※当エントリーは東京都北区にある都営桐ヶ丘団地についてレポートしているエントリーの第4回目となります。
このエントリーの前に
桐ヶ丘レポート【1】 序 都営桐ヶ丘団地の成り立ちとその歴史背景
桐ヶ丘レポート【2】 都営桐ヶ丘団地魅力考・魅力1~3
桐ヶ丘レポート【3】 都営桐ヶ丘団地魅力考・魅力4~6
があります。
さて、これまで桐ヶ丘団地の魅力について魅力1~6に分けて記録してきたが、本エントリーでは魅力7~9までをまとめ、都営桐ヶ丘団地魅力考のシメとする。
魅力7では桐ヶ丘アパートの歳月の経過が感じられるようなポイントを、
魅力8では昭和の名残りが感じられる水道局などのプレートを、
魅力9ではこれまでのカテゴリには当てはまらなかったが記録に残しておきたい魅力をまとめる。
● 魅力7 歳月の経過が感じられるポイント
これまでのエントリーで述べてきたように桐ヶ丘アパートの建築は昭和30年頃から行われており、古いものだと半世紀近くも歳月を重ねた建物や設備を見ることができる。長い時間を経たそれら建造物を見て過去のことを想像できる方にとっても桐ヶ丘団地は魅力あふれる場所に写る事だろう。
魅力7ではそのように「歳月の経過が感じられるもの」をピックアップしていこう。まずは主に「サビ」によって経年が感じられる画像からだ。


素材が鉄の場合、やはりサビによって見た目や形状が大きく変化してしまっているものが多い。
下の画像はN49号館の北にある鉄柵だが、ペイントが剥げてサビてしまっている。

個人的には動物園のケージを彷彿させる良い味を持った鉄柵だと感じている。

下はN53号館前のシュロの木。ただ着目点はそちらではなくシュロの背後にある鉄扉なのだが・・・・


もうここのサビなどに至っては・・・・・

「ゴッホかよ!」と思わずツッコミを入れてしまったほどアートしている。

このような鉄柵や鉄扉は団地内にいくつもあるがみな上の画像のようにサビてしまっており、そういった部分からも建設からだいぶ年月が経っている団地だということがことが感じられるのだ。
世の中には「サビマニア」とカテゴライズされる嗜好を持つ方もたくさんいるが、サビによって変化した素材を魅力的だと感じる方はなかなかに多い。桐ヶ丘団地はそんな方にも魅力ある空間に映ることだろう。

年月の経過はサビだけでなく、石材やコンクリート、モルタルなどからも感じることができる。



やはりこういった部分に注目してしまうと新棟建設は必要なのかと思ってしまう。
またこのような素材の変化からではなく、設備や物品そのものから時代を感じられる場合もある。例えば下の画像だ。

これはE地区第一集会所の壁にあった電話線のコネクタだが、そのロゴは電電公社時代のものである。電電公社が民営化されNTTになったのは1985年。つまりこの設備は設置から少なくとも25年以上経過している事になる。
私の場合、これを見た瞬間に25年前の電電公社のテレビCMが一瞬にしてはっきりとよみがえった。当時電電公社ではお客様窓口サービスとしてオレンジラインというサービスを展開していたのだが、そのオレンジラインサービスでは「テレ太くん」というキャラクターを使用していた。このコネクタを見て、テレ太くんのデザインやテレ太くんが歌っていたCMソングがフラッシュバックしたのだ。25年前の出来事でも、きっかけ(スイッチ)があれば鮮明に記憶が蘇るのである。人間は過去のことを「忘れてしまう」のではなく「思い出せない」ことが多いということだろう。こうやって過去の記憶を呼び覚ます行為は桐ヶ丘団地を巡る際の楽しさの一つであると思う。

参考資料:オレンジラインの「テレ太くん」
また、たとえばこんなものからも過去に引っ張られたりする。
下の画像は酒屋さんの横に積んであったHi-C(ハイシー)のビンである。


このロゴを見た瞬間に過去に記憶が引き戻されるような感覚を覚えたので気になって画像に残しておいたのだが、帰宅してから調べてみるとやはりこのHi-Cロゴは古いものであった。
赤いリボンシトロンの箱に入ったほうのビンのロゴは1990年~1996年頃まで市場に流通していたもので、もう一方の斜体のロゴはそれ以降現在まで継続使用されているタイプなのだそうだ。この古いロゴタイプのビンが仮に1996年にこの桐ヶ丘団地に納品されたと仮定すれば、このビンは14年間この地に存在し続けていることになる。14年前小学校1年生のときにこのHi-Cを飲んだ子も今は立派に成人しているはずだ。
これらのように団地居住棟だけでなく、団地内にある様々な施設や設備からもたくさんの情報が発せられている。そこに気がつけるかどうかで桐ヶ丘散策の楽しさは大きく変わってくる。私も見逃してしまっている事や気づけていない事などまだまだたくさんの情報が存在しているはずだ。
● 魅力8 水道局などのプレート
≪東京都水道局プレート≫
下の画像のように桐ヶ丘アパートには1階部分に共用の水道(流し)が作りつけてある居住棟もある。

