――日本のアニメには、見ている人が自分自身の人生と重ねて入り込める、共有できるストーリーが多いと、海外のアニメファンの多くが言っていた。だからこそ、国籍に関係なく、様々な国で受け入れられるのではないでしょうか。
えっとね、違うかもしれないんだけども、ある意味、日本のアニメーションがティーンエージャーより上の世代に向けて特化していった、対象年齢を特化していった結果だと思うんですよ。例えば、ピクサーなどはまだ子供のために見せるという使命が残っていますよね。日本はもうないですよ。
それはね、逆に言うと、そこが穴場なんです。「我々の世代に向けて語ってくれるメディアってない」と、ティーンエージャーや20代前半の人が思うわけです。ところが、いわゆる思春期ですね。いま後期思春期って40代まで含まれるんです。世界的に! そこまでの人が「これは自分のことだ」と思い、日本のアニメの主人公がみんな高校生なのに、あれを自分のことだと思い込んじゃうんです。これは実は、大丈夫なのかって思わなければいけないことです。
――大丈夫と思わなければいけない?
思わなければいけない! 例えば、国際アニメーション映画祭に行くじゃないですか。僕も審査員を海外でやったことがあるんですけど、「日本のアニメは面白いね」と言っていた審査員が、「だけど賞はやれない」「みんな同じでしょ」と言うんです。
海外のアニメーションの主流というのは、例えば『フナン(FUNAN)』(2018年仏アヌシー国際アニメーション映画祭長編グランプリ受賞)というフランスの映画。デニス・ドゥというカンボジア系の監督ですけど、ポル・ポト時代のことを描いています。また、アイルランドのノラ・トゥーミー監督の『生きのびるために(THE BREADWINNER)』(同長編審査員賞受賞)は、タリバーン支配下のアフガニスタンを描いていますね。スペインのラウル・デ・ラ・フエンテ氏とポーランドのダミアン・ネノウ氏が共同監督を務めた『アナザー・デイ・オブ・ライフ(ANOTHER DAY OF LIFE)』(19年東京アニメアワードフェスティバル長編グランプリ受賞)は、アンゴラ内戦を描いています。
そういう世界になっているんです。つまり世界のアニメーションは子供や、いわゆる思春期に向けてじゃなくて、直接大人に向けて語り始めているわけですよ。少なくとも国際映画祭に関して言うと、日本のアニメーションは、そういうものと戦ったときに勝てないんです。19年の韓国の富川国際アニメーション映画祭では日本作品は全滅でした。フランスのアヌシーなど国際的なアニメーション映画祭に行くといいです。そうした傾向がよく分かります。
昨年のアヌシーでは、フランスのジェレミー・クラパン監督の『失くした体(I LOST MY BODY)』が長編グランプリをとりました。切断された少年の手がパリをさまよい体を探すというストーリーですが、その前には逆のパターンの作品があった。16年のアヌシーで審査員賞を受賞したフランスのセバスチャン・ローデンバック監督の『大人のためのグリム童話 手を亡くした少女(THE GIRL WITHOUT HANDS)』で、手を亡くした少女のストーリーです。これはグリム童話の『手なしむすめ』が原作なんだけど、完全に大人向けにつくっている。
■隙間狙いの日本は「不健康」
――だから、穴場になっているってことですか?
