連日の財務省の不祥事で任命責任を問われている【麻生太郎財務大臣】メディアではなかなか取り上げられないが実は凄い人だった!
世間では今財務省元職員たちの不祥事が目立ち、麻生太郎財務大臣への任命責任を問う声が大きく広がっている。
野党もそういった騒動に便乗するかのように大騒ぎ。
果たして麻生太郎財務大臣にすべての問題を押し付け、退任させることが正しいのか?
国民も色々な角度から、判断しなければただその時を騒いでいるだけのいわば【祭り】で神輿を担いでいるようなものだろう。
今回この記事は、この自民党批判の祭りの中心にいる麻生太郎財務大臣のこれまでの実績などを紹介していきたいと思います。
麻生太郎(あそうたろう)プロフィール
生年月日: 1940年9月20日 (年齢 77歳)
生まれ: 福岡県 飯塚市
身長: 175 cm
配偶者: 麻生 ちか子 (1983年から)
子供: 麻生 彩子、 麻生 将豊
学歴: 学習院大学、 スタンフォード大学、 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス
年齢よりだいぶ若い印象を受けますね。
【世界での事業】
当初は父親と親交があった水野成夫の伝手で産業経済新聞社に入社するも、スタンフォード大学の試験にも合格したため、一日も出社せず休職して海外留学を選んだ。
帰国後は産経も退職して、1966年に実家の麻生産業(「麻生」の初期の中核企業 後に清算)に入社し、
1960年代後半にブラジル、サンパウロに1年近く駐在していたことがあると本人は語っている。
その後、1970年から2年間に渡ってシエラレオネにて、同国のダイヤモンド産業国有化政策実施後に地元有力者から鉱区の提供を受けた麻生家の現地駐在員として、
ダイヤモンド採掘業に従事していたが、シエラレオネ内戦勃発で帰国した。
【帰国後】
1973年にセメント事業の分社化の後にグループ中核企業となった麻生セメント(現:株式会社麻生)の代表取締役社長に就任。
炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代にまた、社長業の傍らで、
1976年のモントリオールオリンピックにクレー射撃の日本代表選手として出場(結果は41位)している。
【そして政界へ】
1979年10月、第35回衆議院議員総選挙に旧福岡2区(現:福岡8区)から出馬、4位(定員5名)で初当選し政界入りする。1982年、自民党青年局局長に就任。
2期務めた後、いわゆる田中判決解散後に行われ自民党が過半数割れした第37回衆議院議員総選挙で5位当選した共産党候補に2600票余り及ばず次点となり落選する。
その後第38回衆議院議員総選挙で2位の社会党候補に3万6000票余りの差をつけトップ当選し国政に復帰して以降、現在まで全ての総選挙で選挙区当選している。
1996年には第2次橋本内閣の経済企画庁長官に就任し、初入閣。
1999年1月、党内で長年所属した宏池会を離脱し、河野洋平を会長とする大勇会(河野グループ)の旗揚げに参加。
2001年1月、不祥事により引責辞任した額賀福志郎の後任で、経済財政政策担当大臣に就任し、また、情報通信技術(IT)や新千年紀記念行事も担当した。
4月、01年自民党総裁選に出馬し、小泉純一郎、橋本龍太郎、亀井静香と戦い31票で3位。
その後発足した小泉政権では党政務調査会長を務め、その後、総務大臣、外務大臣を務める。
2008年8月、再び幹事長に就任するも、またしてもひと月後に、総理、総裁の福田が退陣を表明。
同年9月の08年自民党総裁選に4度目の立候補をし351票を獲得。自民党総裁に就任する。9月24日、第92代内閣総理大臣に就任。麻生内閣を組閣する。
首相就任の際、「日本を明るく強い国にする」と述べた。
2009年8月1日、1977年に横田めぐみが北朝鮮工作員に拉致されたとされる新潟市内の現場周辺を、現職首相として初めて視察した。
2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙で自由民主党が惨敗、衆議院第1党の座から転落。同日夜に退陣を表明。9月16日、自由民主党総裁を辞任。同日の臨時閣議にて内閣総辞職を決定。政権を最大野党党首で同選挙で300を超える議席を獲得した民主党代表の鳩山由紀夫に明け渡した。麻生は第二次世界大戦終結以前に生まれた最後の内閣総理大臣となった。
野党時代の2012年自由民主党総裁選挙では続投を表明していた谷垣禎一総裁に造反する形で出馬した幹事長の石原伸晃を批判して安倍晋三を支持した。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で自民党が政権を奪還。まもなく成立した第2次安倍内閣では副総理兼財務大臣兼金融担当大臣として再入閣した。
首相経験者の入閣は第2次森改造内閣(中央省庁再編後)に宮澤喜一が財務大臣、橋本龍太郎が沖縄及び北方対策担当大臣兼行政改革担当大臣として入閣した時以来となる。
また、首相経験者が副総理として再入閣するのは第1次吉田内閣の幣原喜重郎以来である。また、内閣総理大臣退任後に財務大臣に就任したのは宮沢喜一以来2人目である。
2017年7月、為公会が番町政策研究所などと合流し志公会(麻生派)が発足、会長に就任。
【内閣総理大臣就任後の主な景気対策】
●主なもの
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定額給付金の支給(1人1万2千円、65歳以上・18歳以下は1人2万円)
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高速道路料金の普通車・軽自動車でETC搭載車限定での、土・日・祝日最高1,000円のETC割引制度
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東京湾アクアラインの料金を普通車800円に値下げ
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エコカー減税・エコカー補助金
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家電エコポイント制度(冷蔵庫・薄型テレビ・エアコン)の実施
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住宅ローン減税(過去最高600万円の減税)
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妊婦検診の無料化(5回→14回)
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出産育児一時金の増額(全国一律に4万円引き上げ)
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中小企業への支援(緊急保処枠6兆円、保証・貸出枠30兆円に拡大)
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雇用保険料の引き下げ(標準世帯で年額約2万円)
金融危機を回避するという緊急性から急遽決定された政策でもあったことから、きめ細かさに欠けるところがあるとの指摘もあったが、
エコカー減税や家電エコポイント制度は鳩山由紀夫内閣にも引き継がれました。
北朝鮮に対する国防の内容。