今回、桐ヶ丘団地の様々な画像を取り残している際にその流し部分にこのようなプレートがあるのを発見した。

このプレートをぱっと見た瞬間、上部にある地図記号の「工場」
のようなマークを見て、この辺りには以前工業(軍事)施設もあった場所なので、もともとはそういう施設に水道の使用を許可したことを表すプレートなのかと思ったのだが、どうもそうではないようだ。
調べてみるとこのマーク
は東京都の紋章で明治22年(1889年)12月から使用されているものだそうだ。自分が東京に暮らすようになったのは1991年からであり、その頃には既に東京都は新しいシンボルマークの使用を推し進めていたためあまり馴染みがなかったのだ。これまでにも水道管のマンホールの蓋などでこの東京都紋章を目にはしていたが、ずっと地図記号の工場と関係しているマークだとばかり思い込んでいた。
なお、私の頭の中にある東京都のマークはこっちだ。→
■現在の東京都紋章の説明など確認したい方は下記URLをどうぞ
東京都公式サイト内 都の紋章・花・木・鳥
http://www.metro.tokyo.jp/PROFILE/mon.htm
ただし、結局このプレートが意味するところや書かれた数字の意味については何も分かっていない。
桐ヶ丘アパートには同様のプレートがいくつか残っている。参考までにそれらの画像もアップしておく。


見つけた当初はプレートの数字を見て上2桁が年代を表して、残りが個別番号なのかとも考えたがプレートによって桁数も違っており、そこから法則性を見いだすことはできなかった。


また、それぞれのプレートをよく見るとプレスの型が微妙に異なっている。(例えば「専用」の専の文字のヽ部分や東京都紋章の外輪と内輪の隙間のミゾの幅などに差異が見られる)ここからこのプレートが設置されたタイミングは1回だけではなく、異なる時期に複数回に渡って設置されたのではないかと思われる。

中には1つの水道に2つのプレートが付けられているものもあった。

また流しの壁面ではなく、水道管の方にプレートが付けられている箇所もあった。


他にも破損してしまったプレートや、

「ここには過去にプレートがあったのだろうな」と思われる接着痕も存在した。

以上のような水道プレート(便宜上こう呼んでいるが正式名称は不明)は桐ヶ丘団地内だけでなく、東京都内の古い木造家屋などでは玄関に貼り付けられているものをたまに目にすることがあるが、都営桐ヶ丘団地のように1つのエリアに複数のプレートが残存するエリアは他にもあるのだろうか。
≪街灯プレート≫
桐ヶ丘団地内には下のような街灯が何本も設置されている。
※これは正しくは「桐ヶ丘団地内には」ではなく、「都営団地には」なのかもしれない。同タイプの街灯を他の都営団地でも見たことがあるからだ。もう少し都営団地めぐりをしたら答えが出るのかもしれない(笑)

この街灯の柱部分には東京都のプレートが取り付けられており、そこにはプレート設置年と桐ヶ丘団地内での通しナンバーが入れられている。

昭和30年代の桐ヶ丘アパートの写真資料を見るとその当時には既に同じタイプの街灯が設置されているのが確認できるため、街灯の管理か何かでプレートのみを後付けしたのだろう。桐ヶ丘を巡っていてこの街灯のナンバリングプレートで一番若い数字はどこにあるのだろうと確認しながら画像に収めていたときに下のようなものを発見した。

東京都のナンバリングプレートの下になにやらもうひとつプレートがあるのが目に止まった。何だろうとよく見てみると、

「街」「大塚支社」の文字に「稲妻の入ったマーク」と「30028」という数字の入ったプレートが確認できた。
これに関しては大塚支社と稲妻マークから「東京電力」のプレートであるとすぐに判断できた。(私のライフラインである都電を利用して大塚駅前電停を目指すと、途中に東京電力の大塚支社がありよく目にしているため大塚支社の文字を見た瞬間に東京電力と繋がった。)もう少し詳細が知りたいと思い、帰宅してから調べてみた。
昭和初期、赤羽郷地区を含む当時の東京府東京市王子区、滝野川区エリアの電力供給は関東配電によって行われていたがその組織は昭和26年(1951年)に東京電力に引き継がれている。ちなみに北区滝野川には現在も関東配電時代のプレートが残存している。