穴場なんですよ、単純に。ニッチなんです。なんだけど、同じ傾向でありすぎはしませんか? つまり、日本のアニメーションってなんで一色なんですかってことの方が、むしろ問題だと思っています。日本にだってポル・ポト虐殺のことを映画にしようとする人がいてもおかしくないし、なぜいないのか。そういう歴史的な出来事、ドキュメンタリー的な作品を作る人が日本にいておかしくないし、いてもいいんです。逆にアメリカにいてもおかしくないですよ。だけど、日本には、隙間狙いの、みんな同じようなアニメーションしか作る人しかいないんだとしたら、それはおかしいですよ。むしろ、そこは不健康だと思います。
――新千歳空港国際アニメーション映画祭に取材に行ったのですが、ラトビアや韓国から来た監督に、なぜ日本アニメは世界で人気があると思うかという質問をしました。そしたら、「あなたの言うアニメはジャパニメーションという一つのジャンルにしか過ぎない」と言われ、世界にはそれ以外のアニメーションがたくさんあると逆に指摘されました。
その通りです。日本のアニメーションの中にジャンルが一個しかないのはおかしいと思いませんか? だって今は、『名探偵コナン』まで同じジャンルに入っているんですよ。名探偵コナンは少なくとも子供向けとして始まったはずなのに、いつの間にか同じ「隙間向け」のジャンルに入ってきているじゃないですか。おかしくないですか?
――コナンは子供向けじゃないんですか?
ないんですよ。子供向けは全滅しましたからね。夜7時台のテレビアニメーションから子供アニメ全くなくなりましたから。映画で作られているのは、『ドラえもん』、『アンパンマン』、『ポケットモンスター』、『妖怪ウォッチ』、それから『プリキュア』など。これって、何年同じものを作っていますか? 20年ですか、30年ですか。ドラえもんは50年です。
――『サザエさん』は放送開始から50年、『ちびまる子ちゃん』も30年です。
子供向けのアニメーションは、新規参入ができない世界になっている。だから、アニメ映画『マイマイ新子と千年の魔法』を作るという話になった時、プロデューサーとともに頭を抱えたんですよ。やることはできるけど、売ることは難しいんじゃないかと。だとしたら、これは大人向けの映画として児童映画を作ろうということになると。
――なぜ、子供向けではダメなのですか。
子供向けじゃないとダメなんじゃなくて、子供向けのものを誰も作らないのがおかしくないですかという話をしています。なぜ作らないの? だってフランスなどでは、アニメーションは子供向けのものだと思われているから、大人向けの作品を作るのは難しいと言われている。それでも、『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん(LONG WAY NORTH)』(15年アヌシー国際アニメーション映画祭観客賞受賞)などを作るじゃないですか。日本は逆なんですよ。子供向けのものを作ろうとしても土壌が壊滅なんです。
――片渕監督も携わった『魔女の宅急便』など、ジブリ作品はどうですか? 眠っている童心がくすぐられるから大人にも人気があると思っています。
魔女の宅急便の対象年齢は、お金を自由に使えるようになった20代の若い女性ですよ。だから、街へ出て仕事を始めた女性が主人公なんです。ジブリ作品で本当に子ども向けの作品は、『となりのトトロ』と『崖の上のポニョ』。それ以外に本当にあるでしょうか?
特に今の日本の中で、作り手の意識があまりにも現在のアニメーションに同調しているから、子ども向けになり得ない。子ども向けとは何なのかを、もっと真剣に考えたら違うものが作れるはずなんです。要するに、そうは言いつつ、海外から言われるジャパニメーションの延長線上で、子供向けのものをとりこんでいるだけのように見える。子ども向けの方へ自分が行かないで、自分たちの方へ子ども向けのものを取り込んでいるから、そうなるのだと思います。
■気恥ずかしいほどの「ガラパゴス化」
――私には日本アニメは世界で輝いているように見えるけど、実は課題を抱えていると。
日本アニメーションは、正直に言うとガラパゴス化しています。何度も言いますが、海外の映画祭に行ってみたら分かります。完全にガラパゴスです。日本のアニメが出てきた途端に、なんか気恥ずかしい気持ちになって、海外の審査員の人が「またか」って言う。
