石破茂のインタビューにの回答がとんでもない。発言の中に潜む腹黒さ

[6年前の総裁選では議員票で安倍氏に逆転され、今回も所属国会議員の支持が広がらない。なぜか。]

私に、配分する(ポストなどの)「資源」がないからだろう。だから、現職(の総裁)相手は、大変なのだ。この6年間、誰よりも選挙の応援に行ったつもりだ。飯を食った、酒を飲んだという話は(支持拡大とは)関係ない。少なくとも私は、選挙の応援に来てくれた人には一生、恩義を感じている。 2018.9.2読売新聞朝刊4ページ

記者のインタビューに対し返ってきた石破氏の回答がとんでもないものである。

石破氏の発言では、総裁選のみならず選挙を応援する人は、ポストと恩義目当てなのか?ということになる。

そのように思われては応援する人もたまったものではないし、この発言には政治に詳しい人たちからも非難囂々である。

そもそも6年前は自民党は野党で、配分する資源(ポスト)なんてありません。それに、幹事長が各地に応援に行くのは当たり前の仕事である。

石破氏の考えでは応援された人は皆石破氏を応援しなくてはならないのか?ということになる。石破氏はそう思っていても皆がそう思うものではない。

どうも、私には恩着せがましい発言に思えるし、党員に対しての「恩を返せ」というメッセージにも思える。本心は腹黒いことがよくわかる。

「飯を食った、酒を飲んだという話は(支持拡大とは)関係ない」とここでも安倍首相のことを言っていると思うのだが、コミュニケーションは大事なことである。

食事の責や酒の席で意見の交換をすることは政治家のみならず、一般の社会でも大事なことである。そういうことから信頼関係が構築されたり、コミュニケーションをとる事で互いがわかり合えることもある。

上に立つものならこういったコミュニケーションは必要なもので、部下がどういった事をやりたがっているのか、どういう考えを持っているのか、それらを理解するのもトップの仕事である。

「食事や一緒に酒を飲むのは支持拡大に関係ない」というが、それは、そういったコミュニケーションの場を設けやってきた人間のセリフである。

自分の人望の無さを色々な言い回しで回避しているようだが、今回の発言でも、なぜ党内で人気がないのかがわかる。

理屈っぽい言い回し

石破氏の発言は、耳障りのいいように聞こえがちである。しかし、よく考えてみればとんでもない発言である。

石破氏の細川連立政権の時の自民党離脱は有名な話である。石破氏が離党したのは93年。細川連立政権が誕生し、自民党が野党に転落した。石破はその際に自民党の政治改革関連4法案への方針に反対したことから役職を停止処分を受けると、森喜朗幹事長に「こんな党にいても何もできない」と啖呵を切って自民党を離れている。そして、石破氏は転々とした流浪の遍歴を重ねる。まず「改革の会」に参加、さらに「自由改革連合」を経て、94年に小沢一郎らと「新進党」の結党に参加している。だが、石破は党首選挙で羽田孜元首相に付き、小沢と対立。小沢が党首になると「安全保障政策に失望した」と新進党を離党した。そして、無所属で当選を果たすが、自民党に風向きが変わると石破は臆面なく自民に復帰している。

要するに石破という人間は自分が可愛い協調性のない人間であるということである。

表向きは、政治信念とか理屈を並べているように思えるが、自分の思う通りにならないことが我慢できない、耐え忍ぶことが出来ないだけである。

2009年の自民党が民主党に政権を奪われた時もそうである。

2009年9月、自民党の野党転落後に行われた自民党総裁選挙では、前回の総裁選の対立候補であった与謝野馨から立候補を促され、マスメディアも石破の立候補を有力視していたが、前回総裁選の推薦人であった議員20人のうち13人が落選し、推薦人集めの難航が予想されたため、立候補を断念。谷垣禎一元財務大臣への支持を表明し、総裁に選出された谷垣の下で自由民主党政務調査会長に起用された。自民党鳥取県連の関係者によれば、党三役入りした鳥取県選出議員は石破が初めてであった。政調会長就任に伴い、所属していた額賀派を離脱した。

2010年4月22日の記者会見において、自民党を離党した与謝野馨、園田博之らが参加する新党たちあがれ日本について「私自身、新党「たちあがれ日本」に参加した与謝野馨と園田博之とは、政策的に非常に近いスタンスだ。2人は、自民党で中心的な政策の立案をしてきており、共闘していくのは当然だ」「たちあがれ日本とは、「民主党の過半数を阻止しなければならない」という思いは共通しており、今後、政策面で共同歩調をとることは多々ある」と述べ、たちあがれ日本と共闘する可能性を示唆し、講演でも「ともに民主党を倒すという思いなら、罵詈雑言や裏切り者などという前に、どうやって共闘するか考えるのが大事だ」と述べ、たちあがれ日本と協力する可能性に言及した。Wikipediaより

石破氏と与謝野氏の関係は、石破氏のブログにもありますが、非常に緊密な関係であったというようです。ようするに”お仲間”ということでしょう。
その仲間が自民党を離党してただでさえ味方の少ない石破氏は、ここで与謝野氏らと共闘を画策しておかないとそれこそ孤立無援の状態になってしまいます。
だから「ともに民主党を倒すという思いなら、罵詈雑言や裏切り者などという前に、どうやって共闘するか考えるのが大事だ」と大義名分を振りかざしたのであろう。
正直、出て行った人間なんだから、その時点で自民とは関係ないわけである。むしろ、離党した人間は党にとって反乱分子である。

こうやってみると以下に石破氏の発言はもっともらしいことを言っているようであるが、それはただの石破流の理屈であって。失際に掘り下げてみればとんでもない自分ファーストの発言であることがわかる。

党のため、〇〇のため、といっておきながらその中心には自分が必ずいる。

今回の記事にしてもそうである。先も言ったが、「この6年間、誰よりも選挙の応援に行ったつもりだ。飯を食った、酒を飲んだという話は(支持拡大とは)関係ない。少なくとも私は、選挙の応援に来てくれた人には一生、恩義を感じている。」は「私は誰よりも選挙の応援に行ったつもりだ。私は選挙の応援に来た人には一生恩義を感じている…だから私が応援に行った人達よ!…わかるよね!」ということでしょう。


石破茂プロフィール

石破 茂(いしば しげる、1957年(昭和32年)2月4日 – )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(11期)、水月会会長。血液型はB型。

防衛庁長官(第68代・第69代)、防衛大臣(第4代)、農林水産大臣(第49代)、自由民主党政務調査会長(第52代)、自由民主党幹事長(第46代)、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)、内閣府特命担当大臣(地方創生)、さわらび会会長、無派閥連絡会顧問、自民党たばこ議員連盟副会長などを歴任。

父は、建設事務次官、鳥取県知事、参議院議員、自治大臣などを歴任した石破二朗。

生年月日 1957年2月4日(61歳)
出生地 日本の旗 日本 鳥取県八頭郡八頭町
出身校 慶應義塾大学法学部法律学科卒業
前職 三井銀行(現:三井住友銀行)従業員
現職 予算委員会委員
所属政党 (自由民主党(渡辺派)→)(改革の会→)(自由改革連合→)(新生党→)(新進党→)(無所属→)自由民主党(渡辺派→額賀派→無派閥→石破派)
称号 法学士(慶應義塾大学・1979年)

Wikipediaより

 

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