北区滝野川に残る関東配電プレート。「関配」の文字が見える。
桐ヶ丘アパートのこのプレートには東京電力のロゴが入っているため昭和26年以降に東京電力がこの地域に配電するようになってからのものだと分かる。また、稲妻の東京電力ロゴマークであるが、こちらは昭和62年(1987年)に現在のTEPCOマークに変更されている。ここからこのプレートは1951年から1987年までの間に設置されたのは確実だ。
桐ヶ丘アパートの住棟ができたばかりの頃の資料写真を見ると、既にその段階で同じ形状の街灯が設置されているのが確認できる。ということは、この街灯は住棟の完成に合わせて設置されていったと言う仮定が成り立つ。ではこの東京電力プレートが付けられた街灯に一番近い居住棟はどこかと言えばそれはN20号館である。このような考えからN20号館の完成年を確認したところそれは昭和34年(1959年)であった。もし仮にこの街灯の設置が昭和34年だとすれば51年モノということになる。つまりこれは半世紀以上この地にあり続けているものなのかもしれない。
ただし、街灯設置と東京電力プレートの設置が同時に行われたかどうかは不明であるし、何故ほかの街灯にはこの東京電力プレートが付いていないのかなど、疑問点も残る。
水道プレートについても東京電力プレートについてもまだまだ考証が足りずそれらの本当の意味は理解できていないが、色素の抜け方や素材の風化具合から昭和を強く感じることができるポイントになっているのは間違いない。
● 魅力9 その他様々な魅力
これまで桐ヶ丘団地の魅力を様々なカテゴリーに分けて説明してきたが、それらのカテゴリーには収まらない魅力も桐ヶ丘にはあふれている。『魅力9』では私が魅力を感じた情景をカテゴリーに捕らわれずにアップしていく。
≪桐ヶ丘メッセージ≫
桐ヶ丘団地内には筆で書かれたフリーハンドメッセージ(看板)がいくつかある。黄色い地に黒い筆文字で書かれたメッセージを『桐ヶ丘メッセージ』とした。これらの看板は、画一的なフォントで作られた現代の看板に慣れてしまっている我々の世代には特異なものとして目に映る。なんというか、普通の看板よりもしっかりと見ようとしてしまうのだ。
これらの魅力的な看板も老朽化が進み、いつ撤去されるか分からない。そのため画像に残しておこうと考えた。

サビによって判読が難しいが「空巣用心」と書かれている。

「空巣用心」のメッセージは団地内2ヵ所で見ることができる。
同じタイプの丸看板でこんなメッセージも発せられている。

これはいつの話だろうか(笑)
また、上のような丸看板以外にも桐ヶ丘メッセージがある。


最後のメッセージは主語が無いため何を訴えているのかよく分からないがやはりこのメッセージを気にしてしまう。中心よりやや下部から真っ二つに折れた痕があるが、これが人為的にやられたものでないことを本当に強く願う。
≪Made in Kirigaoka.≫
続いてはコチラ。桐ヶ丘メイドの・・・・・

梅干しだ。
まあなんと素晴らしい出来栄えであることか。
桐ヶ丘団地内には梅の木もあるが、これはそこから収穫されたものなのではないだろうか?
普通の住宅街や子供の多い地域では画像のように無防備な状態で梅を放置しておいたら、盗まれるかいたずらをされてしまうのは目に見えている。若年層人口の少ない桐ヶ丘団地内だからこそできるナチュラルメイドなのかと考えるとなんとも皮肉な光景に映る。

そのクオリティ(出来栄え)は紀州南高梅を思い起こさせる程だ。桐ヶ丘中央商店街の中華屋さんなどでこの素晴らしい産物を有効利用することはできないのだろうか。
≪手書き看板(プロ)≫
次に記録しておくのは厳密に言うと都営桐ヶ丘団地の魅力とは少々異なるのだが、私が魅力を感じるポイントであるため記録化しておく。
上で述べた「桐ヶ丘メッセージ」と、これから書く「手書き看板(プロ)」は明確に区別したい。
手書き看板(プロ)の作品のひとつをお見せしよう。コレだ。

これは桐ヶ丘団地内E区域にある団地内掲示板に貼り出されていた桐ヶ丘中央商店街のイベント告知ポスターである。
この作品で特筆したいのはやはり掲示板のフレームのターコイズブルーと色味を合わせたポスターセンターのブルー文字のコントラストだ。これだけ様々なポスターの貼られた中、この告知ポスターは群を抜いて見る者の目に飛び込んでくる。

フレームのマテリアルは木だ。この年月を経た木枠のブルーと文字のブルーのなんとマッチすることか。

この1作品だけをご覧いただいても多分私の言うプロの作品という事が伝わらないと思う。もう少し何枚か画像を見ていただこう。まずは、一定のルールに則って文字を書いているという点を確認するため、3枚上の画像にある大売出しの「出し」の書き方(シェイプ)を覚えておいて欲しい。
「出し」が確認できたら下の別画像を見ていただこう。

いかがだろう。きちんと一定のルールに則って文字を書いているのがお分かりいただけるかと思う。フォントサイズもうまく調整し、無用な隙間(空白)が生じないようにきっちりと計算されている。またこのオレンジの下地には、ほかのドローイングに見られない緑色も使用している。高崎線を彷彿させるトラディショナルな配色だ。

また、上の画像は桐ヶ丘中央商店街にかかげられたものだが、日付が入る部分は必ず赤ベースに黄色文字の配色になっている点などこちらにもしっかりとルールがあるようだ。根岸流で書かれた「福引所」の文字からはこれだけの太さの筆文字を書くための筆を所有していることもうかがえる。
※根岸流についての説明は以下から確認いただけます。
■wikipedia 江戸文字の解説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%96%87%E5%AD%97
実は当初、これらのPOPを見てもこれがプロによる製作物だとは気付いていなかったのだが、先日北区十条仲原の富士見銀座商店街を歩いていたときに衝撃的な出会いをしたことで、上にアップした画像を「作品」と呼ぶようになった。その衝撃的な出会いと言うのがこれだ。

こ、これは!

