※当エントリーは東京都北区にある都営桐ヶ丘団地についてレポートしているエントリーの第5回目となります。
このエントリーの前に
桐ヶ丘レポート【1】 序 都営桐ヶ丘団地の成り立ちとその歴史背景
桐ヶ丘レポート【2】 都営桐ヶ丘団地魅力考・魅力1~3
桐ヶ丘レポート【3】 都営桐ヶ丘団地魅力考・魅力4~6
桐ヶ丘レポート【4】 都営桐ヶ丘団地魅力考・魅力7~9
があります。
2010年7月23日。
都営桐ヶ丘団地に対する自身の想いをどうにか形に残そうと桐ヶ丘レポートの制作を思い立ち、2010年3月から続けていた資料集めやフィールドワーク、また実際に桐ヶ丘団地を探訪しての画像撮りなど、これら一連の行動に終止符を打つ行為としてこの日は桐ヶ丘団地を訪ねようとかねてから決めていた。
都営桐ヶ丘団地と密接に過ごした4ヶ月間の閉めとして、どうしてもこの日に桐ヶ丘を訪れたい理由があったのだ。
その理由とはこれである。

桐ヶ丘団地で開催される2010年の盆踊り大会の現場の空気にじかに触れ、このレポートの最後のまとめにしようと考えたのだ。子供の少なくなってしまった桐ヶ丘団地の盆踊り大会とは如何様なものなのか、実際にその場の体験を以ってレポートを終了させようとと狙ったわけだ。
幸い時間が作れ、このようなかねてからの目論見通り桐ヶ丘団地に足を向けることができた。

日も暮れかかり、辺りの暗さが増してきたころ桐ヶ丘に到着。
まずは挨拶を交わすように夕日のオレンジに浮かぶ給水塔を確認したのち、盆踊り会場となっている桐ヶ丘中央公園内のスポーツグラウンドに近づいていく。

グラウンドに近づくにつれ、徐々にお囃子が聞こえてくる。
桐ヶ丘中央公園内には確かにいつもより多くの人がいたが、それでも人影はまばらであった。
「祭りによって盛り上がる桐ヶ丘」という想像と「祭りを持ってしても人が集まらない桐ヶ丘」という両極端な2つの想像が入り混じったままグラウンドの前までやってきた。

グラウンドの中心にはやぐらがあり、おそろいの衣装に身をまとった踊り手たちが東京音頭に合わせてやぐらの回りで踊っていた。盛り上がり具合はどの程度のものだろうと、グラウンドの奥に顔を向けた瞬間、私の目に下のような光景が飛び込んできた。

おお!?なんだなんだなんだ?

すごい、すごいぞ。こんなにたくさんの人が集まっているではないか!
夏休みに入ったばかりの子供たちはわたあめを抱え、かき氷で舌を真っ青にし、スーパーボールすくいに大興奮してギャーギャーはしゃぎ回っている。団地居住者と思しき盆踊り大会開催役員も子供たちにジュースを配ったり、ご近所さん同士で世間話に花を咲かせたりしている。なんだ、すごいエネルギーじゃないか!絶対数は少なくなったとはいえ、桐ヶ丘に子供が全く居なくなってしまったわけではないのだ。桐ヶ丘居住の3世代目となるのか、はたまた新たに入居してきた家族なのかは定かではないが、このエネルギーに触れているとこれまでとは違った都営桐ヶ丘団地の未来像が想像できた。

とっぷりと日が暮れたころにはもっと人が集まってきて、盆踊り会場は更に多くの人でにぎわい始めた。楽しそうな顔で屋台に並ぶ子供たちの姿や、やぐらの回りで踊りを披露する盆踊り会の皆さんの衣装姿を見ているとここ数ヶ月の間、桐ヶ丘団地と接してきた日々が自然と思い出された。


