世間から、ズルいと言われたくない女性の心理
鈴木 子ども預けるのに抵抗感があるとか、まわりから何か言われるとか、そもそも費用がすごくかかるとか、そういうことで、もうワーママやめようかな、と思っている人は、結構いると思います。専業主婦がしあわせかどうかより、ワーママが報われないというか。
橘 リベラルな社会の原則は、「他人に迷惑をかけないのなら、自分のお金で何をしようとその人の勝手」ということです。日本の社会はなぜかこのシンプルな理屈を許容しないのですが、それが私にはものすごく不思議です。
都市部では共働きで世帯年収が1500万とか2000万円の家庭もそれほど珍しくないと思いますが、だったら乳母でも住み込みのメイドでも雇えばいいし、それは個人の自由な選択なんだから他人があれこれいう話じゃないですよね。でもこれは日本だけのことではなくて、フェイス・ブックのCOO、シェリル・サンドバーグは1000億円の資産を持っているのに髪振り乱して自分で子育てをして、その経験を書いた本(『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』)が世界的なベストセラーになりました。あれって女性を元気づけるというより、逆効果になった気がしますけど。
鈴木 そうですね。
橘 1000億円もあるんだったら、育児なんてぜんぶアウトソースして、子どもの運動会とか楽しいことだけやればいいじゃないですか。そういう選択が道徳的に許されないというのは、欧米先進国のある種の頑なさと日本社会の男性中心主義的な文化の不幸な融合で、そこに女性が縛られて選択肢がなくなっているということではないでしょうか。
鈴木 なるほど。
橘 べったり母親業をやりたい人はそうすればいいし、やりたくない人は家事・育児をすべてアウトソースしても、それはその人の自由な人生。こういうリベラルの原則を受けつけないことが、日本の女性を苦しめてるのかなと思います。
鈴木 そうですね。なんかこう、自分は苦労はしてるけど、その分、あの人にここが勝ってるっていう、ぎりぎりのところで納得するみたいなところが女性にはあるかもしれませんね。働いてて、家事からも多少、自由で、子どもまでいるってなると、それこそ全てを手に入れてる感じがすごくずるい! みたいに人の感情を刺激するのかなっていうふうに思ったりはします。なんかやっぱり、ずるいっていうのが、抵抗があるのかもしれない。平等主義な教育を受けてきたので、一番のたたかれる原因って、「ずるい」みたいなところにあったりする。
橘 家事・育児を妻に丸投げしている男には、そのあたりはわからないと思います。
鈴木 多分、シェリル・サンドバーグも、やっぱりずるいって言われるからですよ。お金持ってるにしたって、私たちはできないのに、なんでそんなことをやるのみたいな。そしたらもう結局、社会的に発言できなくなってしまう。トランプの奥さんだったら誰も何とも思わない、いや、そういう女でしょみたいな。そういう女にはなりたくなくて、社会的に発言したり活躍しようと思ったら、髪振り乱して子育てをやんなきゃいけないっていう。確かにそういうのがありますよ。それは結構、やっぱり母親はつらいなって感じですよね。どうしていいか分かんないですよね。何をやってもたたかれる。
なんか、結局、これをやったら心証が悪いとか、これをやったら姑に批判されるとか、これをやったら世間がずるいってたたくとかっていうので消去していくと、選択肢はすごく狭まる、結局、自分が黙って睡眠時間を削って、家でも働くしかないみたいな。
橘 香港やシンガポールに知り合いがいますけど、どんな家庭にも住み込みのナニー(家政婦)がいて家事・育児を任せている。日本ではそれをすべて妻一人でやっていると説明すると、ものすごくびっくりされます。
鈴木 私は小5と小6だけ英国の小学校に行ってるんですけど、基本的にみんな、家にオペアがいたんですよ。家事をいろいろやってもらう代わりに、非常に安いお金で、子どもの面倒を見たり、留守番とかしてくれるオペアっていう住み込みの留学生。私が割と仲良かった家は、お父さん、弁護士で富裕層だったけど、ナニー2人にオペア2人いたんですよ。子ども、2人しかいないのに。だから、お母さんがしたいことをカットしなきゃいけないっていうことはまず絶対ない。別にオペアたちが全員、言うことをきくわけじゃないけど、でもいるということだけである程度のことは、大体、解決されるみたいな。
橘 それはなかなかいい制度ですね。
鈴木 イギリスにはオペアはいたけど、日本には少なくともいないだろうなっていう感じ。新聞社の先輩が、すごく高いお金で保育園に入れて、ベビーシッター、月に20万ぐらい払っててとか言う。しかもそれだけお金使っても、子どもは見てくれるけど、家事のフルカバーは別にしてくれるわけじゃないから、朝、5時に起きて、会社に来る前に旦那と子どものご飯を2食分ぐらい作ってから来る。こういう選択はあまりしたくないですよね。よっぽどなにか、ものすごく野望とか強い信念がなかったら。大抵の人はそんなにはないから、幸福になる選択肢と思いにくい。
