愛国心は、外に向けた憎悪や恐怖や嫌悪の反作用として芽生える、と、そう考えたほうが実態に即している、と、少なくとも私は、現状を見るかぎりにおいて、そう考えている。
差別的な男が徒党を組むことで形成される「ホモソーシャル」と呼ばれる社会では、差別は、そのまま組織の行動原理として採用される。時には集団を前に進めるエンジンにもなる。
さきほど男女差別の話が出たので、ついでに蒸し返すと、私個人の見方では、女性への差別は、この30年ほどの間に、かなりマシになったと思っている。
実際、現代の20〜30代の若者は、われわれの時代から比べれば、驚くほど女性差別的な言動をしない。
であるから、差別の質自体、20世紀標準の露骨なセクハラや抑圧から比べれば、ずっと改善されている。
たとえば、ケーブルテレビのチャンネルで、1980年代の「オレたちひょうきん族」を見ると、面白いとかつまらないとかいった次元を超えて、女性差別ネタのひどさが鼻について、見ていられない。
当時の芸人たちは、コントやギャグやフリートークの中で、自分がいかに女たちを残酷に扱っているのかを競い合って開陳しては互いに爆笑している。それが笑いになると思っているのだ。でもって、互いが「オンナにひどいことをする男」であるという一点において「ワル仲間」っぽい友情を結び合っていたりさえする。
このミソジニー傾向は、現代のお笑い芸人の中にも残っている。
たとえば、松本人志氏は、1月27日のテレビ番組「ワイドナショー」において、さる芸能人の不倫報道に触れる中で
「ボクは結婚前、嫁に何度も言ってます。『俺は結婚してもそれ(不倫行為)がない男ではないよ』って。わかってるわけですよ」
と言ってのけている。
夫である芸人に、こんな屈辱的な条件を飲まされて結婚したことを、全国中継のテレビ番組の中で暴露された配偶者が、どんな気持ちになるのかを、松本氏は、考慮したのだろうか。
まったく考えていないと思う。
むしろ、
「そんな邪魔くさいこと、いちいち考えてられへんわ(笑)」
てな調子で、「女子供の」事情をあっけらかんと斬って捨てる生き方こそが、すなわち男らしさだと、そう考えているに違いない。
ただ、こんな調子の勘違いしたマッチョは、順次絶滅しつつある。それが救いだ。松本氏のような人格標本は、関西のお笑いの世界にわずかに生き残っているばかりで、ヤンキーの間ですら、絶滅しつつある。
そういう点で、私は現代のこの国の若い人たちを信頼している。
ただ、外国人への差別感情や忌避感ということになると、これは、2002年以降、なぜなのか増幅しつつある気がしている。
このたびの岡山理大の韓国人差別措置を紹介したツイートにも、無視できない数の称賛のリプライがぶら下がっていたりする。
もしかしたら、われわれは誰かを憎まないとうまく生きていけないのかもしれない。
だとすると、誰も傷つけずに済む、うまい憎悪の持っていきどころを見つけた人には、ノーベル賞を差し上げてもよいのかもしれない。
私が自分の精神衛生のために嫌っている対象をお教えしてもよいのだが、賛成してもらえない場合、良くない展開が予想されるので、やはり秘密にしておくことにする。
(文・イラスト/小田嶋 隆)
小田嶋隆×岡康道×清野由美のゆるっと鼎談
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「ア・ピース・オブ・警句」連載中の人気コラムニスト、小田嶋隆。電通を飛び出して広告クリエイティブ企画会社「TUGBOAT(タグボート)」を作ったクリエイティブディレクター、岡康道。二人は高校の同級生です。
同じ時代を過ごし、人生にとって最も苦しい「五十路」を越えてきた人生の達人二人と、切れ者女子ジャーナリスト、清野由美による愛のツッコミ。三人の会話は、懐かしのテレビ番組や音楽、学生時代のおバカな思い出などを切り口に、いつの間にか人生の諸問題の深淵に迫ります。絵本『築地市場』で第63回産経児童出版文化賞大賞を受賞した、モリナガ・ヨウ氏のイラストも楽しい。