オホ、この「出し」とこのブルー、そしてベースになっているこのオレンジ!

これは同一人物が製作したものと断定しても良いのではないだろうか。
富士見銀座商店街は北区十条にあり、桐ヶ丘中央商店街とはかなり離れている。徒歩で移動したら30分以上はかかる。以下のマップで道のりを測ってみた。距離は2450m程。
※この距離計測はyahooの「ルートラボ」というサービスを利用しました。まさに「こういうのが欲しかったんだよ!」的なアプリです(笑)マップ内右下の再生アイコンで道のりどおりに歩行が始まります。右上のアイコンで再生速度を×8まで上げると擬似歩行感覚がよりいっそう増すと思います。なお、30分以上かかると書きましたがこれはかなり散歩慣れした方の速度を想定し、4.8m/hとして計算しました。一般的には人間の歩行速度は4.0km/h前後と言われています。
これだけ離れた場所にある商店街なのにこのPOPの共通点の多さを見ると商店街POP書きを生業としている方の作品であろう。富士見銀座商店街でこの作品を見つけてからすっかりこの作者の作品のとりこになっている。生まれたときからPCのある環境でデザインを学ぶ現代のデザイナーには実際に毛筆でこのような文字を書く技術はない。それだけに異常に新鮮に映るのだ。
ただし、ひとつ怖いのはこの書き方が「筆書きPOP集」のようなHow to本を見て書かれた物であり、まったく接点のない別の人物が作っているいう可能性だ。桐ヶ丘の作品も富士見銀座の作品も同じ方が書いていたら個人的にはとても嬉しい。
桐ヶ丘団地は彼(もしくは彼女)の作品が楽しめる場所でもある。桐ヶ丘団地を実際に歩く機会に恵まれた際には団地内掲示板も確認してはいかがだろう?
≪区営桐ヶ丘プール≫
桐ヶ丘アパートE4号館の南には区営プールが存在する。

2010年度も7月16日から営業を開始した、現役の区営プールだ。

桐ヶ丘団地の若年層減少が進む昨今、収益はほとんど無いとは思われるがそこはさすが区営施設である。小さな小さなプールではあるが夏期に桐ヶ丘団地を訪れた場合、水浴びをしながら住棟を眺めるといったマニア垂涎の楽しみ方もできる。天気が良ければ最高のチルアウトができるだろう。(当然水着持参は必須であるが。)
※本ブログでは「チルアウト」≒「和み」ととらえてください。

魅力3でも書いたが、何かの実験施設のような風貌のE4号館は既に居住者がおらず、解体を待っている状態だ。多分2011年のプールシーズンにはこの桐ヶ丘プールからE4号館を眺めることは不可能になる。それどころかこのような解体作業とともに桐ヶ丘プールも無くなってしまう可能性は大いにある。桐ヶ丘団地の旧来の施設や設備に触れる際には一期一会の精神で臨みたい。
住所はコチラ ↓

≪yazawa≫
桐ヶ丘いちROCKな場所を見つけた。
解体寸前のW22B号館にソレはある。

三階の窓に注目だ。

あまり詳しくないのだが、多分、
「のォってるかい?あ~ハン?」
という感じなのだと思う。
≪公的設備と団地景観≫
広い都営桐ヶ丘団地の敷地内には郵便ポストや電話ボックスといった公的設備も存在する。
それらの設備も設置されてから長い時間が経過しているものが多く、現在は街の中ではあまり見かけないタイプの設備が残っている。そのような設備と団地の景観が交わった時にも味わい深い雰囲気が生まれる。
まずはポストのある桐ヶ丘団地の風景。

そして公衆電話と桐ヶ丘団地。
まずはN29号館の北にある黄緑電話。

そしてこちらはW17号館南側のISDN端末タイプ。
どちらも住棟で水平を保って写したもの。ということは電話ボックスのほうがかなり傾いているということか。

団地内に残るISDN端末はこれまでに使用された事はあるのだろうか?
-----------------------------------------------------------------------------------
魅力1から魅力9まで書き残してきたように、都営桐ヶ丘団地には団地散策の魅力の全てがつまっていると言っても過言ではない。これまでのエントリーで興味をもたれた方は、これらの魅力が消滅してしまう前に足を運ぶことをお勧めする。
以上で桐ヶ丘団地魅力考は終了となる。
次回エントリーでは「【5】 桐ヶ丘レポート 跋」として、本桐ヶ丘レポートの最終エントリーをアップする。次回の総括となるエントリーではレポートのまとめとともに、あるムービーもアップしようと思う。そのムービーがこの桐ヶ丘レポートの最終章には必要な素材となる。