――それが本当なら衝撃です。ちょっと厳しすぎる見方にも思えます。片渕監督自身は子供向けを意識した作品を作っているのでしょうか。
本当ですよ。それを『若おかみは小学生!』で言われたんです。「またですか」と言われた。『若おかみは小学生!』ですら、言われるんだよ! 衝撃ですよ。
僕自身はむしろ対象年齢を50代以上に設定しています。僕は60年生まれだけど、63年の『鉄腕アトム』から本格的なテレビアニメが始まっていますから、50代、60代の人はアニメを見ていてもおかしくない世代なんです。『太陽の王子 ホルスの大冒険』(68年)というのが東映動画(現・東映アニメーション)の劇場アニメ10作目なんですけどね。あれでスタッフたちはアニメの対象年齢をあげようと思ったんです。
その根拠となったのが、(日本初のカラー長編アニメ映画)『白蛇伝』(58年)を見た人が大きくなったらもう10年経っているということだった。そして、その人たちは、現在は60代後半です。『太陽の王子 ホルスの大冒険』はその時は評価されなかったけど、その後、70年代になったら、大学の学園祭で盛んに上映される映画となった。そのころ見ていた人たちが今の60代中盤です。
――片渕監督の新作『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』も、子ども向けではないと。
ないです。
――個人的には、小学校の教育で使ってほしいと思っています。
前作『この世界の片隅に』はそうです。でも、新作『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は違う。子供向けだとしたら、ベッドシーンは入れないですよ。
――確かに、あのシーンにはちょっと驚きました。正直に言うと、入れてほしくなったです。
この映画の原作となった漫画が連載されたのは、青年漫画雑誌の『漫画アクション』です。漫画アクションには『クレヨンしんちゃん』の連載が始まった雑誌です。クレヨンしんちゃんの原作の漫画には両親のベッドシーンがありますよ。
――『クレヨンしんちゃん』は、子供向けではないですよね。
でしょ。『この世界の片隅に』は、同じ雑誌に連載されていた漫画です。
■見る側も、言えばいい
――子供向けが作られないというのは、作る側が考えないといけないことなのか、それとも見る側が考えないといけないことなのでしょうか。
見る側は、もっと子ども向けの作品がほしいなと思っているなら、そう言えばいい。前作『世界の片隅に』は、クラウドファンディングによる出資で作りましたが、それをやらなければいけなかったのは、まさにそこなんです。主人公が今時の高校生じゃないのにお客さんは来るの? いや、来るんです。最初からそう言って成り立った企画なんです。
――今時の高校生に設定しているから子ども向けなのかと思ったけど、違うんですね。
だから「今時の高校生」は40歳までが対象なんです。後期思春期。高校生の主人公が40代にも同じように刺さるんです。
――それでも片渕監督も関わった『忍たま乱太郎』(93年開始)など、子供向けアニメは少なくないように思える。
『忍たま乱太郎』だって何年前のものですか。つまり、子ども向けのものというのは、実はブランド固定なんです。新規参入ができない。
――不思議です。なぜなのでしょうか。
マルチチャンネル化していることは一つ大きいです。親は『となりのトトロ』のDVDを買ってきて子供に見せていればいいんだもん。再生産はいらないんです。
それ以上に、アニメーションが子ども向けのものだという認識が、日本ほどされていない世の中は、世界中探してもないんです。だからこそ、大人向きだって認識すらもできない。それなのに、その中で大人向きのものを作ろうとしたので、我々は苦労してきたのです。
かたぶち・すなお 1960年生まれ、大阪府出身。日本芸術学部映画学科在学中から宮崎駿監督作『名探偵ホームズ』に脚本家として参加。ジブリの『魔女の宅急便』では演出補。96年のテレビシリーズ『名犬ラッシー』で監督デビュー。06年『BLACK LAGOON』も監督作品。その他、『クレヨンしんちゃん』『ちびまる子ちゃん』『かいけつゾロリ』など携わったテレビアニメは多数。アニメ映画では、98年『この星の上に』、00年『アリーテ姫』、09年『マイマイ新子と千年の魔法』、16年『この世界の片隅に』を監督。昨年12月20日に新作『この世界の(さらにいつくもの)片隅に』を公開、上映中。