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なんとなく人寂しさを感じた時に。
この本をどこからでも開いてください。自分も4人目の参加者としてクスクス笑ううちに「五十代をしなやかに乗り越えて、六十代を迎える」コツが、問わず語りに見えてきます。
あなたと越えたい、五十路越え。
五十路真っ最中の担当編集Yが自信を持ってお送りいたします。
コメント164件
corot
元エンジニア
「愛国心は、外に向けた憎悪や恐怖や嫌悪の反作用として芽生える」
驚くべき言説です。愛とは相手を大切に思う心、良いものを良いものとして慈しむ心、良いものが感じ取れない対象の中にも、なんとか良いものを探して相手を積極的に肯定しようとする取組みで
あり、愛は決して憎悪からは生まれません。外国に向けた憎悪や恐怖や嫌悪の反作用として芽生えるものは偏狭なナショナリズム・国粋主義であり決して愛国心ではありません。恐らく愛国心という言葉は小田嶋氏には永遠に理解不可能なものではないでしょうか。...続きを読む小田嶋氏がコラムを書かれる動機に正義感は認められますが、その正義感は人のための正義感というよりも、不正を憎むいわば正義のための正義感であって、その背景に憎悪は感じられても愛情は感じられません。感じられるとすれば人ではなく民主主義というイデオロギーに対する愛情でしょうか。人に対する愛情の無い正義感は人や体制を攻撃して、その攻撃対象を破壊することはできても、その先に改善状態(社会、体制)を構築することはできません。何故なら、憎悪は憎悪を生むからです。ですから批判はしても、解決策はありません。真の反体制派の主張の根底には必ず国や国民、民衆対する深い愛情が存在しています。この場合、仮に結果としての主張が異なったとしても違和感は感じられません。愛情の無い反体制派の言葉には、正義感は感じられてもそれ以上に強い違和感ばかりが残ります。憎悪を動機とした正義感が説得力を有するとすればそれは読者の愛情ではなく憎悪に訴えるからではないでしょうか。
yy
>愛は決して憎悪からは生まれません。
机上の理論ですよね。
殺人は親族間が一番多いといいます。
元から愛がないからなんですか?
愛と憎悪はセットで、一般的には愛が憎悪に変わるとされているが
小田嶋氏は、逆なんじゃと分析されているのですよね。
うどん大王
愛国心は自分が今幸せに生活していけることを、誰か、何かに感謝することから始まってるのかな?と漠然と考えています。自分が自分であるのは、両親、先祖のおかげだし、自分に今の生活環境を与えてくれたのは、これまで自分の関係してくれた総ての人、ものの
お陰です。この感謝の気持ちは日本という国についても当たり前のように強く持っています。
...続きを読む恐らく、日本のリベラル左翼は自分が持つ何か、誰かに感謝する範囲が自分に比べて著しく狭いんだろうと感じています。
koharu
愛国心って観念的なものなので、あまり自然発生的に湧くことはないような気がします。
家族とか、恋人とか、友人とか、郷土の自然や習慣文化とか、見て美しいものとか楽しいものとか、聴いて心地よいものとか、そういう自分の肌で触れて感じることのできるも
のに対してなら、自然な愛情を感じますが、国という概念に対して自然発生的な愛を感じるかどうか、私にとってはちょっと難しい。...続きを読む非国民かもしれませんね。
ひとし
> 暴露された配偶者が、どんな気持ちになるのかを、
> 松本氏は、考慮したのだろうか。
まるで自分自身は身内ネタを書かなかったかのような言い草。
アル中だ、相手の親の挨拶には早大卒だと言ってやったとか
好き勝手「我が心はICにあらず」で書い
てたのも忘れたとは。...続きを読む教育学部のくせに学歴差別をしたがるんだよねw
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