にほんブログ村
このエントリーの前に
桐ヶ丘レポート【1】 序 都営桐ヶ丘団地の成り立ちとその歴史背景
桐ヶ丘レポート【2】 都営桐ヶ丘団地魅力考・魅力1~3
桐ヶ丘レポート【3】 都営桐ヶ丘団地魅力考・魅力4~6
があります。
さて、これまで桐ヶ丘団地の魅力について魅力1~6に分けて記録してきたが、本エントリーでは魅力7~9までをまとめ、都営桐ヶ丘団地魅力考のシメとする。
魅力7では桐ヶ丘アパートの歳月の経過が感じられるようなポイントを、
魅力8では昭和の名残りが感じられる水道局などのプレートを、
魅力9ではこれまでのカテゴリには当てはまらなかったが記録に残しておきたい魅力をまとめる。
● 魅力7 歳月の経過が感じられるポイント
これまでのエントリーで述べてきたように桐ヶ丘アパートの建築は昭和30年頃から行われており、古いものだと半世紀近くも歳月を重ねた建物や設備を見ることができる。長い時間を経たそれら建造物を見て過去のことを想像できる方にとっても桐ヶ丘団地は魅力あふれる場所に写る事だろう。
魅力7ではそのように「歳月の経過が感じられるもの」をピックアップしていこう。まずは主に「サビ」によって経年が感じられる画像からだ。
素材が鉄の場合、やはりサビによって見た目や形状が大きく変化してしまっているものが多い。
下の画像はN49号館の北にある鉄柵だが、ペイントが剥げてサビてしまっている。
個人的には動物園のケージを彷彿させる良い味を持った鉄柵だと感じている。
下はN53号館前のシュロの木。ただ着目点はそちらではなくシュロの背後にある鉄扉なのだが・・・・
もうここのサビなどに至っては・・・・・
「ゴッホかよ!」と思わずツッコミを入れてしまったほどアートしている。
このような鉄柵や鉄扉は団地内にいくつもあるがみな上の画像のようにサビてしまっており、そういった部分からも建設からだいぶ年月が経っている団地だということがことが感じられるのだ。
世の中には「サビマニア」とカテゴライズされる嗜好を持つ方もたくさんいるが、サビによって変化した素材を魅力的だと感じる方はなかなかに多い。桐ヶ丘団地はそんな方にも魅力ある空間に映ることだろう。
年月の経過はサビだけでなく、石材やコンクリート、モルタルなどからも感じることができる。
やはりこういった部分に注目してしまうと新棟建設は必要なのかと思ってしまう。
またこのような素材の変化からではなく、設備や物品そのものから時代を感じられる場合もある。例えば下の画像だ。
これはE地区第一集会所の壁にあった電話線のコネクタだが、そのロゴは電電公社時代のものである。電電公社が民営化されNTTになったのは1985年。つまりこの設備は設置から少なくとも25年以上経過している事になる。
私の場合、これを見た瞬間に25年前の電電公社のテレビCMが一瞬にしてはっきりとよみがえった。当時電電公社ではお客様窓口サービスとしてオレンジラインというサービスを展開していたのだが、そのオレンジラインサービスでは「テレ太くん」というキャラクターを使用していた。このコネクタを見て、テレ太くんのデザインやテレ太くんが歌っていたCMソングがフラッシュバックしたのだ。25年前の出来事でも、きっかけ(スイッチ)があれば鮮明に記憶が蘇るのである。人間は過去のことを「忘れてしまう」のではなく「思い出せない」ことが多いということだろう。こうやって過去の記憶を呼び覚ます行為は桐ヶ丘団地を巡る際の楽しさの一つであると思う。
参考資料:オレンジラインの「テレ太くん」
また、たとえばこんなものからも過去に引っ張られたりする。
下の画像は酒屋さんの横に積んであったHi-C(ハイシー)のビンである。
このロゴを見た瞬間に過去に記憶が引き戻されるような感覚を覚えたので気になって画像に残しておいたのだが、帰宅してから調べてみるとやはりこのHi-Cロゴは古いものであった。
赤いリボンシトロンの箱に入ったほうのビンのロゴは1990年~1996年頃まで市場に流通していたもので、もう一方の斜体のロゴはそれ以降現在まで継続使用されているタイプなのだそうだ。この古いロゴタイプのビンが仮に1996年にこの桐ヶ丘団地に納品されたと仮定すれば、このビンは14年間この地に存在し続けていることになる。14年前小学校1年生のときにこのHi-Cを飲んだ子も今は立派に成人しているはずだ。
これらのように団地居住棟だけでなく、団地内にある様々な施設や設備からもたくさんの情報が発せられている。そこに気がつけるかどうかで桐ヶ丘散策の楽しさは大きく変わってくる。私も見逃してしまっている事や気づけていない事などまだまだたくさんの情報が存在しているはずだ。
● 魅力8 水道局などのプレート
≪東京都水道局プレート≫
