※当エントリーは東京都北区にある都営桐ヶ丘団地についてレポートしているエントリーの第3回目となります。
このエントリーの前に
桐ヶ丘レポート【1】 序 都営桐ヶ丘団地の成り立ちとその歴史背景
桐ヶ丘レポート【2】 桐ヶ丘魅力考・魅力1~3
があります。
魅力3にてご覧いただいたように桐ヶ丘アパートの旧来の住棟はとても魅力にあふれている。
それら住棟群は団地内にあふれる緑と融合し、ここ桐ヶ丘だけの風景を作ってくれている。
続く魅力4と5ではそれら自然について、魅力6では住棟以外の団地内施設・設備についてまとめていく。
● 魅力4 多様な自然(動植物)の存在
桐ヶ丘団地には豊かな自然があふれている。
春は梅や桜、また様々な芽吹きが、夏は深く濃い緑と青い空が、秋には枯れ葉と夕日のオレンジのコントラストなどが来る者を迎えてくれるだろう。(緑に関してはさすがに冬場はあまり期待できない。針葉樹の緑などもあるが、緑を楽しみたいのであれば別のシーズンを狙いたい。)
桐ヶ丘団地のそれら自然は非常に多彩である。「たかだか団地の敷地内でそんな大げさな」と思われるかもしれないが以下の画像を見ていくうちにその自然が思った以上に厚みがあることに気がつくだろう。桐ヶ丘団地内の自然には生態系が感じられるような大きさがあるのだ。
考えてみればそれも至極当然だろう。昭和40年代に植樹された街路樹は40年の時を経て大きく成長している。
また、団地住民たちの中には自分の住む居住棟の前をガーデンや畑として手を入れている方も多い。
そういった植物の集中する場所には多くの虫が集まり、その虫を狙って小動物が集まり、更にその小動物を捕食する生き物も集まる。桐ヶ丘団地内ではそんな食物連鎖も日々繰り返されている。
造成されたばかりの団地や公園の自然では見られない深い自然がそこにはある。
桐ヶ丘団地の自然の豊かさを感じてもらえるような画像をいくつかピックアップしておこう。
▽美しい緑
まずは桐ヶ丘団地内に緑がどれだけ多くあるかをつかんでもらうため、団地内にある特に印象的な緑を何枚か。これらの植物があることで桐ヶ丘団地から発せられる雰囲気はとても和み度の高い景観となる。

上は桐ヶ丘団地を南北に分けるバス通り沿いの風景。歩道の左がバス通り、造成された右手上がN区域となる。
自由に成長している植物群が来るものを迎えてくれる。

シュロの木も多く存在する。都営桐ヶ丘団地に限らず都営団地にはシュロが植えられていることが多いように感じる。きっと都市計画(団地造成)のコンセプトに沿って選ばれている植物も多いのだろう。

団地内の車の入ってこない通路にもやはりシュロがある。ある種の南国的開放感のようなものも感じられる。

一方こちらはソメイヨシノ。この個体は桐ヶ丘団地内で一番大きなものでN33号館横にある。
40年もののソメイヨシノはかなり立派である。
なお、この樹の近くには「なかよし公園」と呼ばれる公園があり、その公園にも数本のソメイヨシノが植えられている。もし4月第1週~第2週辺りに桐ヶ丘団地に行くのであればなかよし公園は是非見ておきたいポイントである。





W18号館横にある『オバケアロエ』もみどころのひとつだ。
※下画像ではそのアロエの大きさが分かるように500mlのペットボトルを置いてみた。

また、N54号館の南側ではこんなものまで成長中だ。

なんという種類かは分からないが、食べたいとは思わないタイプの真っ赤なキノコがその存在をアピールしている。
どうだろう、いかに桐ヶ丘団地内の自然に厚みがあるかが少しは伝わっただろうか。
他にも緑に囲まれたこんな駐輪場もある。

団地内部のため車の通りは無い。聴こえてくるのは風の音、木々が風に揺れる音、スズメやカラスなどの鳥、セミなどの虫、蛙など生き物の声といった自然音と、たまに遠くからテレビの音が「アッコに・・・・おまかせ~っ!」と聴こえてくる、そんな空間も特にN区域にはまだまだ多く残っている。
何時間でもそこで休んでいられそうだ。うらやましい環境である。
▽生物ヒエラルキー
これまで見ていただいたように桐ヶ丘団地には多様な緑がある。
そしてその環境は別の生き物のすみかになっている。

そういった昆虫を狙う捕食者。

そしてそれをも狙っているのがネコだ。

多くの団地と同じように桐ヶ丘にもネコは多い。桐ヶ丘の広い敷地では本当によくネコを見かけるのだが、子ネコも多かったので個体数は多分増加傾向にあるのではないかと思う。

