遠ざかっていく光を見て黒慈ユウラの記憶に何か、ノイズが走る。
伸ばした手が黒くゴツゴツした人ではない手に重なる。下に広がる闇が、煮えたぎるマグマと重なる。共に落ちた巨大な四足の獣が巨大な芋虫と重なる。
この記憶は何だ?これは、俺は───
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週の始まり、月曜日。昨日までの休日を思い返し憂鬱になる者が多く出る曜日。黒慈ユウラとて、憂鬱とは言わないが面倒だとは思っていた。
くぁ、と欠伸をして教室のドアを開ける。始業チャイムギリギリで登校したため既にクラスメート全員がそろっており男子生徒の大半から舌打ちやら睨みやらを頂戴する。女子生徒も友好的な表情をする者はいない。無関心ならまだいい方で、あからさまに侮蔑の表情を向ける者もいる。
が、これっぽちも気にする事なく席に向かう。
「黒慈くん、おはよう!今日もギリギリだね。もっと早く来ようよ」
と、一人の女子生徒がユウラの目の前に現れる。
名を
いつも微笑の絶えない彼女は、非常に面倒見がよく責任感も強いため学年を問わずよく頼られる。それを嫌な顔一つせず真摯に受け止めるのだから高校生とは思えない懐の深さだ。
「断る」
「またそんなこと言って~」
ユウラの言葉にもう、と頬を膨らませる香織。彼女はユウラに良く構う。授業中基本的に寝ているユウラは不真面目な生徒と思われており、生来の面倒見のよさから香織が気に掛けていると思われている。いや、思っていたいが正しいのだろうか?
因みに成績は何時もトップである。
これで、ユウラの授業態度が改善したなら香織が構うのも許容できるのかもしれないが、ユウラは態度改善などこれっぽちもしない。イケメンかと問われると長身痩躯に加え非常に整った顔立ちをしているが暴力事件などを良く聞くのでマイナス。危ない雰囲気が良いという者達も多くいるが女神などと呼ばれる香織の隣に立つとなると良い顔をする者はいない。
そんなユウラが香織と親しくできることが、男子生徒達には我慢ならないのだ。『なぜ、アイツだけ!』と。女子生徒は単純に、香織に面倒を掛けていることと、なお改善しようとしないことに不快さを感じているようだ。
「ほらまた寝癖ついてる」
180を超えるユウラの頭に必死に手を伸ばす。ユウラが席につき漸く髪に触れる。周りから殺気が放たれるが香織は気付かずユウラは気にせず机に突っ伏す。
髪に触れさせてもらえることから嫌われてはいないのだろうと再認識した香織は嬉しそうに櫛を取り出し切るのも面倒だと伸ばされた艶のある黒髪をとかしていく。
「黒慈くん、おはよう。毎日大変ね」
「香織、また彼の世話を焼いているのか?全く、本当に香織は優しいな」
「全くだぜ、そんなやる気ないヤツにゃあ何を言っても無駄と思うけどなぁ」
ニコニコ笑っている香織と机に突っ伏したユウラに三人の男女が近付く。香織の親友達だ。
三人の中で唯一朝の挨拶をした女子生徒の名前は
次に、些か臭いセリフで香織に声を掛けたのが
最後に投げやり気味な言動の男子生徒は
龍太郎は机に突っ伏したままのやる気というモノを感じないユウラを見てふん、と鼻を鳴らし、光輝は大変だね、とでも言うように香織を見る。
「黒慈、いい加減にその態度直すべきじゃないか?いつまでも香織の優しさに甘えるのはどうかと思うよ。香織だって君に構ってばかりはいられないんだから」
「え?私は黒慈くんに構っていたいけど?」
「え?……ああ、ホント、香織は優しいよな」