下の画像のように桐ヶ丘アパートには1階部分に共用の水道(流し)が作りつけてある居住棟もある。
今回、桐ヶ丘団地の様々な画像を取り残している際にその流し部分にこのようなプレートがあるのを発見した。
このプレートをぱっと見た瞬間、上部にある地図記号の「工場」
調べてみるとこのマーク
なお、私の頭の中にある東京都のマークはこっちだ。→
■現在の東京都紋章の説明など確認したい方は下記URLをどうぞ
東京都公式サイト内 都の紋章・花・木・鳥
http://www.metro.tokyo.jp/PROFILE/mon.htm
ただし、結局このプレートが意味するところや書かれた数字の意味については何も分かっていない。
桐ヶ丘アパートには同様のプレートがいくつか残っている。参考までにそれらの画像もアップしておく。
見つけた当初はプレートの数字を見て上2桁が年代を表して、残りが個別番号なのかとも考えたがプレートによって桁数も違っており、そこから法則性を見いだすことはできなかった。
また、それぞれのプレートをよく見るとプレスの型が微妙に異なっている。(例えば「専用」の専の文字のヽ部分や東京都紋章の外輪と内輪の隙間のミゾの幅などに差異が見られる)ここからこのプレートが設置されたタイミングは1回だけではなく、異なる時期に複数回に渡って設置されたのではないかと思われる。
中には1つの水道に2つのプレートが付けられているものもあった。
また流しの壁面ではなく、水道管の方にプレートが付けられている箇所もあった。
他にも破損してしまったプレートや、
「ここには過去にプレートがあったのだろうな」と思われる接着痕も存在した。
以上のような水道プレート(便宜上こう呼んでいるが正式名称は不明)は桐ヶ丘団地内だけでなく、東京都内の古い木造家屋などでは玄関に貼り付けられているものをたまに目にすることがあるが、都営桐ヶ丘団地のように1つのエリアに複数のプレートが残存するエリアは他にもあるのだろうか。
≪街灯プレート≫
桐ヶ丘団地内には下のような街灯が何本も設置されている。
※これは正しくは「桐ヶ丘団地内には」ではなく、「都営団地には」なのかもしれない。同タイプの街灯を他の都営団地でも見たことがあるからだ。もう少し都営団地めぐりをしたら答えが出るのかもしれない(笑)
この街灯の柱部分には東京都のプレートが取り付けられており、そこにはプレート設置年と桐ヶ丘団地内での通しナンバーが入れられている。
昭和30年代の桐ヶ丘アパートの写真資料を見るとその当時には既に同じタイプの街灯が設置されているのが確認できるため、街灯の管理か何かでプレートのみを後付けしたのだろう。桐ヶ丘を巡っていてこの街灯のナンバリングプレートで一番若い数字はどこにあるのだろうと確認しながら画像に収めていたときに下のようなものを発見した。
東京都のナンバリングプレートの下になにやらもうひとつプレートがあるのが目に止まった。何だろうとよく見てみると、
「街」「大塚支社」の文字に「稲妻の入ったマーク」と「30028」という数字の入ったプレートが確認できた。
これに関しては大塚支社と稲妻マークから「東京電力」のプレートであるとすぐに判断できた。(私のライフラインである都電を利用して大塚駅前電停を目指すと、途中に東京電力の大塚支社がありよく目にしているため大塚支社の文字を見た瞬間に東京電力と繋がった。)もう少し詳細が知りたいと思い、帰宅してから調べてみた。
昭和初期、赤羽郷地区を含む当時の東京府東京市王子区、滝野川区エリアの電力供給は関東配電によって行われていたがその組織は昭和26年(1951年)に東京電力に引き継がれている。ちなみに北区滝野川には現在も関東配電時代のプレートが残存している。
北区滝野川に残る関東配電プレート。「関配」の文字が見える。
桐ヶ丘アパートのこのプレートには東京電力のロゴが入っているため昭和26年以降に東京電力がこの地域に配電するようになってからのものだと分かる。また、稲妻の東京電力ロゴマークであるが、こちらは昭和62年(1987年)に現在のTEPCOマークに変更されている。ここからこのプレートは1951年から1987年までの間に設置されたのは確実だ。
桐ヶ丘アパートの住棟ができたばかりの頃の資料写真を見ると、既にその段階で同じ形状の街灯が設置されているのが確認できる。ということは、この街灯は住棟の完成に合わせて設置されていったと言う仮定が成り立つ。ではこの東京電力プレートが付けられた街灯に一番近い居住棟はどこかと言えばそれはN20号館である。このような考えからN20号館の完成年を確認したところそれは昭和34年(1959年)であった。もし仮にこの街灯の設置が昭和34年だとすれば51年モノということになる。つまりこれは半世紀以上この地にあり続けているものなのかもしれない。