昭和30年代から桐ヶ丘を支えてくれた居住棟解体の悲しさ、桐ヶ丘中央商店街に漂う高度経済成長期そのままの空気感、手入れされることなく群生する多様な植物、悲しげな波動を強く発している公園の遊具たち、人気(ひとけ)のない集会所・・・・。
走り回る子供たちを見ながらそういった記憶を回想していると、それまで流れていたドラえもん音頭が終わり、私の耳に聴き慣れない音頭のメロディーが飛び込んできた。この音頭はなんだろうと、集中して歌詞を聴いていたところ、その内容からこれが桐ヶ丘団地オリジナルの音頭だということが分かった。(正式名称は不明だが、本レポートではこれを「桐ヶ丘音頭」と呼ぶ)
上に書いたような記憶の回想をしている最中でもあり、あまりにも過剰に桐ヶ丘団地への思い入れが強くなっていた私はこの音頭を聴き進むうち、1番の終わり辺りで涙があふれ始め、2番の途中ではもうポロポロと涙を流してしまっていた。桐ヶ丘音頭の流れる中、元気に走り回る子供たちの姿が更に涙に拍車をかけた。
幸運だったのはこのとき、偶然にもドラえもん音頭が終わったタイミングでデジカメをムービーモードに切り替えて録画をしていたことだ。おかげでとても素晴らしいものをデータ化することができた。ただ、そのムービーに己のすすり泣く声が入らぬよう声を殺すのが非常に大変であった。(幸いすすり泣く声はムービーには入らずに済んだ)理由を知らない他人様がこの時の私の様を見たらさぞ不可解で近づきがたい光景だったのではないかと思う。こらえよう、こらえようと自分に言い聞かせたのだが、その歌詞におもいきり心を揺さぶられてしまい、衝動を抑えることができなかったのだ。
この桐ヶ丘レポートの最後を飾るに相応しいものである。以下に動画をアップするので桐ヶ丘音頭を堪能していただけると幸いだ。きっと都営桐ヶ丘団地に何の思い入れも無い方が見た場合には「なんでこんなので泣いてんの?」という感想しか出てこないようなムービーだ。なにかしら桐ヶ丘団地に対しての思いを持つ方が見ると印象が変わってくるのではないかと思う。
(可能ならばフルスクリーン再生のうえ、部屋を暗くする、ヘッドホンで音声を聞くなど、実際に自分もその場にいるようなスタンスでムービーに入り込んで集中して見ていただくのが最もこの感動が共感していただけるのではないかと考える。)
ムービーの下には聞き起こしした桐ヶ丘音頭の歌詞も記載しておくが、正式な歌詞カードなどがあるわけではないので間違っている点も何ヶ所かあるのではないかと思う。記載した歌詞の間違いに気付かれた方はコメント欄などでご指摘いただけると幸いだ。
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桐ヶ丘音頭
1、
富士と浮間を仲間に入れて
今宵一夜は花の宴
ここはよい町 住みよい団地
あなたと私の桐ヶ丘
交わす笑顔の交わす笑顔の
サァサ 花が咲く
2、
桐の林に桜の並木
肩を寄せ合うむつまじさ
ここはよい町 住みよい団地
あなたと私の桐ヶ丘
やぐら囲んでやぐら囲んで
サァサ 一踊り
3、
すみれたんぽぽ花香は続き
春が来たよと呼んでいる
ここはよい町 住みよい団地
あなたと私の桐ヶ丘
いつも一緒にいつも一緒に
サァサ 夜明けまで
【所感・留意点など】
・歌詞全体を通して花や木などの植物を歌詞に盛り込んでおり、自然と人々の暮らしが密接であることを表現したい狙いがあるようです。
・「サァサ」という掛け声の後に来る歌詞に注目すると「花が咲く」→「一踊り」→「夜明けまで」となっており、どんどん大きくなる楽しさ嬉しさをいつまでも続けていこうというストーリー展開が見られます。
・歌詞はムービーから直接聞き起こした物のため間違っている可能性が大いにあります。
・1番の出だし部分「♪富士と浮間を・・・」の部分は北区にある地名の富士(十条)と浮間(浮間舟渡)の人々もよりそってという意味だととらえましたが、「富士と浮間」が合っているかどうか自信がありません。「♪月と隙間を・・・」とも聞こえるかもしれません。
・3番の最初のセンテンス「♪すみれたんぽぽ花香は続き」の部分も間違っている可能性が高いです。私の耳には「はなだはつづみ」や「はながわつづき」とも聴こえたため、無理やり「花香は続き」と文字をあてました。
・この音頭のタイトルを「桐ヶ丘音頭」としていますが、正式な名称は不明のままです。なお、北区中央図書館で借りた桐ヶ丘35年史の中に「桐ヶ丘音頭」という音頭の歌詞が載っていますが、今回ムービーに収めた音頭とは歌詞が全く違っているものでした。桐ヶ丘音頭にはいくつかのバージョンが存在するのかもしれません。
=======================================================================
赤羽郷という苦しい居住環境を乗り越えてきた方々が、繁栄する桐ヶ丘団地を想像してこの歌詞を考えたかと思うと、音頭に託したそのメッセージが心に突き刺さり抗うことができなかった。そのまま30分ほどその場の様子を目に焼きつけ、アラレちゃん音頭の流れる中盆踊り会場を後にした。