橘 やっぱり日本の子育てがおかしいんだと思います。「母親に過重な負担をかける方が子どもが幸福になる」みたいな話になっていますが、これはかんぜんな幻想で、そんな証拠(エビデンス)はどこにもありません。
鈴木 私はずっと子どもいないまま36年間きてますけど、どんどん周りに子どもはできている。そうすると、一緒にご飯も食べに行けなくなるし、いつも仕事をしてた人だったら仕事を頼めなくなるし、旅行ももちろんできなくなるけれど、そういう自己犠牲を美とするところが、すごくある気がします。
すべてを手に入れたってしあわせなわけじゃない
橘 ずるいと言われないためには……。
鈴木 日本だと、自分の母親に頼むことだけしか認められないですね。それだって、実家が近所にあれば何とかなるけど、そうじゃなかったらみんな、ひどいことに。だから本当は、おばあちゃんが面倒みてくれるだけでずるいんですけどね。うちは母親死んでるから、子どもいたって、見てもらえないだろうなと思うと。
橘 たしかに、私の知り合いで共働きでうまくやっているのは、ほとんどが妻の実家が東京にあって、その近くに家を借りて、困ったときはいつでも頼めるというケースです。
子どもを産んでもロクなことはない
鈴木 シングルマザーだったら、もっと本当に大変だし。でも実は、シングルマザーじゃなくても、働いて子どもがいるっていうだけでかなり、引っ詰め髪で、なんか「母さんはいいから、おまえ、早くお食べ」みたいなイメージがどうしてもぬぐえないなっていう。
橘 母親と子どもが家のなかで一対一で隔離されたら、そうなるしかないですよね。シングルマザーだけでなく、専業主婦もそういうことになりがちな気がしますが。
鈴木 そのとおりですね。
橘 少子化少子化ってみんな騒ぐけれど、突き止めれば「子どもを産んでもろくなことはない」という強烈なメッセージを社会全体が送っているということですよね。
鈴木 だから、働きたいなら子どもを諦め、子どもを産むならキャリアを諦めろ。確かに昔に比べれば、超バリキャリやってる人は評価される世の中になったかもしれないけど、でも、それ、例えば大きい会社で部長になっている女性、子どもいない人がやっぱり多いし。
橘 そうですね。
鈴木 私がいた新聞社でも、2014年ぐらいに、初の女性部長になった方がいたんですが、その人に至ってはなんか、処女なんじゃないかと思いたくなるような。超ショートカットで、結婚してない、子どもいない、毎日、同じ格好してる、みたいな。もちろん男性の部長だって、全員、できる人もいればできない人もいるけど、女の出世の選択肢が、全てを諦める姿しかなかったりすると、なんか違う気がする。どんなに原則的には女性が評価されるとか、仕事上の差別がなくても、家庭内の男女の差別がずっと残っていたら、もうほぼ無理だなと。
橘 そういう新聞社が、「女性が活躍する社会をつくろう」みたいなことを社説で書いている。だったら社内にたくさんいるはずのイクメン男性社員とか、共働きできらきら輝いている女性社員を、どんどん紙面に登場させればいいんですよ。
鈴木 そうですよね、女性面の部長になった女性もいたらしいんだけど、その人も、一回若いときに結婚して、子どもいなくて、バツイチで、もう仕事に全てをささげますみたいな。尊敬はしますけど、なりたいかっていうと別なんですよ。
橘 新聞社だけでなくテレビ局や出版社も含め、メディアは全部そういう状態だと思います。でもさらに恐ろしいのは、「それでもほかに比べればまだマシ」ということなんですが。
鈴木 女性活躍社会が想定してるような職場なんかほぼないし、そういう女性になりたいと思える要素がすごく少ない。逆をいえば、専業主婦の世界は、知らないだけに、ほとんどファンタジー。結局、頭の中に膨らんでいく専業主婦の姿にこっちの現実は勝てないな、と思う。で、専業主婦の世界の経済的な現実を書いたのが、橘さんの『2億円と専業主婦』だと思ってます。で、こっちも、悲惨だってなると、ほとんど行くところがなくなっちゃうねって感じ。
オンナのしあわせはどこにある!?
第3回に続く。
橘玲(たちばな・あきら)
作家。1959年生まれ。2002年国際金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部を超えるベストセラー、『言ってはいけない 残酷過ぎる真実』(新潮新書)が45万部を超え、新書大賞2017に。『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)など著書多数。
鈴木涼美(すずき・すずみ)
1983年、東京生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京大学大学院学際情報学府の修士課程を修了。専攻は社会学。2009年から日本経済新聞社に5年間勤めたあと退職、作家デビュー。その他の著書に『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』(幻冬舎)、最新刊は『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(講談社)