たいていのネコの風貌からは半野良、半飼い猫といったイメージを受ける。
人が近づくことはできるが警戒心は強い。一定の距離まで近づくとこちらが観察される。


桐ヶ丘のネコは鳥を襲う程度の野生は残している。
団地の画像を取り残している際にもその狩りの跡が見受けられた。
※下に並ぶ二つの画像はネコに捕食されたハトとスズメの画像です。血は飛び散ったりしていませんが襲われてしまったそのままを画像に収めていますので気分を害する方もいるかと思います。拡大閲覧はご自身の判断で行ってください。

以上のような深みを持つ桐ヶ丘の自然だが、やはり新居住棟の建設などで形がどんどん変わっている。しかたの無いところだ。

▽ミクロ視点からの緑
桐ヶ丘の自然はミクロな視点で鑑賞しても楽しめる。特にコケ類は種類が多く、植物好きならば是非チェックしておきたいところだ。以下にそのバリエーションを残しておく。まだまだこれら以外にも極小視点で見えてくる植物はたくさんある。自分だけのミクロプランツを探してみるのも面白いかもしれない。










いかがだろうか。これが先に「夏休みの自由研究は桐ヶ丘の植物の種類についてでバッチリだ」と書いた理由である。これらの胞子や種子はいったいどこからやってきたのだろうか。
これらの桐ヶ丘の自然を見て、自分の居住環境の周囲にどれくらい植物の種類があるかということを考えると桐ヶ丘団地のそれは桁違いの数になることは間違いない。
● 魅力5 キリガオカガーデニズム
これは上に書いてきた魅力4と通ずる部分も多いのだが、庭のスペースを利用して人為的に植物を育てていることをガーデニズムと定義した。
居住棟によっても差異はあるのだが、庭のスペースで観るための植物や食用に野菜を育てている家庭が多い。そういった人の手の入った植物を庭として楽しめるのも桐ヶ丘団地の魅力と言えよう。
魅力たっぷりのキリガオカガーデンズ(一部ファーム)をいくつかアップする。
▽キリガオカガーデンの一例






もう下のようなガーデンレベルになってくるとラピュタ・ロボットが現れそうな雰囲気さえ漂う。

こういった庭をガーデンとして楽しんでいる形跡も見受けられた。

うらやましい限りである。
▽キリガオカファーム
桐ヶ丘団地には家庭菜園もたくさんあり、それらも和みの対象として十二分に楽しめる。ここでは桐ヶ丘団地内にある畑を『キリガオカファーム(桐ヶ丘農場)』と呼び、その成果をいくつかピックアップする。

「お父さん、ひやむぎゆでるから大葉とってきて。」というお母さんの声が聞こえてきそうだ。


ニンジン畑ではこんなストーリーが展開中。

これが子供に対するものなのか、大人に対するメッセージなのかで見え方ががらりと変わる。いずれにしてもゴミを畑に捨てては駄目だ。そりゃ鬼も出る。

一方キュウリは・・・・


見事な成果である。
画像は無いがキリガオカファームでは他にもナス、ピーマン、カボチャ、メロンなども順調に育っていた。
● 魅力6 居住棟以外の団地内施設
桐ヶ丘アパートの居住棟が魅力的であることは先に述べたが、団地という生活空間には居住棟以外にも多くの建造物や施設、設備が存在する。そういった設備部分も強い個性を持っており、素通りしてしまうのは惜しい魅力を内包している。
魅力6ではそのような設備で気になったものを順にアップしていく。
まず着目するのは公園、集会所、学校などの公共部分だ。
▽学校施設
この桐ヶ丘レポートの第一章『桐ヶ丘レポート【1】 序 都営桐ヶ丘団地の成り立ちとその歴史背景 』のエントリーでも少し触れたが、1975年(昭和50年)を境に桐ヶ丘に住む子供たちは減り続けている。これまで桐ヶ丘団地内に小学校は桐ヶ丘小学校と桐ヶ丘北小学校の2校が存在したが2002年に合併し、現在は桐ヶ丘小学校のあった場所が『桐ヶ丘郷小学校』となっている。(読みは「きりがおかきょう」でも「きりがおかごう」でもなく「きりがおかさと」と読む。『きりさと』の呼び名が定着しているようだ)
(合併に際し、小学校名を桐ヶ丘小学校のままで統合せず「郷」の文字を入れたところに強い意志を感じる。確認をしたわけではないがこの郷の一文字は赤羽郷から取ったものだろう。戦後の混乱期を乗り越えてきた強さを見習ってどんな困難にも立ち向かおうという意味が込められているのだろうか。※赤羽郷についての説明は第一章を参照の事。)

