実際、「差別の撤廃」や「入試の公正さ」といった「建前」は、現実問題として、広範な人々によって、嘲笑の対象になっている。
「入試が公平だとか、どこの国の話をしてるんだ?」
「だよな。入試問題って、あれ、頭の悪いヤツは点が取れないようにできてるぞ。つまりおまえらにとってはどうにも不公平な試練だってことだぞ(笑)」
「差別はいけませんって、だったらお前は美味い寿司と不味い寿司を差別してないのか?」
てな調子の「自称リアリスト」は、私の見るに、SNSの「本音増幅機能」のアオリを受けて年々その数を増やし続けている。
 それゆえ、私が恐れているのは、差別があることそのものよりも、この驚くべき差別を、
「当然じゃないか」
「どこが悪いんだ?」
「どこの大学だって、表立ってやってないってだけで、実際には受験生を恣意的に選別してるはずだよ」
「日本の私学助成金をどうして外国人に用立てる必要があるんだ?」
「っていうか、お国のカネ使って遺伝子スパイを養成してどうするんだって話だろ、むしろ」
てな調子で容認擁護している人間たち(←実際、この記事を紹介したツイートにぶら下がっているリプには、あからさまに韓国人差別を肯定している人々が山ほど含まれている)が、総理の腹心の友と言われている人間が経営している学校法人による公然たる差別が、いともぞんざいに中央突破でまかり通っていた実例をまのあたりにすることで、ますます自信を得て、その結果発言力を増すことなのである。
ちょっと前に発覚した、医学部を舞台にした不正入試事件では、男性の受験生にゲタを履かせることで、女性の合格者を減らす結果をもたらしていた点が問題視された。
 2018年の12月、順天堂大学の学長が、女子の面接点を低く採点していた点について
「大学受験時点では女子の方がコミュニケーション能力が高い傾向にあり、判定の公平性を確保するために男女間の差を補正したつもりだった」
という、バカな弁解をして笑いものになったのは、比較的記憶に新しいことだが、当たり前の話だが、学長のバカな弁解が、あの事件の全体像を端的に説明していたわけではない。
ここでは別の説明を採用する。
 医療現場に詳しい人々が解説していたところによれば、彼らが男子学生を優遇せんとしたのは、
「付属病院を持つ医大の人間にとっては、インターンとして一定期間自分たちの病院で勤務させるにあたって、男性医師の方が使い勝手が良いから」
ということに尽きるらしい。
つまり、寝る間もないブラック労働のコマとして使い倒すためには、若手独身男性医師こそが好適な金のタマゴなのであって、妊娠や結婚で職場を離れるリスクを持っている女性の医師は、相対的に価値が低いということだ。となると、入試の合否判定における男女格差は、結果として明らかな差別であることは事実であるにしても、そもそもの意図としては「差別」よりは「営業上の利益優先」から発したものだったということになる。
もちろん、意図として男女差別を狙ったものでないのだから許されるという話ではない。
というよりも、このケースは医療現場に蔓延している女性への配慮を欠いた差別的な扱いを、入試のステージにそのまま転嫁した意味で、より差別的であるのかもしれない。
「女子受験生を排除した医大の首脳部は、必ずしも女性差別を意図していたのではなくて、単に、より過酷に使役できる男性の医師を求めたのだ」
 という言い方を単純に採用してしまうと、女性差別を擁護することになってしまう。
 違う。その言い方は正しくない。
医大の人間たちは、女性差別をしなかったのではない。彼らは、医療の世界に蔓延する女性差別(と、そのカゲで酷使される若手医師たち)を利用して、より高い利益を得ようとした。
結局、彼らは、受験生を医療双六の「コマ」としてしか見ていなかったということだ。
コメント164件
corot
元エンジニア
「愛国心は、外に向けた憎悪や恐怖や嫌悪の反作用として芽生える」
驚くべき言説です。愛とは相手を大切に思う心、良いものを良いものとして慈しむ心、良いものが感じ取れない対象の中にも、なんとか良いものを探して相手を積極的に肯定しようとする取組みで
あり、愛は決して憎悪からは生まれません。外国に向けた憎悪や恐怖や嫌悪の反作用として芽生えるものは偏狭なナショナリズム・国粋主義であり決して愛国心ではありません。恐らく愛国心という言葉は小田嶋氏には永遠に理解不可能なものではないでしょうか。...続きを読む小田嶋氏がコラムを書かれる動機に正義感は認められますが、その正義感は人のための正義感というよりも、不正を憎むいわば正義のための正義感であって、その背景に憎悪は感じられても愛情は感じられません。感じられるとすれば人ではなく民主主義というイデオロギーに対する愛情でしょうか。人に対する愛情の無い正義感は人や体制を攻撃して、その攻撃対象を破壊することはできても、その先に改善状態(社会、体制)を構築することはできません。何故なら、憎悪は憎悪を生むからです。ですから批判はしても、解決策はありません。真の反体制派の主張の根底には必ず国や国民、民衆対する深い愛情が存在しています。この場合、仮に結果としての主張が異なったとしても違和感は感じられません。愛情の無い反体制派の言葉には、正義感は感じられてもそれ以上に強い違和感ばかりが残ります。憎悪を動機とした正義感が説得力を有するとすればそれは読者の愛情ではなく憎悪に訴えるからではないでしょうか。
yy
>愛は決して憎悪からは生まれません。
机上の理論ですよね。
殺人は親族間が一番多いといいます。
元から愛がないからなんですか?
愛と憎悪はセットで、一般的には愛が憎悪に変わるとされているが
小田嶋氏は、逆なんじゃと分析されているのですよね。
うどん大王
愛国心は自分が今幸せに生活していけることを、誰か、何かに感謝することから始まってるのかな?と漠然と考えています。自分が自分であるのは、両親、先祖のおかげだし、自分に今の生活環境を与えてくれたのは、これまで自分の関係してくれた総ての人、ものの
お陰です。この感謝の気持ちは日本という国についても当たり前のように強く持っています。
...続きを読む恐らく、日本のリベラル左翼は自分が持つ何か、誰かに感謝する範囲が自分に比べて著しく狭いんだろうと感じています。
koharu
愛国心って観念的なものなので、あまり自然発生的に湧くことはないような気がします。
家族とか、恋人とか、友人とか、郷土の自然や習慣文化とか、見て美しいものとか楽しいものとか、聴いて心地よいものとか、そういう自分の肌で触れて感じることのできるも
のに対してなら、自然な愛情を感じますが、国という概念に対して自然発生的な愛を感じるかどうか、私にとってはちょっと難しい。...続きを読む非国民かもしれませんね。
ひとし
> 暴露された配偶者が、どんな気持ちになるのかを、
> 松本氏は、考慮したのだろうか。
まるで自分自身は身内ネタを書かなかったかのような言い草。
アル中だ、相手の親の挨拶には早大卒だと言ってやったとか
好き勝手「我が心はICにあらず」で書い
てたのも忘れたとは。...続きを読む教育学部のくせに学歴差別をしたがるんだよねw
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