ただし、街灯設置と東京電力プレートの設置が同時に行われたかどうかは不明であるし、何故ほかの街灯にはこの東京電力プレートが付いていないのかなど、疑問点も残る。
水道プレートについても東京電力プレートについてもまだまだ考証が足りずそれらの本当の意味は理解できていないが、色素の抜け方や素材の風化具合から昭和を強く感じることができるポイントになっているのは間違いない。
● 魅力9 その他様々な魅力
これまで桐ヶ丘団地の魅力を様々なカテゴリーに分けて説明してきたが、それらのカテゴリーには収まらない魅力も桐ヶ丘にはあふれている。『魅力9』では私が魅力を感じた情景をカテゴリーに捕らわれずにアップしていく。
≪桐ヶ丘メッセージ≫
桐ヶ丘団地内には筆で書かれたフリーハンドメッセージ(看板)がいくつかある。黄色い地に黒い筆文字で書かれたメッセージを『桐ヶ丘メッセージ』とした。これらの看板は、画一的なフォントで作られた現代の看板に慣れてしまっている我々の世代には特異なものとして目に映る。なんというか、普通の看板よりもしっかりと見ようとしてしまうのだ。
これらの魅力的な看板も老朽化が進み、いつ撤去されるか分からない。そのため画像に残しておこうと考えた。
サビによって判読が難しいが「空巣用心」と書かれている。
「空巣用心」のメッセージは団地内2ヵ所で見ることができる。
同じタイプの丸看板でこんなメッセージも発せられている。
これはいつの話だろうか(笑)
また、上のような丸看板以外にも桐ヶ丘メッセージがある。
最後のメッセージは主語が無いため何を訴えているのかよく分からないがやはりこのメッセージを気にしてしまう。中心よりやや下部から真っ二つに折れた痕があるが、これが人為的にやられたものでないことを本当に強く願う。
≪Made in Kirigaoka.≫
続いてはコチラ。桐ヶ丘メイドの・・・・・
梅干しだ。
まあなんと素晴らしい出来栄えであることか。
桐ヶ丘団地内には梅の木もあるが、これはそこから収穫されたものなのではないだろうか?
普通の住宅街や子供の多い地域では画像のように無防備な状態で梅を放置しておいたら、盗まれるかいたずらをされてしまうのは目に見えている。若年層人口の少ない桐ヶ丘団地内だからこそできるナチュラルメイドなのかと考えるとなんとも皮肉な光景に映る。
そのクオリティ(出来栄え)は紀州南高梅を思い起こさせる程だ。桐ヶ丘中央商店街の中華屋さんなどでこの素晴らしい産物を有効利用することはできないのだろうか。
≪手書き看板(プロ)≫
次に記録しておくのは厳密に言うと都営桐ヶ丘団地の魅力とは少々異なるのだが、私が魅力を感じるポイントであるため記録化しておく。
上で述べた「桐ヶ丘メッセージ」と、これから書く「手書き看板(プロ)」は明確に区別したい。
手書き看板(プロ)の作品のひとつをお見せしよう。コレだ。
これは桐ヶ丘団地内E区域にある団地内掲示板に貼り出されていた桐ヶ丘中央商店街のイベント告知ポスターである。
この作品で特筆したいのはやはり掲示板のフレームのターコイズブルーと色味を合わせたポスターセンターのブルー文字のコントラストだ。これだけ様々なポスターの貼られた中、この告知ポスターは群を抜いて見る者の目に飛び込んでくる。
フレームのマテリアルは木だ。この年月を経た木枠のブルーと文字のブルーのなんとマッチすることか。
この1作品だけをご覧いただいても多分私の言うプロの作品という事が伝わらないと思う。もう少し何枚か画像を見ていただこう。まずは、一定のルールに則って文字を書いているという点を確認するため、3枚上の画像にある大売出しの「出し」の書き方(シェイプ)を覚えておいて欲しい。
「出し」が確認できたら下の別画像を見ていただこう。
いかがだろう。きちんと一定のルールに則って文字を書いているのがお分かりいただけるかと思う。フォントサイズもうまく調整し、無用な隙間(空白)が生じないようにきっちりと計算されている。またこのオレンジの下地には、ほかのドローイングに見られない緑色も使用している。高崎線を彷彿させるトラディショナルな配色だ。
また、上の画像は桐ヶ丘中央商店街にかかげられたものだが、日付が入る部分は必ず赤ベースに黄色文字の配色になっている点などこちらにもしっかりとルールがあるようだ。根岸流で書かれた「福引所」の文字からはこれだけの太さの筆文字を書くための筆を所有していることもうかがえる。
※根岸流についての説明は以下から確認いただけます。
■wikipedia 江戸文字の解説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%96%87%E5%AD%97