上は2010年7月に取り壊しが始まった(と思われる)桐ヶ丘北小学校だ。

※工事開始は平成22年7月26日からとある
廃校になってから8年が経過し、解体直前の校舎はこのような状態になっていた。


窓の開閉がなくなってしまった校舎には植物が絡みつき、とても東京23区内にある小学校とは思えない空気を作っていた。
桐ヶ丘北小学校周辺を歩いてみると通用口(裏門)辺りにガリバー旅行記の壁画を発見。後日調べたところ、この壁画は校内で行われた壁画イラストコンテストに応募された当時5年生の女子児童のイラストを元に、昭和62年に壁画サイズに描き起こしされたものだそうだ。

校舎がなくなってしまう前に画像に残せて幸いであった。
そうやって小学校の回りをぐるりと歩いてみたが、やはり児童が誰もいない学校の校庭は寂しさをよりいっそう増幅させていた。


どこか山村の学校かと思えてしまうような情景となっていた。
※2010/10/28追記
閉校後の桐ヶ丘北小学校の跡地利用について北区が発表したpdfを見つけた。以下はそのURL。
■北区公式発表 北区役所からのお知らせ
http://www.city.kita.tokyo.jp/docs/digital/057/atts/005710/attachment/attachment.pdf
近年、少子化に伴ってこれまで地域にあった学校が廃校となり、残った施設をそのまま地域交流スペースやスポーツ施設として再利用する動きが盛んになっているが、どうも桐ヶ丘北小学校については当てはまらないようだ。pdf内には北区役所からの発言としてこんな部分がある。
「なお、校舎につきましては、築後42年を経過しており、地域安全の確保の面からも早期に除却することが望ましいと考えています。」
桐ヶ丘北小学校施設は再利用はされず、もともとの所有主である東京都に返還されるようだ。
▽公園、集会所
上記のように団地内の子供の数は減少の一途をたどっている。また、近年子供たちは外で体を使って遊ぶことが少なくなってしまっている。団地内には子供の遊び場としていくつかの公園が設けられているがそれらの公園は無人のことが多く、忘れられたように置いてある遊具からはもの悲しい波動がひしひしと伝わってくる。これはやはり「過去にこの場所は子供たちであふれていたのだろう」という想像が働くからだ。
当時の桐ヶ丘団地の姿を直接見たことのない私でもそういった想像ができるのだから、実際に団地に住んでいた方や、近隣に暮らしていて友達と遊ぶ時に団地内の公園を利用したといった方には尚のこと現在の公園が寂しい状態にあることが伝わるのではないかと思う。
≪桐ヶ丘中央公園(南エリア)≫
桐ヶ丘団地で一番メインの公園がこの桐ヶ丘中央公園である。

現在は主にお年寄りたちの井戸端会議場としての利用がメインであり、週末や夏休みなどの長期休み以外に子供の姿を見かけることは少ない。


上の画像は土曜日の午後2時頃の画像だ。すべり台やブランコなどの遊具はいくつか確認できるが子供の姿は全く無い。かつては子供たちが取り合いをしたであろう動物型の遊具も最近は使われていないような雰囲気を漂わせていた。

なお、北区飛鳥山(あすかやま)の飛鳥山公園には同タイプの遊具が置かれているが、まったく違う人生を歩んでいるようだ。こうなってくるとやはり"兄弟"という表現を使いたくなる。

※この画像は飛鳥山公園に設置されているものです
お世辞にもキレイとは言えないがきちんとペイントされ、なにより今も人が使っている点が決定的に異なっている。鼻の折れたクマがいだくのは、自分の仕事をやり遂げた満足感か、それとも子供と遊べなくなってしまった悲しさだろうか。
≪桐ヶ丘中央公園(北エリア)≫
桐ヶ丘団地を南北に分けるバス通りの北側にも公園は続いている。
昭和40年代にはここで団地主催のヒーローショーなどの催し物も子供たちのために開催していたそうなのだが・・・

現在は公園内で人影を見ることは少ない。今回、このレポートを書くにあたって集めた桐ヶ丘団地関連の資料の中にはこの中央公園に人がぎっしり集まり、楽しそうに遊んでいる写真が確認できる。現在とは大きな違いだ。