今回、「思い付き」というきっかけから都営桐ヶ丘団地についてレポートにまとめてきたが、その過程でこれまでに自分が知らなかった多くのことを学ばせてもらった。
戦前北区にこれほどまでに軍事施設が多かったこと、北区で製紙産業が発達した理由、赤羽郷の歴史、進駐軍駐留時代のキャンプ王子、都営住宅の規格、北区の異常な高齢化問題などだ。またこういった知識を得たことで街を歩く際の道の捕らえ方が大きく変わった。これまでには全く気にせず通過していた道にも多くの歴史があるということも実感として認識できた。(こういった新たな視点からの歴史散策レポは今後別エントリーでまとめていく。本エントリーは桐ヶ丘レポートであるため割愛しているのだが、桐ヶ丘散策をきっかけに私の散歩は予想外の展開を見せている。現在進行形だ。)この2010年7月の出来事はこの先、私の記憶の中に残り続ける。
都営桐ヶ丘団地に対しての感謝を直接表すような行動はできないが、当レポートが都営桐ヶ丘団地の2010年に置かれている状況を知る際のいちデータとなれば本当に幸いである。

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最後に、今回都営桐ヶ丘団地で撮りためた画像で公開していないもののうち、多くの方に見ていただきたいものをアップして本レポートを閉める。
これまでのレポート内でも書いたことだが、都営桐ヶ丘団地は季節や時間帯、またタイミングによってさまざまな顔を見せてくれる。以下に列挙する画像の中にあなたの心に何かを訴えかけるものがあるかもしれない。





















