KICKS OFF THE COVERSATION
ヴィンテージ・ナイキとオニツカタイガーを探し求めるスニーカー・コレクターたちが自慢のコレクションを携え、東京・南青山の撮影スタジオに集結。彼らが古い運動靴に魅せられる理由とは? 文・今尾直樹 写真・鶴岡義大
─では、お名前と年齢、集めている対象、集めるきっかけを教えてください。
原内:原内勇輔です。今年37歳になります。1995年の「エア マックス」ブームのちょっと前の中学生の頃からスニーカー好きになって、コレクションは120足ぐらい。この集まりのメンバーの影響で70年代のナイキも好きですが、年代やメーカー問わず欲しいと思った物を集めています。最近はリサイクル・ショップで掘り出し物を見つけては、洗って綺麗にするのが楽しいですね。
矢萩:矢萩典裕、45歳です。20数年前に雑誌『BOON(ブーン)』を見てスニーカー好きになりました。ひとと同じものがイヤだったので、ヴィンテージが好きに。僕はナイキから始まったんですけれども、途中からアシックスへとシフトチェンジしていきました。自分が小学生時代にアシックスタイガーが好きだったんですよ。そのアシックスタイガーが日本のブランドなのに、過去のデータが残ってない、当時の資料も残っていない、謎だらけなんです。アシックスの前身のオニツカって1949年からなんですけれど、自分の小学生時代の80年代からさかのぼって、どんだけの歴史があるのかという探究心からここまできてしまい、200足ぐらいになってしまいました。
兼近:兼近俊哉といいます。45歳です。僕はヴィンテージのデニムやウェアがもともと好きで、その流れからヴィンテージスニーカーも追いかけ始めました。人とは違うカッコ良いものを身につけたいという思いから買い始めたのですが、気がついたら集まってきちゃいました(笑)。
─いつ集めている、と気づきましたか?
兼近:10足ぐらい集めたときです。これは止まらないかもしれない、と。あまりに早く自分が動いていました。当時ヤフー!オークションが始まった頃で、50万の価値があるジーンズを30万スタートで出品されていても、誰も買わずによく流れていたんです。ネットで高額のものをポンと買えない時代に、僕は東京近郊だったら出品者と連絡とって直接買い取ったりしていました。それを別ルートで売ったりしてスニーカーを集める資金にしていましたね。サラリーマンが収集するための苦肉の策でした。それで、ある程度収集してからコレクションを公開するホームページを作り、そのBBSで知り合った仲間達と年に1回、「NIKE OTC TOKYO MEETING」というヴィンテージナイキの親睦会を開いています。OTC(オレゴン・トラック・クラブ)マラソンというナイキがスポンサードするマラソン大会があって、それとオタクをかけて名付けた会です。日本全国から毎年30人ぐらいのコレクターが参加しています。今年は海外5カ国から来てくれました。とにかく珍しいスニーカーを持ち寄りそれをみんなで眺めながら語る会なんです。
─海外からも?
原内:インスタグラムで見たっていう日本人の奥さんがいるフランスの方が最初に来て、ドイツ、スペイン、マレーシアとどんどん広がってます。
兼近:ナイキって、オニツカタイガーの流れがあるから、海外のひとが見ても自然というか、だから日本のこのような会に来てくれるんでしょうね。ともかく同じ穴のムジナじゃないですが、日常じゃ語り合えないスニーカー・ファンを集めて思いを語り合おうと。
村山:結局、会うまではライバルだったんですよ。オークションで叩き合っていたり、あのスニーカー、何年前のどこそこで見て欲しかったんだよ、という同じハンターたちが集まっている。
兼近:いまは、だれが入札していると知ると、じゃ僕はやめておこうと。この会が10何年前にできてから僕はコレクションが増えなくなりましたから。いま、全部で120足ぐらい。対象は70年代、80年代前半までのナイキだけです。
小森:小森昌弘です。41歳です。高校生のときから集めてます。当時90年代まっただなかでナイキのヴィンテージ・ブームがあって、その世代です。高校生なので、本で見ても憧れの対象だった。大人になって多少お金が使えるようになって……。スニーカー好きでしたが、ナイキのカラーリングのきれいさとバリエーションの豊かさにはまりました。給料のほとんど、1カ月で10万とか15万とかスニーカーにつかって、今日はカップラーメンで過ごそうとか、そのぐらい好きでした。
─買ってどうするんですか?
小森:買って、観察する。この角度がいいとか。昔のスニーカーは木型がシャープで。特に90年代のナイキは丸ッとしたボテボテのシルエットで、なのにヴィンテージはしゅっとしたスマートな形をしていた。
─今日はヴィンテージを履いちゃってますね。
小森:これはもう1足あるんです。
─ちなみにおいくらですか?