設置されている小さなイスも相当なダメージを受けており、ペイントも剥げている。

イスによっては「そういう焼き物の技法かよ」と思ってしまうほどにひび割れダメージが大きい。

※昭和30年代後半から40年代半ばまで桐が丘団地にいらっしゃったnorah-mさんよりコメントをいただきました。このひび割れのイスは多分設置当初からこういう仕上げだったと記憶しており、当時はこれを「お洒落だ」と思っていらっしゃったそうです。貴重なリアルなコメントをありがとうございます。
もともとのこの場所の都市計画コンセプトとは異なっているだろうが、人が少なく子供がはしゃぐ声も無いうえに、緑も多いのでゆったりしたい場合には使える場所である。(ただし初夏から秋にかけて訪れる場合には虫よけスプレーは必須だ)
≪N13号館南側えんばん公園(N地区第三集会所前)≫
N13号館の南にある公園にはUFOを思わせるような遊具がある。このようなモチーフからはやはり高度経済成長の時代に作られた影響が見て取れる。

当時、桐ヶ丘団地に引っ越してきた小学生の男の子がこのUFOを目にしたらそれはさぞテンションが上がったことだろう。なおこの遊具は2種類置かれている。

一方は上のようなティーカップ型(半タマゴ型?)のもの。

もうひとつがUFOのような近未来型である。
この近未来型の遊具のディテールを見ようと、バイキンマンのツノのような形状になっている部分に近付いたところ・・・・


未来っぽい風貌のくせになんともアイデアを生かして作られた遊具である。(笑)
週末にはこの公園で数人の子供の姿を見かけることもあるが、やはりその数は少ない。
※norah-mさんからいただいたコメントによるとこの公園は『えんばん公園』と呼ばれていたそうです。この遊具をUFOに見立てる見方は間違っていないようですね。コメントありがとうございます。
≪N31号館南側なかよし公園(N地区第二集会所前)≫
N31号館南側にある「なかよし公園」は桜の季節には是非見ておきたい公園である。

【魅力4 多様な自然】の部分でも少し触れたがこの公園内には数本のソメイヨシノが植えられており、4月には見事な桜が楽しめる。個人的にはいくつかある桐ヶ丘団地の公園の中でも特に気にいっている公園である。


なお、この亀型遊具も兄弟が飛鳥山公園にいる。

※この画像は飛鳥山公園に設置されているものです

ただそんな公園にも人の姿は無く、亀型と馬型の遊具がポツンと置かれているだけである。
砂場はカチカチに固くなってしまっている。
≪N50号館西側公園(N地区第一集会所横)≫
N地区第一集会所の横にも公園がある。この公園は集会所の建物の雰囲気を含めて楽しめるのではないかと思う。

集会所は平屋建て。その建物と風景との配色が抜群なのだ。
建物の薄いベージュ色を背景に、その屋根の赤と電話ボックス屋根の赤、公衆電話の黄緑と集会所入り口ドア右手の黄緑プレート、自動販売機のブルーと建物側面のブルーの対比。パーフェクトじゃないか!(笑)
漠然と「離島にある公民館」というイメージが浮かんだのだがそれは私だけの感覚だろうか。またこの公園の遊具は他の場所と比べると比較的新しいような印象を受ける。この点も他とは少し違った雰囲気を生み出している一因なのだろう。

近年になって遊具の入れ替え等があったのかもしれない。(ただし近年とは言っても、最低でも15年程度は経過している印象を受けるが。)

中央公園や他の公園では少ないながらもたまに子供の遊ぶ姿を目にするが、この公園で子供の姿を目にしたことはまだ無い。
≪E12号館北側公園(E地区第一集会所横)≫
再開発が進むE区域にも公園がある。

ここにはE地区の第一集会所もある。
この公園の遊具はN13南側公園のUFO遊具とマテリアルの劣化具合が同じくらいであるような印象を受ける。どちらも風化が進んでおり、素材本来の色素もだいぶ飛んでしまっていた。そこから考えると団地造成から比較的早い時期(昭和40年代前半位)に設置されたものではないだろうか。

この公園でひときわ目を引くのが中央にデンと構えるなんともアヴァンギャルドなすべり台遊具である。

大阪万博が行われたのは1970年だが、その頃には「太陽の塔」に象徴されるような一種の岡本太郎ブームのようなものがあったと聞く。この遊具はそういった時代の影響も受けているのであろうか。
※norah-mさんからいただいたコメントによると「このアヴァンギャルドなすべり台は1970年以前から設置されていたように思うが当時のアートの潮流は影響していたかもしれない」とのことです。やはり時代が感じられて良いですね。
以上のように、都営桐ヶ丘団地は居住棟以外の部分にもたくさんの魅力を持っている。居住棟だけでなく、その周囲にある環境全てが絡みあって魅力を作り出しているのだ。
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以上が桐ヶ丘魅力考・魅力4~6となる。
次回エントリーからは都営桐ヶ丘団地がいかに長い歴史を持っているかが伝わるような魅力をまとめていく。
※2010/10/03桐ヶ丘レポートにいただいたコメントを元にいくつかの情報を追記