以上を以ち桐ヶ丘レポートを終了とする。
桐ヶ丘レポートのエントリーすべてが都営桐ヶ丘団地に対する私なりの感謝である。
2010年8月22日 Sun. 闊歩マン

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桐ヶ丘レポート【2】 都営桐ヶ丘団地魅力考・魅力1~3
桐ヶ丘レポート【3】 都営桐ヶ丘団地魅力考・魅力4~6
桐ヶ丘レポート【4】 都営桐ヶ丘団地魅力考・魅力7~9
があります。
2010年7月23日。
都営桐ヶ丘団地に対する自身の想いをどうにか形に残そうと桐ヶ丘レポートの制作を思い立ち、2010年3月から続けていた資料集めやフィールドワーク、また実際に桐ヶ丘団地を探訪しての画像撮りなど、これら一連の行動に終止符を打つ行為としてこの日は桐ヶ丘団地を訪ねようとかねてから決めていた。
都営桐ヶ丘団地と密接に過ごした4ヶ月間の閉めとして、どうしてもこの日に桐ヶ丘を訪れたい理由があったのだ。
その理由とはこれである。
桐ヶ丘団地で開催される2010年の盆踊り大会の現場の空気にじかに触れ、このレポートの最後のまとめにしようと考えたのだ。子供の少なくなってしまった桐ヶ丘団地の盆踊り大会とは如何様なものなのか、実際にその場の体験を以ってレポートを終了させようとと狙ったわけだ。
幸い時間が作れ、このようなかねてからの目論見通り桐ヶ丘団地に足を向けることができた。
日も暮れかかり、辺りの暗さが増してきたころ桐ヶ丘に到着。
まずは挨拶を交わすように夕日のオレンジに浮かぶ給水塔を確認したのち、盆踊り会場となっている桐ヶ丘中央公園内のスポーツグラウンドに近づいていく。
グラウンドに近づくにつれ、徐々にお囃子が聞こえてくる。
桐ヶ丘中央公園内には確かにいつもより多くの人がいたが、それでも人影はまばらであった。
「祭りによって盛り上がる桐ヶ丘」という想像と「祭りを持ってしても人が集まらない桐ヶ丘」という両極端な2つの想像が入り混じったままグラウンドの前までやってきた。
グラウンドの中心にはやぐらがあり、おそろいの衣装に身をまとった踊り手たちが東京音頭に合わせてやぐらの回りで踊っていた。盛り上がり具合はどの程度のものだろうと、グラウンドの奥に顔を向けた瞬間、私の目に下のような光景が飛び込んできた。
おお!?なんだなんだなんだ?
すごい、すごいぞ。こんなにたくさんの人が集まっているではないか!
夏休みに入ったばかりの子供たちはわたあめを抱え、かき氷で舌を真っ青にし、スーパーボールすくいに大興奮してギャーギャーはしゃぎ回っている。団地居住者と思しき盆踊り大会開催役員も子供たちにジュースを配ったり、ご近所さん同士で世間話に花を咲かせたりしている。なんだ、すごいエネルギーじゃないか!絶対数は少なくなったとはいえ、桐ヶ丘に子供が全く居なくなってしまったわけではないのだ。桐ヶ丘居住の3世代目となるのか、はたまた新たに入居してきた家族なのかは定かではないが、このエネルギーに触れているとこれまでとは違った都営桐ヶ丘団地の未来像が想像できた。
とっぷりと日が暮れたころにはもっと人が集まってきて、盆踊り会場は更に多くの人でにぎわい始めた。楽しそうな顔で屋台に並ぶ子供たちの姿や、やぐらの回りで踊りを披露する盆踊り会の皆さんの衣装姿を見ているとここ数ヶ月の間、桐ヶ丘団地と接してきた日々が自然と思い出された。
昭和30年代から桐ヶ丘を支えてくれた居住棟解体の悲しさ、桐ヶ丘中央商店街に漂う高度経済成長期そのままの空気感、手入れされることなく群生する多様な植物、悲しげな波動を強く発している公園の遊具たち、人気(ひとけ)のない集会所・・・・。
走り回る子供たちを見ながらそういった記憶を回想していると、それまで流れていたドラえもん音頭が終わり、私の耳に聴き慣れない音頭のメロディーが飛び込んできた。この音頭はなんだろうと、集中して歌詞を聴いていたところ、その内容からこれが桐ヶ丘団地オリジナルの音頭だということが分かった。(正式名称は不明だが、本レポートではこれを「桐ヶ丘音頭」と呼ぶ)
上に書いたような記憶の回想をしている最中でもあり、あまりにも過剰に桐ヶ丘団地への思い入れが強くなっていた私はこの音頭を聴き進むうち、1番の終わり辺りで涙があふれ始め、2番の途中ではもうポロポロと涙を流してしまっていた。桐ヶ丘音頭の流れる中、元気に走り回る子供たちの姿が更に涙に拍車をかけた。
幸運だったのはこのとき、偶然にもドラえもん音頭が終わったタイミングでデジカメをムービーモードに切り替えて録画をしていたことだ。おかげでとても素晴らしいものをデータ化することができた。ただ、そのムービーに己のすすり泣く声が入らぬよう声を殺すのが非常に大変であった。(幸いすすり泣く声はムービーには入らずに済んだ)理由を知らない他人様がこの時の私の様を見たらさぞ不可解で近づきがたい光景だったのではないかと思う。こらえよう、こらえようと自分に言い聞かせたのだが、その歌詞におもいきり心を揺さぶられてしまい、衝動を抑えることができなかったのだ。
