私とて、会見のすべてが出来レースだったとは思わないし、記者クラブにぶら下がっている記者が雁首を揃えて政権の茶坊主業務に邁進しているとは思っていない。
ただ、首相に「苦言を呈する」構えで文章を紡ぎつつ、結果として、会見場に集まった自分たちの仕事ぶりについて弁明しているようにしか見えない記事を配信することになってしまった今回の経緯を、私はとても残念に思っている。
「記者と政治家の間には、部外者にはわからない微妙な駆け引きと力関係があって、それは記事を読んでいるだけの読者には簡単には理解できないものなのです」
というお話は、雲の高みにいる人間が、下界の人間にアナウンスする説明として、内容はともかく、構えとしてあまりにもイヤミったらしい。その意味で、失敗だったと思う。
私は率直に
「ナニサマのつもりだ?」
と思ったし、もっと言えばナニサマとナニサマが互いに忖度し合ってるみたいなやりとりは、有料の見世物として興行するのには無理があると考えている。無理だ。そんなものを見るために、大切な時間を浪費するのは御免だ。
話がズレてしまった。
文春の記事の話題に戻る。
記事の内容が真実であるのだとすれば、今回の岡山理大の所業は、まるで弁護の余地のない、最悪のやりざまだ。
上の文で私があえて「記事の内容が真実であるのだとすれば」などと、事前弁解くさい接頭辞を配置したのは、自分の気持ちの中で、いまにいたってなお、「いくらなんでもこんなひどい話が本当であるはずがない」という、常識から来る思い込みをぬぐい切ることができずにいるからだ。
これはそれほどひどい話だ。
というよりも、ゲロが出そうにグロテスクな話だ。
本件が、「不正入試」であることはあらかじめ申すまでもない。それゆえ論じる必要もない。
「差別事案」であることもはじめからはっきりしている。
これらの前提を踏まえた上で、ここから先、私が書こうとしているのは、
「差別はいけません」
「大学の入学試験は公平、公正、かつ透明性が確保されているべきです」
てなことを、くどくどと弁じ立てるテキストではない。
入試の公平性と差別撤廃の必要性は、民主社会の前提ではあるが、本稿のテーマではない。
本稿のテーマは、むしろ、それらの諸前提の崩壊危機についてだ。
私は、ここから先の何十ラインかを
「差別って本当にいけないのか?」
「入試が公平じゃないからって、たいしたことないだろ?」
と考え始めている人間たちのために書こうと思っている。
コメント164件
corot
元エンジニア
「愛国心は、外に向けた憎悪や恐怖や嫌悪の反作用として芽生える」
驚くべき言説です。愛とは相手を大切に思う心、良いものを良いものとして慈しむ心、良いものが感じ取れない対象の中にも、なんとか良いものを探して相手を積極的に肯定しようとする取組みで
あり、愛は決して憎悪からは生まれません。外国に向けた憎悪や恐怖や嫌悪の反作用として芽生えるものは偏狭なナショナリズム・国粋主義であり決して愛国心ではありません。恐らく愛国心という言葉は小田嶋氏には永遠に理解不可能なものではないでしょうか。...続きを読む小田嶋氏がコラムを書かれる動機に正義感は認められますが、その正義感は人のための正義感というよりも、不正を憎むいわば正義のための正義感であって、その背景に憎悪は感じられても愛情は感じられません。感じられるとすれば人ではなく民主主義というイデオロギーに対する愛情でしょうか。人に対する愛情の無い正義感は人や体制を攻撃して、その攻撃対象を破壊することはできても、その先に改善状態(社会、体制)を構築することはできません。何故なら、憎悪は憎悪を生むからです。ですから批判はしても、解決策はありません。真の反体制派の主張の根底には必ず国や国民、民衆対する深い愛情が存在しています。この場合、仮に結果としての主張が異なったとしても違和感は感じられません。愛情の無い反体制派の言葉には、正義感は感じられてもそれ以上に強い違和感ばかりが残ります。憎悪を動機とした正義感が説得力を有するとすればそれは読者の愛情ではなく憎悪に訴えるからではないでしょうか。
yy
>愛は決して憎悪からは生まれません。
机上の理論ですよね。
殺人は親族間が一番多いといいます。
元から愛がないからなんですか?
愛と憎悪はセットで、一般的には愛が憎悪に変わるとされているが
小田嶋氏は、逆なんじゃと分析されているのですよね。
うどん大王
愛国心は自分が今幸せに生活していけることを、誰か、何かに感謝することから始まってるのかな?と漠然と考えています。自分が自分であるのは、両親、先祖のおかげだし、自分に今の生活環境を与えてくれたのは、これまで自分の関係してくれた総ての人、ものの
お陰です。この感謝の気持ちは日本という国についても当たり前のように強く持っています。
...続きを読む恐らく、日本のリベラル左翼は自分が持つ何か、誰かに感謝する範囲が自分に比べて著しく狭いんだろうと感じています。
koharu
愛国心って観念的なものなので、あまり自然発生的に湧くことはないような気がします。
家族とか、恋人とか、友人とか、郷土の自然や習慣文化とか、見て美しいものとか楽しいものとか、聴いて心地よいものとか、そういう自分の肌で触れて感じることのできるも
のに対してなら、自然な愛情を感じますが、国という概念に対して自然発生的な愛を感じるかどうか、私にとってはちょっと難しい。...続きを読む非国民かもしれませんね。
ひとし
> 暴露された配偶者が、どんな気持ちになるのかを、
> 松本氏は、考慮したのだろうか。
まるで自分自身は身内ネタを書かなかったかのような言い草。
アル中だ、相手の親の挨拶には早大卒だと言ってやったとか
好き勝手「我が心はICにあらず」で書い
てたのも忘れたとは。...続きを読む教育学部のくせに学歴差別をしたがるんだよねw
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