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桐ヶ丘レポート【1】 序 都営桐ヶ丘団地の成り立ちとその歴史背景
桐ヶ丘レポート【2】 桐ヶ丘魅力考・魅力1~3
があります。
魅力3にてご覧いただいたように桐ヶ丘アパートの旧来の住棟はとても魅力にあふれている。
それら住棟群は団地内にあふれる緑と融合し、ここ桐ヶ丘だけの風景を作ってくれている。
続く魅力4と5ではそれら自然について、魅力6では住棟以外の団地内施設・設備についてまとめていく。
● 魅力4 多様な自然(動植物)の存在
桐ヶ丘団地には豊かな自然があふれている。
春は梅や桜、また様々な芽吹きが、夏は深く濃い緑と青い空が、秋には枯れ葉と夕日のオレンジのコントラストなどが来る者を迎えてくれるだろう。(緑に関してはさすがに冬場はあまり期待できない。針葉樹の緑などもあるが、緑を楽しみたいのであれば別のシーズンを狙いたい。)
桐ヶ丘団地のそれら自然は非常に多彩である。「たかだか団地の敷地内でそんな大げさな」と思われるかもしれないが以下の画像を見ていくうちにその自然が思った以上に厚みがあることに気がつくだろう。桐ヶ丘団地内の自然には生態系が感じられるような大きさがあるのだ。
考えてみればそれも至極当然だろう。昭和40年代に植樹された街路樹は40年の時を経て大きく成長している。
また、団地住民たちの中には自分の住む居住棟の前をガーデンや畑として手を入れている方も多い。
そういった植物の集中する場所には多くの虫が集まり、その虫を狙って小動物が集まり、更にその小動物を捕食する生き物も集まる。桐ヶ丘団地内ではそんな食物連鎖も日々繰り返されている。
造成されたばかりの団地や公園の自然では見られない深い自然がそこにはある。
桐ヶ丘団地の自然の豊かさを感じてもらえるような画像をいくつかピックアップしておこう。
▽美しい緑
まずは桐ヶ丘団地内に緑がどれだけ多くあるかをつかんでもらうため、団地内にある特に印象的な緑を何枚か。これらの植物があることで桐ヶ丘団地から発せられる雰囲気はとても和み度の高い景観となる。
上は桐ヶ丘団地を南北に分けるバス通り沿いの風景。歩道の左がバス通り、造成された右手上がN区域となる。
自由に成長している植物群が来るものを迎えてくれる。
シュロの木も多く存在する。都営桐ヶ丘団地に限らず都営団地にはシュロが植えられていることが多いように感じる。きっと都市計画(団地造成)のコンセプトに沿って選ばれている植物も多いのだろう。
団地内の車の入ってこない通路にもやはりシュロがある。ある種の南国的開放感のようなものも感じられる。
一方こちらはソメイヨシノ。この個体は桐ヶ丘団地内で一番大きなものでN33号館横にある。
40年もののソメイヨシノはかなり立派である。
なお、この樹の近くには「なかよし公園」と呼ばれる公園があり、その公園にも数本のソメイヨシノが植えられている。もし4月第1週~第2週辺りに桐ヶ丘団地に行くのであればなかよし公園は是非見ておきたいポイントである。
W18号館横にある『オバケアロエ』もみどころのひとつだ。
※下画像ではそのアロエの大きさが分かるように500mlのペットボトルを置いてみた。
また、N54号館の南側ではこんなものまで成長中だ。
なんという種類かは分からないが、食べたいとは思わないタイプの真っ赤なキノコがその存在をアピールしている。
どうだろう、いかに桐ヶ丘団地内の自然に厚みがあるかが少しは伝わっただろうか。
他にも緑に囲まれたこんな駐輪場もある。
団地内部のため車の通りは無い。聴こえてくるのは風の音、木々が風に揺れる音、スズメやカラスなどの鳥、セミなどの虫、蛙など生き物の声といった自然音と、たまに遠くからテレビの音が「アッコに・・・・おまかせ~っ!」と聴こえてくる、そんな空間も特にN区域にはまだまだ多く残っている。
何時間でもそこで休んでいられそうだ。うらやましい環境である。
▽生物ヒエラルキー
これまで見ていただいたように桐ヶ丘団地には多様な緑がある。
そしてその環境は別の生き物のすみかになっている。
そういった昆虫を狙う捕食者。
そしてそれをも狙っているのがネコだ。
多くの団地と同じように桐ヶ丘にもネコは多い。桐ヶ丘の広い敷地では本当によくネコを見かけるのだが、子ネコも多かったので個体数は多分増加傾向にあるのではないかと思う。
たいていのネコの風貌からは半野良、半飼い猫といったイメージを受ける。
人が近づくことはできるが警戒心は強い。一定の距離まで近づくとこちらが観察される。