この桐ヶ丘レポートの最後を飾るに相応しいものである。以下に動画をアップするので桐ヶ丘音頭を堪能していただけると幸いだ。きっと都営桐ヶ丘団地に何の思い入れも無い方が見た場合には「なんでこんなので泣いてんの?」という感想しか出てこないようなムービーだ。なにかしら桐ヶ丘団地に対しての思いを持つ方が見ると印象が変わってくるのではないかと思う。
(可能ならばフルスクリーン再生のうえ、部屋を暗くする、ヘッドホンで音声を聞くなど、実際に自分もその場にいるようなスタンスでムービーに入り込んで集中して見ていただくのが最もこの感動が共感していただけるのではないかと考える。)
ムービーの下には聞き起こしした桐ヶ丘音頭の歌詞も記載しておくが、正式な歌詞カードなどがあるわけではないので間違っている点も何ヶ所かあるのではないかと思う。記載した歌詞の間違いに気付かれた方はコメント欄などでご指摘いただけると幸いだ。
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桐ヶ丘音頭
1、
富士と浮間を仲間に入れて
今宵一夜は花の宴
ここはよい町 住みよい団地
あなたと私の桐ヶ丘
交わす笑顔の交わす笑顔の
サァサ 花が咲く
2、
桐の林に桜の並木
肩を寄せ合うむつまじさ
ここはよい町 住みよい団地
あなたと私の桐ヶ丘
やぐら囲んでやぐら囲んで
サァサ 一踊り
3、
すみれたんぽぽ花香は続き
春が来たよと呼んでいる
ここはよい町 住みよい団地
あなたと私の桐ヶ丘
いつも一緒にいつも一緒に
サァサ 夜明けまで
【所感・留意点など】
・歌詞全体を通して花や木などの植物を歌詞に盛り込んでおり、自然と人々の暮らしが密接であることを表現したい狙いがあるようです。
・「サァサ」という掛け声の後に来る歌詞に注目すると「花が咲く」→「一踊り」→「夜明けまで」となっており、どんどん大きくなる楽しさ嬉しさをいつまでも続けていこうというストーリー展開が見られます。
・歌詞はムービーから直接聞き起こした物のため間違っている可能性が大いにあります。
・1番の出だし部分「♪富士と浮間を・・・」の部分は北区にある地名の富士(十条)と浮間(浮間舟渡)の人々もよりそってという意味だととらえましたが、「富士と浮間」が合っているかどうか自信がありません。「♪月と隙間を・・・」とも聞こえるかもしれません。
・3番の最初のセンテンス「♪すみれたんぽぽ花香は続き」の部分も間違っている可能性が高いです。私の耳には「はなだはつづみ」や「はながわつづき」とも聴こえたため、無理やり「花香は続き」と文字をあてました。
・この音頭のタイトルを「桐ヶ丘音頭」としていますが、正式な名称は不明のままです。なお、北区中央図書館で借りた桐ヶ丘35年史の中に「桐ヶ丘音頭」という音頭の歌詞が載っていますが、今回ムービーに収めた音頭とは歌詞が全く違っているものでした。桐ヶ丘音頭にはいくつかのバージョンが存在するのかもしれません。
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赤羽郷という苦しい居住環境を乗り越えてきた方々が、繁栄する桐ヶ丘団地を想像してこの歌詞を考えたかと思うと、音頭に託したそのメッセージが心に突き刺さり抗うことができなかった。そのまま30分ほどその場の様子を目に焼きつけ、アラレちゃん音頭の流れる中盆踊り会場を後にした。
今回、「思い付き」というきっかけから都営桐ヶ丘団地についてレポートにまとめてきたが、その過程でこれまでに自分が知らなかった多くのことを学ばせてもらった。
戦前北区にこれほどまでに軍事施設が多かったこと、北区で製紙産業が発達した理由、赤羽郷の歴史、進駐軍駐留時代のキャンプ王子、都営住宅の規格、北区の異常な高齢化問題などだ。またこういった知識を得たことで街を歩く際の道の捕らえ方が大きく変わった。これまでには全く気にせず通過していた道にも多くの歴史があるということも実感として認識できた。(こういった新たな視点からの歴史散策レポは今後別エントリーでまとめていく。本エントリーは桐ヶ丘レポートであるため割愛しているのだが、桐ヶ丘散策をきっかけに私の散歩は予想外の展開を見せている。現在進行形だ。)この2010年7月の出来事はこの先、私の記憶の中に残り続ける。
都営桐ヶ丘団地に対しての感謝を直接表すような行動はできないが、当レポートが都営桐ヶ丘団地の2010年に置かれている状況を知る際のいちデータとなれば本当に幸いである。
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最後に、今回都営桐ヶ丘団地で撮りためた画像で公開していないもののうち、多くの方に見ていただきたいものをアップして本レポートを閉める。
これまでのレポート内でも書いたことだが、都営桐ヶ丘団地は季節や時間帯、またタイミングによってさまざまな顔を見せてくれる。以下に列挙する画像の中にあなたの心に何かを訴えかけるものがあるかもしれない。
以上を以ち桐ヶ丘レポートを終了とする。
桐ヶ丘レポートのエントリーすべてが都営桐ヶ丘団地に対する私なりの感謝である。
2010年8月22日 Sun. 闊歩マン
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