実は当初、これらのPOPを見てもこれがプロによる製作物だとは気付いていなかったのだが、先日北区十条仲原の富士見銀座商店街を歩いていたときに衝撃的な出会いをしたことで、上にアップした画像を「作品」と呼ぶようになった。その衝撃的な出会いと言うのがこれだ。
こ、これは!
オホ、この「出し」とこのブルー、そしてベースになっているこのオレンジ!
これは同一人物が製作したものと断定しても良いのではないだろうか。
富士見銀座商店街は北区十条にあり、桐ヶ丘中央商店街とはかなり離れている。徒歩で移動したら30分以上はかかる。以下のマップで道のりを測ってみた。距離は2450m程。
※この距離計測はyahooの「ルートラボ」というサービスを利用しました。まさに「こういうのが欲しかったんだよ!」的なアプリです(笑)マップ内右下の再生アイコンで道のりどおりに歩行が始まります。右上のアイコンで再生速度を×8まで上げると擬似歩行感覚がよりいっそう増すと思います。なお、30分以上かかると書きましたがこれはかなり散歩慣れした方の速度を想定し、4.8m/hとして計算しました。一般的には人間の歩行速度は4.0km/h前後と言われています。
これだけ離れた場所にある商店街なのにこのPOPの共通点の多さを見ると商店街POP書きを生業としている方の作品であろう。富士見銀座商店街でこの作品を見つけてからすっかりこの作者の作品のとりこになっている。生まれたときからPCのある環境でデザインを学ぶ現代のデザイナーには実際に毛筆でこのような文字を書く技術はない。それだけに異常に新鮮に映るのだ。
ただし、ひとつ怖いのはこの書き方が「筆書きPOP集」のようなHow to本を見て書かれた物であり、まったく接点のない別の人物が作っているいう可能性だ。桐ヶ丘の作品も富士見銀座の作品も同じ方が書いていたら個人的にはとても嬉しい。
桐ヶ丘団地は彼(もしくは彼女)の作品が楽しめる場所でもある。桐ヶ丘団地を実際に歩く機会に恵まれた際には団地内掲示板も確認してはいかがだろう?
≪区営桐ヶ丘プール≫
桐ヶ丘アパートE4号館の南には区営プールが存在する。
2010年度も7月16日から営業を開始した、現役の区営プールだ。
桐ヶ丘団地の若年層減少が進む昨今、収益はほとんど無いとは思われるがそこはさすが区営施設である。小さな小さなプールではあるが夏期に桐ヶ丘団地を訪れた場合、水浴びをしながら住棟を眺めるといったマニア垂涎の楽しみ方もできる。天気が良ければ最高のチルアウトができるだろう。(当然水着持参は必須であるが。)
※本ブログでは「チルアウト」≒「和み」ととらえてください。
魅力3でも書いたが、何かの実験施設のような風貌のE4号館は既に居住者がおらず、解体を待っている状態だ。多分2011年のプールシーズンにはこの桐ヶ丘プールからE4号館を眺めることは不可能になる。それどころかこのような解体作業とともに桐ヶ丘プールも無くなってしまう可能性は大いにある。桐ヶ丘団地の旧来の施設や設備に触れる際には一期一会の精神で臨みたい。
住所はコチラ ↓
≪yazawa≫
桐ヶ丘いちROCKな場所を見つけた。
解体寸前のW22B号館にソレはある。
三階の窓に注目だ。
あまり詳しくないのだが、多分、
「のォってるかい?あ~ハン?」
という感じなのだと思う。
≪公的設備と団地景観≫
広い都営桐ヶ丘団地の敷地内には郵便ポストや電話ボックスといった公的設備も存在する。
それらの設備も設置されてから長い時間が経過しているものが多く、現在は街の中ではあまり見かけないタイプの設備が残っている。そのような設備と団地の景観が交わった時にも味わい深い雰囲気が生まれる。
まずはポストのある桐ヶ丘団地の風景。
そして公衆電話と桐ヶ丘団地。
まずはN29号館の北にある黄緑電話。
そしてこちらはW17号館南側のISDN端末タイプ。
どちらも住棟で水平を保って写したもの。ということは電話ボックスのほうがかなり傾いているということか。
団地内に残るISDN端末はこれまでに使用された事はあるのだろうか?
-----------------------------------------------------------------------------------
魅力1から魅力9まで書き残してきたように、都営桐ヶ丘団地には団地散策の魅力の全てがつまっていると言っても過言ではない。これまでのエントリーで興味をもたれた方は、これらの魅力が消滅してしまう前に足を運ぶことをお勧めする。
以上で桐ヶ丘団地魅力考は終了となる。
次回エントリーでは「【5】 桐ヶ丘レポート 跋」として、本桐ヶ丘レポートの最終エントリーをアップする。次回の総括となるエントリーではレポートのまとめとともに、あるムービーもアップしようと思う。そのムービーがこの桐ヶ丘レポートの最終章には必要な素材となる。
にほんブログ村