桐ヶ丘のネコは鳥を襲う程度の野生は残している。
団地の画像を取り残している際にもその狩りの跡が見受けられた。
※下に並ぶ二つの画像はネコに捕食されたハトとスズメの画像です。血は飛び散ったりしていませんが襲われてしまったそのままを画像に収めていますので気分を害する方もいるかと思います。拡大閲覧はご自身の判断で行ってください。
以上のような深みを持つ桐ヶ丘の自然だが、やはり新居住棟の建設などで形がどんどん変わっている。しかたの無いところだ。
▽ミクロ視点からの緑
桐ヶ丘の自然はミクロな視点で鑑賞しても楽しめる。特にコケ類は種類が多く、植物好きならば是非チェックしておきたいところだ。以下にそのバリエーションを残しておく。まだまだこれら以外にも極小視点で見えてくる植物はたくさんある。自分だけのミクロプランツを探してみるのも面白いかもしれない。
いかがだろうか。これが先に「夏休みの自由研究は桐ヶ丘の植物の種類についてでバッチリだ」と書いた理由である。これらの胞子や種子はいったいどこからやってきたのだろうか。
これらの桐ヶ丘の自然を見て、自分の居住環境の周囲にどれくらい植物の種類があるかということを考えると桐ヶ丘団地のそれは桁違いの数になることは間違いない。
● 魅力5 キリガオカガーデニズム
これは上に書いてきた魅力4と通ずる部分も多いのだが、庭のスペースを利用して人為的に植物を育てていることをガーデニズムと定義した。
居住棟によっても差異はあるのだが、庭のスペースで観るための植物や食用に野菜を育てている家庭が多い。そういった人の手の入った植物を庭として楽しめるのも桐ヶ丘団地の魅力と言えよう。
魅力たっぷりのキリガオカガーデンズ(一部ファーム)をいくつかアップする。
▽キリガオカガーデンの一例
もう下のようなガーデンレベルになってくるとラピュタ・ロボットが現れそうな雰囲気さえ漂う。
こういった庭をガーデンとして楽しんでいる形跡も見受けられた。
うらやましい限りである。
▽キリガオカファーム
桐ヶ丘団地には家庭菜園もたくさんあり、それらも和みの対象として十二分に楽しめる。ここでは桐ヶ丘団地内にある畑を『キリガオカファーム(桐ヶ丘農場)』と呼び、その成果をいくつかピックアップする。
「お父さん、ひやむぎゆでるから大葉とってきて。」というお母さんの声が聞こえてきそうだ。
ニンジン畑ではこんなストーリーが展開中。
これが子供に対するものなのか、大人に対するメッセージなのかで見え方ががらりと変わる。いずれにしてもゴミを畑に捨てては駄目だ。そりゃ鬼も出る。
一方キュウリは・・・・
見事な成果である。
画像は無いがキリガオカファームでは他にもナス、ピーマン、カボチャ、メロンなども順調に育っていた。
● 魅力6 居住棟以外の団地内施設
桐ヶ丘アパートの居住棟が魅力的であることは先に述べたが、団地という生活空間には居住棟以外にも多くの建造物や施設、設備が存在する。そういった設備部分も強い個性を持っており、素通りしてしまうのは惜しい魅力を内包している。
魅力6ではそのような設備で気になったものを順にアップしていく。
まず着目するのは公園、集会所、学校などの公共部分だ。
▽学校施設
この桐ヶ丘レポートの第一章『桐ヶ丘レポート【1】 序 都営桐ヶ丘団地の成り立ちとその歴史背景 』のエントリーでも少し触れたが、1975年(昭和50年)を境に桐ヶ丘に住む子供たちは減り続けている。これまで桐ヶ丘団地内に小学校は桐ヶ丘小学校と桐ヶ丘北小学校の2校が存在したが2002年に合併し、現在は桐ヶ丘小学校のあった場所が『桐ヶ丘郷小学校』となっている。(読みは「きりがおかきょう」でも「きりがおかごう」でもなく「きりがおかさと」と読む。『きりさと』の呼び名が定着しているようだ)
(合併に際し、小学校名を桐ヶ丘小学校のままで統合せず「郷」の文字を入れたところに強い意志を感じる。確認をしたわけではないがこの郷の一文字は赤羽郷から取ったものだろう。戦後の混乱期を乗り越えてきた強さを見習ってどんな困難にも立ち向かおうという意味が込められているのだろうか。※赤羽郷についての説明は第一章を参照の事。)
上は2010年7月に取り壊しが始まった(と思われる)桐ヶ丘北小学校だ。
※工事開始は平成22年7月26日からとある
廃校になってから8年が経過し、解体直前の校舎はこのような状態になっていた。
窓の開閉がなくなってしまった校舎には植物が絡みつき、とても東京23区内にある小学校とは思えない空気を作っていた。