小森:「スペシャルナイロンコルテッツ」というヤツで、まあまあのモノですけど、買ったときは安かった。3万円ぐらいです。
─いま買うとしたら?
兼近:まあ、サイズとか、いろいろあるんで、価格はむずかしいですね。
村山:それこそ欲しいひとがふたりいたら、どんどん値段がつりあがる。
兼近:つねにそこのお店に行けば売っているというものではないので、出会ったら手に入れないと。
─どこそこだったら安く手に入るとか、穴場はあるんですか。
兼近:どこが安いも何も、ようはコレクターが手放さないとないです。
村山:93年ぐらいのブームのときに古着屋さんが全世界から日本に集めてきちゃったんです。間違いなく、日本に一番たくさんある。
兼近:だけど、めったに出てこない。
矢萩:アシックスだけは違うんですよ。アシックスは日本の町のスポーツショップが販売していたんで、スクールシューズから部活のシューズまで、奇跡的に新品で残っていることがあるんです。
原内:まだ集めている人が少ないから。
矢萩:でもね、変わりましたよ。
村山:それは矢萩さんがインスタとかで発信しているから。
矢萩:ある程度のレベルまできたので、発信しなきゃって感じてきたんです。
小森:90年代は知っているのでヴィンテージという感覚がない。自分よりも古い時代が憧れの対象なんですね。
村山:面白いのが90年代のナイキをヴィンテージと呼び始めていますけど、それよりも前の靴は履けて、90年代のは履けない。「エア マックス 95」なんてあんなに売れたのにソールが全部加水分解しちゃっている。
原内:その前は天然の革で、ソールもただのゴムだから、40〜50年前のヤツが昨日つくったぐらいのクオリティで残っている。
─なるほど。
梶谷:梶谷敦と申します。36歳です。カッコいいスニーカーが好きなのでブランドにはこだわらない。もちろんヴィンテージもあります。僕、いまは北海道にいるんですけど、2カ月前までは愛知で働いていて、そこでスニーカーの集まりの会もやってました。ヴィンテージスニーカーにハマったきっかけはアクタガワタカトシさんのサイトです。あのサイトを見るようになって、ナイキには別注があるんだとか、自分の知っていた知識が覆って、あのサイトには道を教えられた。
原内:アクタガワさんは、ヴィンテージのナイキの日本の第一人者です。もともとは『ブーン』のライターで、ホームページで、ナイキの年代別に靴の写真とそれにまつわるエピソードを書いていた。
梶谷:そのエピソードがまた……。
原内:そういうサイトがあって、それにBBS(ネットの掲示板)がついていて。そんなサイト、いままでなかったから、ひとりでコツコツ集めていた人がそこにけっこう集まって、質問だったりとか盛り上がった。
兼近:もう火付け役だね。そのサイトが更新されなくなっちゃった頃には僕のサイトがあって、そこでみんなでスニーカー持って集まりましょうって書いたのがきっかけで友達になりました。
梶谷:僕はヴィンテージだけじゃないので、靴でいえば700〜800足あります。一回見つめなおそうと思っています。ホントにこれは履くのか履かないのか。断捨離です。
兼近:遅いなー。それ、350足ぐらいのときにやらないと(笑)。
梶谷:ブランドがいっぱいあるからだめなんですよね。ナイキならナイキに絞ればいいんですが……。
─独身?
梶谷:独身です。
兼近:結婚すると350になるよ。
─最後のかたです。
村山:村山寿志と申します。37歳です。集めているのは履けるスニーカー。ヴィンテージも大好きでけっこう集めて持っています。ヴィンテージも、僕は靴は履くものだと思っています。コレクションを始めたのは8歳です。
一同:えー!?
村山:8歳当時に買ってもらったサッカーのトレーニングシューズも大切にとってあります。アディダスのフランス製です。いままで履いたスニーカーは、ボロボロになっちゃったヤツ以外は全部とってあります。トータル、いま600足ぐらいですね。
─置く場所はどうしてるんですか?
村山:僕、千葉県で農業やってるんですけど、家に入らないんで、畑に倉庫を建てまして、そこに保管しています。一応本家の長男です。ボンボンです。ヴィンテージは10足ぐらいですね。所有欲というのがあまりなくて。
─楽しいですね。みなさん、集まりたくなるのもわかりますね。
兼近:ホントにそう思ってますか?(笑)。
原内勇輔
年齢|37歳 職業|会社員 所有数|120足
兼近俊哉
年齢|45歳 職業|会社員 所有数|120足
小森昌弘
年齢|41歳 職業|自営業 所有数|200足
梶谷篤史
年齢|36歳 職業|会社員 所有数|800足
矢萩典裕
年齢|45歳 職業|会社員 所有数|200足
村山寿志
年齢|37歳 職業|自営業 所有数|600足