どうやら光輝の中で香織の発言はユウラに気を遣ったと解釈されたようだ。完璧超人なのだが、そのせいか少々自分の正しさを疑わなさ過ぎるという欠点がある。もっとも彼のファンからすれば彼が黒と言えば白でも黒なので質が悪いが。
「……ごめんなさいね? 二人共悪気はないのだけど……」
この場で最も人間関係や各人の心情を把握している雫が、こっそりユウラに謝罪する。が、何の反応もない。
「?………寝てる」
ユウラは寝ていた。つまり光輝の話など全く、これっぽちも、一文字たりとも聞いていなかった。
「黒慈くん、黒慈く~ん?もうお昼だよ」
「ん?ああ……」
ユサユサ揺さぶられユウラが目を覚ます。振り向けばニコニコ笑う香織の姿が。ユウラは長い体を後ろに反らしボキボキと音を立てる。
「ありがとな、昼飯抜けるとこだった」
「どういたしまして……ねえ、黒慈くんっていっつも学食だよね?よかったら作ってこよっか?味はいいと思うよ。食べてみる?」
と、弁当箱を開ける香織。香織曰わく料理の練習になるからとのこと。
周りから敵意が集まるがやはり気にしないユウラ。と、敵意のうち一つがユウラに近づく。
「香織。こっちで一緒に食べよう。黒慈はまだ寝足りないみたいだしさ。せっかくの香織の美味しい手料理を寝ぼけたまま食べるなんて俺が許さないよ?」
爽やかに笑いながら気障なセリフを吐く光輝にキョトンとする香織。少々鈍感というか天然が入っている彼女には、光輝のイケメンスマイルやセリフも効果がないようだ。
「え?なんで光輝くんの許しがいるの?」
素で聞き返す香織に思わず雫が「ブフッ」と吹き出した。光輝は困ったように笑いながらあれこれ話しているが、結局、ユウラの席に学校一有名な四人組と学校一有名な不良のユウラが集まっている事実に変わりはなく視線の圧力は弱まらない。
「ん?そいつってアホ女、お前の彼氏何じゃねーの?なら許しはいるだろ?」
「相変わらず名前で呼んでくれないんだねぇ。それと光輝くんは彼氏じゃないよ。って、どうしたの?」
「いや………」
ものすごくドロリとした殺気を感じ周囲を見回すユウラ。そんなユウラを見て首を傾げる香織。
ゾクッとした。怖い訳じゃないが、気持ち悪い。ゴキブリで満ちたプールでも覗き込んでしまったかのような不快感に襲われたユウラは眼鏡の女子を睨みつけ、直ぐにどうでも良くなったのか目を逸らした。
「あ、それで食べる?」
「量が少ねぇから良い。それと俺はヘルシーは好かない」
「そっか。あ、じゃあ明日からガッツリしたの作ってくるね!そしたら食べてくれる?」
「おい………雫だったか?アホ女の飯は美味いのか?」
「ひょっとして香織が呼んでた名前でしか覚えてない?まあ良いけど……ええ、美味しいわよ。とってもね」
「ならたの───あん?」
と、ユウラは足元を見る。
光輝の足元に純白に光り輝く円環と幾何学模様が現れたからだ。その異常事態には直ぐに周りの生徒達も気がついた。全員が金縛りにでもあったかのように輝く紋様、俗に言う魔法陣らしきものを注視する。
その魔法陣は徐々に輝きを増していき、一気に教室全体を満たすほどの大きさに拡大した。
自分の足元まで異常が迫って来たことで、ようやく硬直が解け悲鳴を上げる生徒達。未だ教室にいた愛子先生が咄嗟に「皆! 教室から出て!」と叫んだのと、魔法陣の輝きが爆発したようにカッと光ったのは同時だった。
数秒か、数分か、光によって真っ白に塗りつぶされた教室が再び色を取り戻す頃、そこには既に誰もいなかった。蹴倒された椅子に、食べかけのまま開かれた弁当、散乱する箸やペットボトル、教室の備品はそのままにそこにいた人間だけが姿を消していた。
この事件は、白昼の高校で起きた集団神隠しとして、大いに世間を騒がせるのだが、それはまた別の話。