桐ヶ丘北小学校周辺を歩いてみると通用口(裏門)辺りにガリバー旅行記の壁画を発見。後日調べたところ、この壁画は校内で行われた壁画イラストコンテストに応募された当時5年生の女子児童のイラストを元に、昭和62年に壁画サイズに描き起こしされたものだそうだ。
校舎がなくなってしまう前に画像に残せて幸いであった。
そうやって小学校の回りをぐるりと歩いてみたが、やはり児童が誰もいない学校の校庭は寂しさをよりいっそう増幅させていた。
どこか山村の学校かと思えてしまうような情景となっていた。
※2010/10/28追記
閉校後の桐ヶ丘北小学校の跡地利用について北区が発表したpdfを見つけた。以下はそのURL。
■北区公式発表 北区役所からのお知らせ
http://www.city.kita.tokyo.jp/docs/digital/057/atts/005710/attachment/attachment.pdf
近年、少子化に伴ってこれまで地域にあった学校が廃校となり、残った施設をそのまま地域交流スペースやスポーツ施設として再利用する動きが盛んになっているが、どうも桐ヶ丘北小学校については当てはまらないようだ。pdf内には北区役所からの発言としてこんな部分がある。
「なお、校舎につきましては、築後42年を経過しており、地域安全の確保の面からも早期に除却することが望ましいと考えています。」
桐ヶ丘北小学校施設は再利用はされず、もともとの所有主である東京都に返還されるようだ。
▽公園、集会所
上記のように団地内の子供の数は減少の一途をたどっている。また、近年子供たちは外で体を使って遊ぶことが少なくなってしまっている。団地内には子供の遊び場としていくつかの公園が設けられているがそれらの公園は無人のことが多く、忘れられたように置いてある遊具からはもの悲しい波動がひしひしと伝わってくる。これはやはり「過去にこの場所は子供たちであふれていたのだろう」という想像が働くからだ。
当時の桐ヶ丘団地の姿を直接見たことのない私でもそういった想像ができるのだから、実際に団地に住んでいた方や、近隣に暮らしていて友達と遊ぶ時に団地内の公園を利用したといった方には尚のこと現在の公園が寂しい状態にあることが伝わるのではないかと思う。
≪桐ヶ丘中央公園(南エリア)≫
桐ヶ丘団地で一番メインの公園がこの桐ヶ丘中央公園である。
現在は主にお年寄りたちの井戸端会議場としての利用がメインであり、週末や夏休みなどの長期休み以外に子供の姿を見かけることは少ない。
上の画像は土曜日の午後2時頃の画像だ。すべり台やブランコなどの遊具はいくつか確認できるが子供の姿は全く無い。かつては子供たちが取り合いをしたであろう動物型の遊具も最近は使われていないような雰囲気を漂わせていた。
なお、北区飛鳥山(あすかやま)の飛鳥山公園には同タイプの遊具が置かれているが、まったく違う人生を歩んでいるようだ。こうなってくるとやはり"兄弟"という表現を使いたくなる。
※この画像は飛鳥山公園に設置されているものです
お世辞にもキレイとは言えないがきちんとペイントされ、なにより今も人が使っている点が決定的に異なっている。鼻の折れたクマがいだくのは、自分の仕事をやり遂げた満足感か、それとも子供と遊べなくなってしまった悲しさだろうか。
≪桐ヶ丘中央公園(北エリア)≫
桐ヶ丘団地を南北に分けるバス通りの北側にも公園は続いている。
昭和40年代にはここで団地主催のヒーローショーなどの催し物も子供たちのために開催していたそうなのだが・・・
現在は公園内で人影を見ることは少ない。今回、このレポートを書くにあたって集めた桐ヶ丘団地関連の資料の中にはこの中央公園に人がぎっしり集まり、楽しそうに遊んでいる写真が確認できる。現在とは大きな違いだ。
設置されている小さなイスも相当なダメージを受けており、ペイントも剥げている。
イスによっては「そういう焼き物の技法かよ」と思ってしまうほどにひび割れダメージが大きい。
※昭和30年代後半から40年代半ばまで桐が丘団地にいらっしゃったnorah-mさんよりコメントをいただきました。このひび割れのイスは多分設置当初からこういう仕上げだったと記憶しており、当時はこれを「お洒落だ」と思っていらっしゃったそうです。貴重なリアルなコメントをありがとうございます。
もともとのこの場所の都市計画コンセプトとは異なっているだろうが、人が少なく子供がはしゃぐ声も無いうえに、緑も多いのでゆったりしたい場合には使える場所である。(ただし初夏から秋にかけて訪れる場合には虫よけスプレーは必須だ)
