現在は、立憲民主党参議院のドン)
防災服の襟を立ててオサレをアピール。コンビニを視察する。
・三宅雪子衆議院議員(現在は、反政権活動家)
3月16日の日記「自宅に戻り、頂いたアロマオイルの香りを楽しみながら、英語の勉強をしていたら、ぐらっと」と投稿し、非難を浴びる。
・松本龍防災担当大臣(現在は死去)
「官邸に引きこもって閣議後の定例会見すら開かない」「取材対応も記者との立ち話程度で、原発のことを聞くと『私は担当じゃないから』と逃げる」「官邸の危機管理センターに詰めていた松本氏がまったくの役立たずで、自衛隊の初動が遅れた」(2011年04月03日週刊現代の記事より)
・「アベ政治を許さない」を書いた金子兜太(現在は死去)
「震災の時、家に帰る自転車を買う人がいた。金さえ払えば何をしてもいいという自己中心的な風潮が日本全体を覆っている」などと妄言を吐く。金子が揮ごうした「アベ政治をゆるさない」は立憲民主党や共産党の議員が、国会内外でプラカードとして御用達。
被災地で激励する安倍総理(当時は野党議員)