立憲民主党や枝野氏の女性差別!青年局は女性0人!口先だけのパリテナウ

立憲民主党が掲げる、言葉ヅラだけ綺麗な「パリテナウ」とは・・・
“日本社会において女性たちが置かれている状況はとても厳しい。
女性の政治参加をうながす日本版パリテは、多様な民主主義の可能性を拓く。
その第一歩を、いまここから。”

立憲民主党は女性候補を前面に押し立てている。しかし、女性の活躍など考えたことがなく、根底にある女性差別が影響し、早くも多くのメッキが剥げ始めている。

つい最近では、それに関連した枝野代表の発言がまたもや炎上。炎上しているのは、「議会における議員の男女比を半々にしなければ多様な意見は反映されない」という発言。

立憲民主党の根深い女性差別を見てみよう。

立憲民主党の青年局は男ばかり

上記批判のとおり、立憲民主党の青年局は男性ばかり。以下の写真は立憲民主党の青年局の会議だが、男性ばかり。オブザーバーとしてすら女性をまねいていていない。女性活躍の香りが一切しない。

よくもまあ、これでパリテナウなどと言えたものだ。

一方、以下は自民党青年局の会議の様子。

長妻昭衆議院議員が子供のいない夫婦差別!?

上記は立憲民主党支持者の方による長妻議員への指摘である。長妻氏が実際発言したかはともかく、文脈からすると、子供がいる女性候補の方が素晴らしいと読める。

そして、この方が「子供のいない女性議員は子育ての環境を整えられないということでしょうか。子供のいるいないで政治家の適性が決まるのでしょうか。現職の女性議員にも失礼ではありませんか。そして、なぜ女性には子供のいるいないが論点になるのか」というのは、おっしゃるとおりだ。

また、立憲民主党公式アカウントが、この「子供がいる候補だから素晴らしい」という主旨の投稿にいいね!を押している時点で、立憲民主党が女性を子供がいるいないで区別していることは明らかである。

立憲民主党兵庫県連「女性候補という枠におさまらない候補」

「女性候補という枠におさまらない」という表現を誉め言葉で使う、立憲民主党兵庫県連。

 

しかし、「女性候補という枠」という表現に違和感を感じたのは、政治知新だけだろうか。

「女性候補」には、枠という限界があるのか?また、「男性候補という枠におさまらない」「LGBT候補という枠におさまらない」等とは言わない。こういう表現が出てくること自体、女性候補を物珍しいと扱っている証拠だ。

批判が殺到した枝野代表の発言

社会では男性と女性は半分ずつ。有権者全員が集まって話し合うことができないから選挙で代表を選びその人たちで話をする。だからその議会は多種多様な人の声が反映されなければいけない。男女がそれぞれ半々にならないと多種多様な暮らしの声は届かない。

いまの政治の構造は明らかに歪んでいる。多様な社会の声をきちんと政治に届ければ、みんなが安心して暮らし、安心できるからさまざまなことに挑戦し活力が生まれてくる。男性にとっても男女のバランスの取れた議会を作っていくことは重要だと言うことを知っていただきたい。

引用元 https://twitter.com/CDP2017/status/1117703712099581952

極めつけはこれだ。

枝野代表によれば、男のことは男、女のことは女にしかわからず、議会でその数を半々にしなければ多様性を確保できないそうだ。

意味不明。

男性のことは男性、女性のことは女性にしかわからないというのは最低の性差別だ。

しかも、男女の数を半々にしなければ多種多様な人の声が反映されないという。なぜ、多種多様な人が男女に限定されるのか。

LGBTは?高齢者は?帰化した人は?障がいを持った方は?貧困に追い込まれた人は?経営者は?

どうして、男女比率を平等にすれば、多種多様な人の声が反映されるのか全く説明になっていない。

事実、上記のつぶやきには批判が殺到した。


以上が、立憲民主党が体現している「男女平等」とパリテナウの実態である。

枝野代表をはじめとする立憲民主党の面々の発言は、底の浅い政治屋が口先だけの「男女平等」であることがよくわかった。そして、彼らは青年局から女性を締め出すという実際の行動でも、それを自ら証明している。

立憲民主党に、「男女平等」を語る資格なし。

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