≪N13号館南側えんばん公園(N地区第三集会所前)≫
N13号館の南にある公園にはUFOを思わせるような遊具がある。このようなモチーフからはやはり高度経済成長の時代に作られた影響が見て取れる。
当時、桐ヶ丘団地に引っ越してきた小学生の男の子がこのUFOを目にしたらそれはさぞテンションが上がったことだろう。なおこの遊具は2種類置かれている。
一方は上のようなティーカップ型(半タマゴ型?)のもの。
もうひとつがUFOのような近未来型である。
この近未来型の遊具のディテールを見ようと、バイキンマンのツノのような形状になっている部分に近付いたところ・・・・
未来っぽい風貌のくせになんともアイデアを生かして作られた遊具である。(笑)
週末にはこの公園で数人の子供の姿を見かけることもあるが、やはりその数は少ない。
※norah-mさんからいただいたコメントによるとこの公園は『えんばん公園』と呼ばれていたそうです。この遊具をUFOに見立てる見方は間違っていないようですね。コメントありがとうございます。
≪N31号館南側なかよし公園(N地区第二集会所前)≫
N31号館南側にある「なかよし公園」は桜の季節には是非見ておきたい公園である。
【魅力4 多様な自然】の部分でも少し触れたがこの公園内には数本のソメイヨシノが植えられており、4月には見事な桜が楽しめる。個人的にはいくつかある桐ヶ丘団地の公園の中でも特に気にいっている公園である。
なお、この亀型遊具も兄弟が飛鳥山公園にいる。
※この画像は飛鳥山公園に設置されているものです
ただそんな公園にも人の姿は無く、亀型と馬型の遊具がポツンと置かれているだけである。
砂場はカチカチに固くなってしまっている。
≪N50号館西側公園(N地区第一集会所横)≫
N地区第一集会所の横にも公園がある。この公園は集会所の建物の雰囲気を含めて楽しめるのではないかと思う。
集会所は平屋建て。その建物と風景との配色が抜群なのだ。
建物の薄いベージュ色を背景に、その屋根の赤と電話ボックス屋根の赤、公衆電話の黄緑と集会所入り口ドア右手の黄緑プレート、自動販売機のブルーと建物側面のブルーの対比。パーフェクトじゃないか!(笑)
漠然と「離島にある公民館」というイメージが浮かんだのだがそれは私だけの感覚だろうか。またこの公園の遊具は他の場所と比べると比較的新しいような印象を受ける。この点も他とは少し違った雰囲気を生み出している一因なのだろう。
近年になって遊具の入れ替え等があったのかもしれない。(ただし近年とは言っても、最低でも15年程度は経過している印象を受けるが。)
中央公園や他の公園では少ないながらもたまに子供の遊ぶ姿を目にするが、この公園で子供の姿を目にしたことはまだ無い。
≪E12号館北側公園(E地区第一集会所横)≫
再開発が進むE区域にも公園がある。
ここにはE地区の第一集会所もある。
この公園の遊具はN13南側公園のUFO遊具とマテリアルの劣化具合が同じくらいであるような印象を受ける。どちらも風化が進んでおり、素材本来の色素もだいぶ飛んでしまっていた。そこから考えると団地造成から比較的早い時期(昭和40年代前半位)に設置されたものではないだろうか。
この公園でひときわ目を引くのが中央にデンと構えるなんともアヴァンギャルドなすべり台遊具である。
大阪万博が行われたのは1970年だが、その頃には「太陽の塔」に象徴されるような一種の岡本太郎ブームのようなものがあったと聞く。この遊具はそういった時代の影響も受けているのであろうか。
※norah-mさんからいただいたコメントによると「このアヴァンギャルドなすべり台は1970年以前から設置されていたように思うが当時のアートの潮流は影響していたかもしれない」とのことです。やはり時代が感じられて良いですね。
以上のように、都営桐ヶ丘団地は居住棟以外の部分にもたくさんの魅力を持っている。居住棟だけでなく、その周囲にある環境全てが絡みあって魅力を作り出しているのだ。
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以上が桐ヶ丘魅力考・魅力4~6となる。
次回エントリーからは都営桐ヶ丘団地がいかに長い歴史を持っているかが伝わるような魅力をまとめていく。
※2010/10/03桐ヶ丘レポートにいただいたコメントを元にいくつかの情報を追記
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